2011年12月28日水曜日

想定外の一年

2011年がもう終わります。幸いマサの身の回りでの想定外は無かったものの、海の向こうの日本では3月の東日本大震災と大津波、福島の原発事故、さらには円高とヨーロッパの経済危機など想定外の出来事がありました。マサは今回初めて津波の恐ろしさを目の当たりにしてびっくりしました。日本は地震の巣の上にある国であることもよく分かりました。シリコンバレーのあるカリフォルニア州は地震の多い土地です。アメリカは東側が比較的安定した土地なのに対して西側ではよく地震があります。火山が多いのもカリフォルニア州のある西側です。その西側にも複数の原発があります。その一つを題材にして1979年に作られた映画がチャイナ・シンドロームです。マサは今年初めてこの映画をDVDで観ました。この映画は実は炉心溶融といった原発の危険性よりも、原発産業の閉鎖性を問題にしています。残念ながら、この構図は日本にもそのまま当てはまります。誰かが「原子力は安全だ」と言ってしまったために、それに反する情報はすべて隠蔽されるか無視されてきました。その結果が福島の原発事故です。アメリカの原発事故はスリーマイル島事故の前にも沢山あり、「原子力は危険だ」という認識が1979年のアメリカにはありました。アメリカや旧ソ連で起きた原発事故が日本でも起きる可能性は十分あったのに、マサを含め日本人の大部分はそれを無視しました。2004年の「東京原発」という日本映画は話題にもなっていません。こうした閉鎖性が続く限り、日本が抱えている問題は何一つ解決しないだろうと考えさせられた一年でした。

2011年12月24日土曜日

院生と企業

日本の企業は人をとってから仕事を割り当てるので、どんな仕事でも文句を言わずにやってくれる「色のついていない」人を好みます。新卒が好まれるのもこのためです。修士や博士は「この仕事がやりたい」とはっきりしているので、企業としては使いにくい存在です。まだ修士なら若いので説得できますが、博士となると30歳前後なので企業は嫌います。その結果日本では大学院に進む人がアメリカに比べ少なく、高学歴の人が人口の割に少ない国となっています。逆にアメリカではまず職ありきでその仕事に必要な人を採用するので、逆に新卒は仕事の経験がないため不利です。修士や博士はその仕事に役立つと判断されれば学士より好まれます。そのかわり会社の方針が変わってその仕事が不要になれば、優秀な人でも手切れ金とともに首になります。自分のやりたい事を我慢してでも会社にしがみつこうとする人はいません。会社の他部門の求人に自分と合うものがあれば面接試験を受けに行きます。なければサヨナラです。日本は終身雇用という建前があるので、正社員を簡単に首にすることができません。変化の激しい時代にどちらの企業が有利かと言えば、残念ながらアメリカ型となります。アップルがiPhoneを発表する数年前、アップルは携帯電話技術者の求人を沢山出していました。アメリカでは企業の求人広告をみればその企業が進む方向が分かります。こうした変わり身の速いアメリカ企業に、終身雇用制の日本企業が勝てるでしょうか。博士など高学歴の人が少ない国が世界をリードする国になるでしょうか。答えはどちらも否だというのがマサの意見です。日本企業は競争相手の姿を知らないまま戦略なしに戦って、そのあげく価格競争に負けています。はっきり言えば日本の製造業は今後の日本の雇用の中心ではありません。それでも製造業に残る会社には、せめて他では真似のできない魅力的な製品を作ってもらいたいものです。

2011年12月13日火曜日

日本への3つの提言

日本にいないマサが言うのもなんですが、日本の政治が迷走中なので分かりやすい3つの提言で日本に元気を取り戻したい思います。まず第一に「議論は本音で」しましょう。議論で建前を言う人間は時間のムダなので議論に呼びません。そんな人間に権力を握らせたら日本は没落します。第二に「投票率が半分以下の選挙は無効」にしましょう。半分以下では民意を反映していないので、投票率が50%を超えるまで何回でもやります。そして第三に「公立教育の目的」を国民レベルではっきり決めましょう。税金を使う教育ですから、国民の過半数が同意する必要があります。日本の最大の資源は人なので、公立教育は国として最も大切な投資のはずです。ここで目的と手段を混同してはいけません。ゆとり教育は国際競争力のない日本人を増やしました。本当は教師ひとりあたりの生徒数を半分にして、教育レベルを上げるべきでした。貿易立国として人の国際競争力も避けて通れない問題です。教育は結果が現れるのに10年以上かかります。もはや先送りしている時間はありません。私立校はお金を払える人が行きますので、それぞれの学校で違う目的で教育しても問題ありません。でも実際には公立校に行く人が国民の大部分ですので、「公立教育の目的」をはっきり決めて全体の方向をそろえないと、日本はますます他の国に人材の点で負けます。

