2012年3月8日木曜日

原発パニック

未来を予想する事と、予想した事に対して対応を考える事は別の行為です。後者を「想定する」と言います。昨年の3月11日に日本政府は原発事故でパニックに陥りました。予想はできた事故でしたが、その確率は日本では恐ろしく小さいという根拠のない判断を過去に誰かが行ったため、政府には対応策がありませんでした。当事者である東電も社長と会長が運悪く東京を離れていたので、迅速な意思決定ができませんでした。住民のパニックを恐れて「格納容器は健全だ」とか「直ちに健康に影響はない」と官房長官は発表しました。政府がパニックに陥ったため、肝心の放射性物質の移動方向や圧力容器の損傷はデータがあったにも関わらず隠蔽されました。その結果国民は政府、東電、保安院、原子力ムラの学者たちが信用できないことを知りました。一度失った信用を取り戻すには長い時間がかかります。昨年名前の上がった政府、東電、保安院、原子力ムラの人たちは、自分が間違っていたと謝罪しない限り信用できない人としてインターネット上にその名前が永久に残るでしょう。3月11日のあと飛行機による放射線量の測定をしたのは米軍が最初です。日本政府は文科省と自衛隊の調整がつかず何日も空からの測定をしませんでした。政府がパニックに陥ったのは原発事故を想定しての対応を練習していなかったためであり、「想定外」というのは「これは想定しなくていい」と決断をした人のミスです。庭の土が放射性物質で汚染されていても、他にもっていく場所がないので庭に埋めるしか手がありません。政府が日本国民を守るというのは建前であって、本音では「自己責任」というのが今の日本です。

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