2011年12月1日木曜日

派遣労働者

派遣労働者や期間限定従業員という働き方が日本にあります。アメリカにも似たような労働形態としてコントラクタというものがあります。正社員とちがって、コントラクタは同じ会社に連続して1年以上働く事ができません。コントラクタは臨時の仕事をするために雇うので、1年以上続く仕事は臨時ではないからです。例えば女性従業員が出産で半年休む場合など、代わりにコントラクタの人に来てもらうことがあります。法律には詳しくないので、期間限定従業員がアメリカで可能かどうかは分かりません。でも農業の分野では収穫時に大量の不法移民を使っていると聞きます。こうした人たちは季節とともに南から北へと移動するそうです。日本の派遣労働者は複数年に渡り同じ会社で正社員のように週40時間働くという点でアメリカと異なります。日本の派遣や期間限定労働の問題点は、それが臨時雇いではなく安価な非正社員労働者とみなされていることです。会社はなるべく固定費を減らそうとしますから、正社員の数をぎりぎりまで削り、残りは派遣でこなします。でも日本全体としてみればこれは国民のためになりません。個々の会社にとっての正解が全体の正解にはならない典型的な例です。ぎりぎりまで削られた正社員は長時間労働を強いられ、少子化を招きます。派遣社員は正社員と同じ仕事でも給料が安いので国に納める所得税が減ります。安い給料では結婚もできないので、ますます人口が減ります。ビジネスの戦略的見直しよりも派遣の雇い止めの方がコストカットとして簡単なので、会社の構造改革に結びつきません。こうして国全体としてだんだん国際競争力を失って行きます。1年以上継続して仕事をしてもらう場合、正社員として雇わなければいけないという法律に日本もすべきでしょう。もちろん裏をかく方法はあるので完全ではありませんが、派遣労働という働き方にはその期間に1年未満という上限を設けるべきです。派遣労働を増やすのは日本の国民のためにならない、というのがマサの意見です。

2011年11月27日日曜日

安全と安心

安全と安心は違います。安全は科学が数値に基づいて決めるもの。安心は不安要素が無いことで生まれる心の状態。安全でも安心できないのが今の日本の農作物で、安心だけど安全でないのが日本の稼働中の原発となります。科学者はデータに基づいてあるものが安全かどうかをある確率で決めます。農作物の全数検査が時間的に不可能なのでサンプル検査で放射能を測る場合、ばらつきを仮定した上でサンプル検査による漏れの割合がサンプル数から分かります。そこから例えば90%の確率で玄米の放射能は500ベクレル未満などと推定します。この場合無作為に選んだ米の90%は500ベクレル未満ということです。残り10%は500ベクレルを上回る可能性があります。サンプル検査である以上確率を100%にすることはできません。だから本当に知りたいのは検査値の分布でありサンプルの取り方です。これが公表されないまま、サンプルからは放射能が500ベクレル未満でした、と言われてもそれが何を意味する数値なのか分かりません。検査値の生データをエクセルファイルなどで出してくれないと分布が分かりません。サンプルの取り方はもっと大事で、農家ごとに取るのか、田んぼの場所ごとに取るのか、また田んぼのどこで取るのか、端で取るのなら水が流れ込む上流側で取るのか下流側で取るのか、さらに山裾の田んぼをサンプルに入れるのか入れないのかなどで検査結果が変わってきます。これらを無視して発表された結果だけを見ると簡単に誤解します。福島県知事が福島県産米の安全宣言をした後で500ベクレルを上回る玄米が見つかって、農家もさぞ困惑していると思います。どんな安全宣言にも暗黙の前提があり、その前提が間違っている可能性も考えて食品を選ぶのが正しい自己責任のあり方です。究極の安心を得るには、消費者が自分ですべての食品のベクレル値を測る必要があります。それが福島原発事故後の日本の新たな常識です。

2011年11月7日月曜日

原発の事故確率

福島原発の炉心溶融事故をふまえて、原発の事故確率の見直しが行われました。ざっと500年に1回という割合は、日本にある原子炉ひとつひとつの稼働年数の合計が1494年(原子炉が50個あるとして平均で原子炉ひとつあたり29年)で、そのうち3個の原子炉が事故を起こしたので、3割る1494年でほぼ500年分の1になります。つまりひとつの原子炉が事故を起こす確率は500年に1回です。日本には稼働できる原子炉が50個近くあるので、日本で炉心溶融事故が起きる確率は単純に計算するとこの50倍になり、平均稼働率が100%なら10年に1回、50%なら20年に1回は日本のどこかで炉心溶融事故が起きることになります。日本だけの計算なので母集団が小さく、統計的にはあまり確実でない数値かもしれませんが、意外に大きな確率になります。今まで日本では原子炉溶融事故は起きないと言っていたので、母集団を安易に海外に広げることができません。10年から20年に1回放射性物質が大量にまき散らされ、その周りの人が何十年も避難する必要があるとしたら、日本で人が住める所は100年以内に消失してしまいます。本当にこんな危険な技術を使い続けるのですか。福島原発から来た放射性物質は栃木、群馬、埼玉、東京、千葉、茨城、神奈川、そして静岡まで汚染しました。もし原発稼働の是非を住民に問うなら、地元だけでなく事故で影響を受けるこうした周りの都道府県の住人にまで問うべきでしょう。もしこの確率で事故が起きるとしたら、原発事故が日本を滅ぼすことになりかねません。事故の原因が地震か津波かに関係なく、現実として日本の原発の事故確率はとても高いのです。日本の人は、それでも原発を使い続けますか。

2011年11月6日日曜日

文系と理系

日本では、ある人が文系や理系かという分け方をします。これはおそらく大学教育での学部の分け方から来ているのでしょう。物事を二つに分ける考え方は他にもあり、善と悪、上と下、敵と味方など相容れないものを対比するのによく使われます。先日スティーブ・ジョブスの伝記を読んでいたら、「humanitiesとsciences」の交差点に立てる人、という言葉にぶつかりました。これは本の序章にあり日本語ではどう表現しているかなとみたら「文系と理系」となっていました。これは残念です。他に簡単な日本語が無いのでこうした表現になったのだと推測しますが、もし「文系と理系」を相容れないものと考えると交差点はありません。そもそも日本の「文系と理系」という分け方に無理があります。マサが訳すとしたら「人文学と科学」にすると思います。両者は対立する概念ではなく、直交する概念だからです。誰でも簡単に使えるパソコンを作ることは、「文系と理系」という概念とは関係ありません。実は教育を「文系と理系」のどちらかに分けることにはあまり意味がありません。「文系と理系」という単純な分け方がもはや通用しないほど、世の中は複雑になっているからです。アメリカで例えばUCLAの学部は「Humanities、Life Sciences、Physical Sciences、Social Sciences」に分けられています 。Humanitiesは人間活動についての学問なので、文学の他に言語学や芸術史、宗教や哲学も含みます。でも心理学や経済学は含みません。心理学はLife Sciencesに属し、経済学はSocial Sciencesに属します。物理や化学はPhysical Sciencesです。芸術や法律はさらに別の学部となっています。日本の「文系と理系」という単純な分け方は現代には通用しないので、使うのは止めた方が良いとマサは思います。

2011年10月11日火曜日

日本の津波対策

すみませんが、この話題はアメリカとは関係ありません。日本の津波対策の話です。東北大地震のあと海沿いの町を高台に移転するという案を新聞で読みました。でもそれができる場所は限られていると聞きます。三陸地方はもともと海の近くに平地が少なく、背後はすぐ山でその上に高台がありません。つまり山を削らないと高台になりません。また漁師やお年寄りは高台に住みたがらないと聞きます。そこで提案です。数年前のタイで大津波があったあと、タイでは津波の時に避難できる丈夫な建物を平地に作りました。床と柱と手すりと階段と屋上だけあれば良いので、コストはかかりません。津波のとき家は流されても、人間やペットだけ歩いて避難できれば命は助かります。高台に移転できる町は移転するとして、高台がない場所の効果的な津波対策は平地にこうした避難所を設けることでしょう。5階建て以上の高さが必要ですが、平地のあちこちにこうした避難所を作ることは、津波で壊れる堤防を作るよりも人命救助に役立つと思います。仙台平野でも同じです。人工的な山を作ってその上に住むのではお金がかかるので、地震が起きてから津波が来るまでの時間で歩いて行ける範囲に安くて丈夫な避難所を作るべきです。こうした避難所は普段は携帯電話の基地局にもなりますし、数日分の非常食を置いておく場所にもなります。家の近所にこうした避難所を作ることが海沿いの町の速い復興につながります。もちろん徒歩で避難できない人はこれでは助けることができないので、老人ホームや病院はお金をかけてでも高台に置くべきです。でも一般家庭は津波で浸水する地域にあってもよく、津波のとき避難所に逃げる事と引き換えに今までの場所に住む事もできます。日本は財政大赤字の国ですから、効果的なお金の使い方で復興する道を探しましょう。

2011年10月6日木曜日

ひとつの時代の終わり

きのうシリコンバレーを象徴する人物が死去しました。アップルのスティーブ・ジョブス56歳。マサは数年前アップルのカフェテリアでボックスランチを買うスティーブを見かけたことがあります。黒い服で長身の彼は遠くからでも目立ち、周りの人は普通に彼と接していました。おそらく昼食を食べながらのミィーティングでもあるのでしょう。忙しい彼を呼び止めて話し込む人は皆無でした。ちなみにアップルのカフェテリアは彼の好みで「うどん」も置いていますが、菜食主義の人でも食べられるように出汁は昆布のみなので、その味は自分には物足りないものでした。十数年前マサがHPから転職を考えていたとき、アップルはマイクロソフトに負けてジリ貧でした。パソコンの市場割合は1割を切り、他の会社に買収されるのではないかと噂されていました。その後スティーブはアップルに戻り、彼の美意識に沿う新製品を毎年出す事になります。そのすべてが成功した訳ではないものの、会社の目標を単なるパソコン屋から音楽販売業、そして携帯電話屋に進化させたのは彼です。10年先の世界を見通しそこでの市場ナンバー1になるべく彼は動きました。十数年前はHPでもインターネット事業を始めたところで、音楽がCDではなくネットワークで買える時代になることはマサにも予想できました。でも一般消費者向けにプレーヤーや音楽を販売するという発想が当時のHPにはありませんでした。アップルが音楽販売で成功した鍵は、ネットワーク経由で簡単に好みの音楽を1曲から買えるシステムを作ったことです。iPodは誰でも真似できますが、iTunes Storeは簡単に真似できません。iPodの箱には「カリフォルニアで設計し、中国で製造された」と誇らしげに書いてあります。アップルの強みは生産技術ではありません。スティーブというカリスマ性のあるCEOがこの世を去った今、10年先を見通せる人物がいるかどうかが試されます。

2011年9月25日日曜日

国家安全保証

アメリカの役所にNSAというものがあります。アメリカの国民とその財産を他の国の侵略から守ることが主な仕事です。国家の安全を保障するには軍事力、政治力、経済力、そして資源が必要です。特に国民の食料を自国内で生産できるかどうかは安全保障の要です。日本のように国内の農業だけでは全国民の食料を生産できない国は、国家の安全保障という点からみると危険な状況です。貿易の自由化に伴って関税を廃止する場合、国内での農業生産力を維持することが安全保障上必要となります。アメリカの場合は政治力を使って自国の農業製品を他国に売り込みます。また国際競争力がない作物でも必要とあらば補助金を出して維持します。日本もそのような制度で自国の農業を維持する必要があるでしょう。日本の場合北海道を除くと、規模の拡大による農業のコストダウンはあまりできそうにありません。むしろ民間企業の参加を自由化して、農業を工業化することが日本向きでしょう。もうひとつの安全保障は軍事力です。日本の領土と国民を守るのは誰なのか。アメリカは、他国のために自国の兵士を危険にさらすことを嫌います。アメリカはアフガンで戦争していますが、それはアフガンのテロリストがアメリカ本土を狙っているとアメリカ国民が信じているからです。中国が日本に脅しをかけてきても、アメリカへの直接の危険はないので話題にもなりません。日本が中国や北朝鮮からの圧力をどう跳ね返すかは、自国をどう守ろうとしているかに関係します。経済力だけでは太刀打ちできません。もし安全保証に必要な軍事力をアメリカに依存するなら、国内にあるアメリカ軍基地をなくす訳にはいかないでしょう。逆にアメリカ軍基地を日本からなくすには、日本が自前の軍事力をもって日本の国民とその財産を守ることが必要です。原理原則がない日本でも、国家の安全保証については立場を明確にしないと容易に他国につけ込まれてしまいます。

2011年9月13日火曜日

建前と本音その2

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」によれば、日本が第二次世界大戦前夜にアメリカとまともに戦ったら勝てないことを当時の日本軍上層部は知っていました。石油がなくお金もない日本が物量で勝るアメリカに勝てない事を軍のトップは知っていたのです。にも関わらずアメリカと戦争した理由は、陸軍あるいは海軍として自分の口からはアメリカに勝てないとは言えなかったからだそうです。建前として軍人は戦争で負けるとは言えません。戦って勝つために存在している組織のトップとして理屈では負けが予想できても、実際に戦争をせずに負けを認めるわけには行かなかったのです。これはトップが建前を振りかざし本音を言わないと国がひどい事になるという良い例です。原発事故もそうです。人間が作って運用しているものですから壊れることもあれば作業員が誤操作することもあります。放射能事故のときには人間にかわってロボットを事故処理に使えば良いのに、原発では事故は起きないという建前を振りかざしたために、日本はせっかく作った事故処理用のロボットを廃止してしまいました。本音ではスリーマイル島原発のような事故は十分起こりえると分かっていても、トップの人間にそれを口に出す勇気がなかったのでしょう。建前は鎧みたいなもので、人はそれに隠れることができます。本音を言う勇気がない人間が組織のトップに立つと、今回の福島原発のような事故が起きます。iRobot社は軍事用ロボットの草分けで、福島に送られたロボットも元は軍事用ロボットです。日本はバイオリンを弾いたり歩いてみせたりと物の役に立たないロボットを作るばかりで、原発事故や災害救助で使えるロボットを持たないことが海外にバレてしまいました。ロボット産業の方にお願いします。今後は趣味で作るのではなく、3K仕事を人間の代わりにやってくれるロボットを開発してください。そして今後日本のトップに立つ人は、建前を捨てて本音を言う勇気を持たなければなりません。

2011年9月11日日曜日

学級崩壊

日本のニュースに登場する学級崩壊という言葉をマサはごく最近知りました。生徒が先生の言ことを聞かないため、授業にならない状況をさす言葉らしいです。不思議なのは、どうしてそんな生徒を退学にしないのかという点です。アメリカにもそうした問題児はいます。まず親に連絡して学校に来てもらい、担任と校長が子供と親に学校のルールを守れないなら退学になると警告します。そうした警告のあと改善がみられないなら、公立校であっても即退学となります。いじめにも断固とした強い態度を学校は取り、加害者は退学です。毎年学年の始まりに学校に出す書類には、親の緊急の電話番号とメール先、それにどんな場合に退学処分になるかの説明とそれへの同意のサインが要ります。サッカーのようにイエローカードが何枚でレッドカードという仕組みです。また予算の少ない学校では先生の代わりに親がボランティアとして教室に入り、先生の目の届かない場所を守ります。予算がある学校なら先生がふたり教室に入って、メインとサブという形で授業を進めます。メインの先生が黒板に向かっていても、サブの先生が目を光らせているのでワルはできません。学級崩壊は生徒のためになりませんので、授業の邪魔をする生徒は退学で良いと思います。先生の能力が低くて生徒に尊敬されない場合もあるでしょうが、日本のいじめのニュースを聞くたびになぜ加害者を退学にしないのかと思ってしまいます。アメリカには、そうして退学になった生徒を専門に受け入れる私立の学校もあります。共働きの親が多いので、子供が退学になると親は仕方なくそうした専門の学校に子供を入れることになります。よほどのことがない限り警告の段階で親は子供といっしょに問題を解決します。でも学校に銃を持ってきたり麻薬を持ってきたりする子はいますので、見つかったら即退学です。教室に二人の先生を入れるには予算が必要でしょう。教師ひとり当たりの生徒数を20人にするにもお金が要ります。でも授業の妨げとなる生徒を退学させるにはお金はかかりません。毎年の学年の始めに親から同意書を得るだけです。同意書を出さない場合はクラスに入れてもらえません。簡単で効果的だとは思いませんか。加害者が未成年者の場合、その親または保護者に連帯責任があります。学級崩壊は仕組みにより防げる人災です。

2011年9月5日月曜日

仕事のゆくえ

人にとって大事な仕事は、まず第一に食料の確保です。農業や漁業などの第一次産業を国から無くしてはいけません。国家の安全保障にとって食料の確保は軍事以前の問題です。食が確保できると、第二次産業である製造業が人の生活を豊かにするために必要になります。これで衣食住がそろいます。ここまでくると国にゆとりが生まれ、旅行や映画といった第三次産業が伸びて行きます。理想的にはこの段階で農業や漁業の工業化が進み、製造業ではロボット化が進んで、人は主に第三次産業に従事することになるのでしょうが、人はそう簡単に職業を変える事ができません。工場で野菜を作ったりマグロを養殖したりする試みは農業や漁業の工業化です。製造業でのロボット化は、円高で人件費が相対的に高くなった日本でのひとつの解決策です。こうなると人手は要らなくなるので、労働人口が減りつつある日本でロボット化は今後ますます進むでしょう。最後に残る第三次産業でも、コンピュータができることはコンピュータがやるので、人間でしかできない仕事が残ります。つまり、これからの日本で大事な仕事は、ロボットやコンピュータにはできない事をやる人間を育てるということです。それはロボットを開発する仕事であったり、コンピュータを開発する仕事であったり、そのコンピュータで動かすプログラムを開発する仕事かもしれません。あるいは医療や介護のようなサービス業での人と関わる仕事かもしれません。第三次産業には金融や保険業も含まれます。そうした仕事に就く人を育てる教育も大事な第三次産業です。今後は第三次産業が日本の経済の中心となることは間違いありません。そうなった時、世界レベルで戦える人材をもつことが日本にとり必要です。頭を使う仕事において世界レベルで戦える人材を生み出すには、スポーツと同様に子供の頃からの教育が大切です。日本の公立教育の目標はここに置かなければなりません。将来の日本にとって必要な人材を生み出すことが、税金で教育をおこなう理由です。ロボットやコンピュータにはできない事をやる人間を育てる、そして頭を使う仕事において世界レベルで戦える人材を生み出す、このふたつは日本が今すぐ始めなければいけない事だとマサは考えます。

2011年8月21日日曜日

DCは博物館がタダ

ワシントンDCネタをもうひとつ。スミソニアン博物館は、さわれる月の石や青いダイヤとして有名なホープ・ダイアモンドなどが展示されている有名な場所です。ワシントンDCの国会議事堂の前に並ぶこれらの博物館はなんと無料で見る事ができます。なるほどマサの税金が高い訳がわかりました。スミソニアン博物館には航空宇宙博物館や自然科学博物館など複数の建物があります。それぞれが最低1日は必要なほど大きな博物館ですが、それに加えてアメリカ歴史博物館や芸術博物館もあり全部を回るには最低1週間はかかります。ここにはアメリカの田舎者や他国からの訪問者にアメリカの偉大さを見せつける場所として十分な物量があります。建国以来たかだか数百年の間にこれだけの富を生み出したことはアメリカの誇りでしょう。アメリカの物だけでなく、世界中からお金で手に入る最高の物を集めています。ロシアの宇宙服は富豪のロス・ペローがロシアから購入して寄付したものですし、ホープ・ダイアモンドは宝石商として成功したハリー・ウィンストンが寄付したものです。また航空宇宙博物館には日本の中島飛行機(今の富士重工業)製のゼロ戦も展示してあります。さすがにIMAX映画館と食事は有料ですけど、他は本当に無料です。逆にホテル代やホテル税は高く、ここが特別な場所であることが分かります。東京の霞ヶ関のような場所なので、スーパーなどはありません。DCは夕立のような天気もあって、日本の夏とあまり変わらない蒸し暑さでした。

2011年8月14日日曜日

エノーラ・ゲイ

先日ワシントンDCに行き、アメリカに22年前に来て以来見たかったエノーラ・ゲイを見てきました。これはB29長距離爆撃機で、広島に原爆を落とした飛行機です。場所はワシントン郊外のヴァージニア州ダラス空港の隣で、そこはスミソニアン航空宇宙博物館の別館となっています。ちなみに本館はワシントンDCにあり、ライト兄弟の飛行機の実物が展示されています。この別館のエノーラ・ゲイはピカピカに磨き上げられていて、まるで新品同様の機体を格納庫の床から1メートルぐらいの高さの台に載せて展示してあります。また機体の前にはさりげなく兵士が立っていて機体を守っています。歴史上始めて広島で大量破壊兵器として使われ、兵士よりもはるかに多数の民間人を殺した原爆のことは、実はあまりアメリカでは知られていません。これはアメリカという国の負の部分であり、アポロ11号の月着陸が光ならは、原爆は陰の部分です。戦争ですからより多くの敵を殺すのが軍隊の目的ではありますが、非戦闘員である民間人をこれだけ多くしかも短期間に殺した例は他にありません。エノーラ・ゲイにはそうした政治的問題があるため、展示には「広島に原爆を落とした飛行機」であるとしか書かれていません。その原爆で広島に何が起きたかには一切触れていません。これはアメリカのタブーであり、その話題に触れることは社会的生命を危険にさらすことになります。じっさい航空宇宙博物館の館長は、このタブーに触れたために辞職に追い込まれています。日本人にとっての原爆と、アメリカの一般市民にとっての原爆では意味するところが全くちがいます。日本人は原爆の恐ろしさと戦争の悲惨さの両方を知る世界で唯一の国民です。他の国はアメリカ国民でさえ原爆の恐ろしさを知りません。原爆についてアメリカ人と語るときは、戦争の是非を問いましょう。アメリカによる原爆の使用を非難しても、日本は相手を後ろから銃で撃つような「卑怯な」国ですから、真珠湾の奇襲攻撃を持ち出してきて反論してきます。日本の反核運動は反戦運動としてのみ他の国の共感を得ることができるとマサは思います。

2011年7月23日土曜日

放射能汚染源

福島第一原発の放射線データを見ると、正門前の数値で3月15日から16日にかけて3回のピークがあります。日本のマスコミには誤解している人が多く、水素爆発やベントで放射性物質が大量に漏れたと考えているようですが、この時刻を見る限りそれは間違いです。また東電もいつどこから放射性物質が大気中に漏れたのか公表していません。正門前の数値と東電の発表した時系列によると、最初のピークは2号機の圧力抑制プールが爆発した直後なので、2号機の格納容器の破損がその原因でしょう。しかしそのあとのふたつのピークにあてはまる事件はありません。これは謎です。この3回のピークが風向きにより原発の北西から中通り、また関東から静岡まで汚染しました。群馬県高崎市のCTBTデータでも15日の大気の放射能汚染は最悪です。マスコミにはいつどこから大量の放射性物質が大気中に漏れたかを東電に突っ込んでもらいたいですね。こんな大事な謎を追求しないマスコミが不思議で仕方ありません。東電のデータを信じる限り、水素爆発は大量放射能漏れの原因ではありません。しかし2号機の圧力抑制プールの爆発は想定外であり、問題のひとつです。これが最初で最大の放射能漏れの原因だとすると、次のふたつのピークは3号機からの煙が疑われます。3号機にはプルトニウムを含むMOX燃料が使われているので、そこには東電がまだ公表していない深刻な問題があるのかもしれません。

2011年7月17日日曜日

読み書きパソコン

電卓が普及する以前は、日本ではソロバンが計算道具の代表でした。暗算にも強くなるのでソロバンは今でもそれなりに人気があると聞きます。マサは「読み書きソロバン」を小学校で習いました。今は電卓があるので「読み書き電卓」になるのかと思いきや、それはマサの認識不足だったようです。アメリカだと小学生からパソコンでレポートを書くので、「読み書きパソコン」が今の標準かと思います。パソコンといっても大部分はアップル社のマックです。家にパソコンがない子は学校や図書館の共用パソコンを使います。手書きのレポートは小学校高学年になると禁止なので、キーボード練習プログラムをマサも子供用に買いました。ついでに親もそのプログラムで練習したのはもちろんです。情報を集めるのも旧世代は図書館での資料探しなのに対して、新世代はまずインターネットで検索です。「読み書きパソコン」が小学校で学ぶ基本だとすると、日本の学校も変わらねばなりません。単にキーボードを使えるだけでなく、検索した結果を吟味する力も必要でしょう。そもそも先生がこうした教育方法に慣れる必要があります。ソロバンに比べるとパソコンは多機能なので、使いこなせる子と使えない子の間には将来的に大きな差が生まれます。パソコンを使うと考える力が衰えるのではないかと心配するのは当然です。そのため先生の役割は生徒の考える力を引き出すものに変わります。生徒に問いかけて生徒どうしの意見交換を促すなど、双方向の教育に変わります。知識は検索すれば得られますので、知識を持つだけでなくその知識をどう使うかが大切になります。なお大学生になっても検索した結果をレポートに丸写しにする学生がいるようですが、その程度の宿題しか出せない教員にも問題があります。知識を問うのではなく、検索した結果などから新たな知見を問う問題が必要です。実社会では正解はひとつとは限りませんし、明らかな正解が無い問題もあります。でもそうした問題に対処する方法を、大学生なら身につける必要があるとマサは思います。

2011年7月9日土曜日

国難

このままでは日本の今後は暗いというのがマサの意見です。震災と原発事故で政治力の無さが露呈し、官僚の対応能力にも限界が見えました。こういう時は国として生まれ変わらねばなりません。人口の減少は想像以上に厳しい状況です。2015年には国民全体の預貯金と国債の発行残高が一致するという試算もあります。もしそうなると国民のお金では国債を消化できなくなるので、海外の国に買ってもらわねばなりません。すると今のギリシャや10年前の韓国のような状況になり、IMFが乗り込んできて国家財政を強引に立て直すことになります。茹でガエルのまま座して死を待ちますか。円高はアメリカ経済の先行き不明とヨーロッパのギリシャ問題が原因です。円が一番安全な投資先とみなされて買われているのです。円高により日本は石油やガスなどを低価格で輸入できるので、原発を止めねばならない日本には利点もあります。しかし電機や自動車など輸出で伸びてきた産業には辛い状況です。人口が減るため国内市場は縮小します。円高なので製造業は海外で生産し日本以外の国で販売します。公務員ばかり残って税金を稼ぐはずの会社は日本に残りません。製造業なき後の雇用先としてマサは観光業を推してきましたが、それも原発の風評被害でしばらく実現しません。まさに国難です。もしそれでも生まれ変わるつもりでやるなら、日本が復活するチャンスはあります。震災復興と原発事故の補償には特別国債を発行して国民の預貯金でこれを買います。同時に消費税を段階的に上げて政府の赤字を減らします。国として教育に投資し、国民一人当たりの所得を増やします。夫婦共稼ぎが普通になるので、保育所の充実と労働時間の短縮を実現します。老人の定義を改め75歳以上とします。今の日本で65歳は年寄りではなくまだまだ十分に働けるので、年金の支給開始年齢も75歳にします。年金の位置づけは、生活保護よりましな程度として減額します。お金が必要なのは老人ではなく、これから子供を作り育てる世代です。国民一人当たりの所得を増やすには、世界レベルで働ける日本人の数を増やします。これは平均値が上がらなければ意味ありません。長時間働いて所得を上げる時代は終わりました。特別な技術や知識がない人はこれからの日本で職がありません。世界レベルの技術や知識を身につけるか、国外に出て働くかのふたつにひとつです。農業や漁業は残りますが、それで食べていける人数はごく少数です。日本の弱点はエネルギー資源を持っていないということですから、安全で経費の安い、長持ちする日本独自のエネルギー源を手に入れる必要があります。日本の強みは海に囲まれていることなので、経済的排他水域内の資源を活用することが肝心でしょう。海底のガス田、メタンハイドレート、洋上風力発電など、海は今後の日本を救うキーワードになるとマサは思います。

2011年7月4日月曜日

独立記念日

今日7月4日はアメリカの独立記念日です。イギリスの植民地だったアメリカの13州が重税に苦しみ、イギリスからの独立を宣言した日です。日本は終戦直後を除くと他国の支配下に入ったことがないので、独立を宣言したことはありません。日本の建国記念日は初代天皇が即位した日となっています。アメリカの独立記念日はお祭りの要素が強く、各地で小売店がセールを行い、人々は自宅でバーベキューパーティを楽しみ、夜は場所により花火が上がります。カリフォルニアはこの時期とても天気が良く、大地は乾燥していて山火事になりやすいので、個人が花火を打ち上げることは法律により禁止されています。遊園地とか海辺の公園など決められた場所でのみ花火大会が行われます。夏時間なので暗くなるのは9時すぎですから、どこも9時半から10時ぐらいが花火の時間になっています。10時をすぎると大きな音を出す事は避けるので、一晩に1回きりのチャンスです。サンフランシスコに住む人によれば、あそこは夜に霧が出る事が多いので、花火といえども色のついた雲が海の上で時々光るという有様になることもあるそうです。シリコンバレーを見下ろせる丘に上ると、あちこちで上がる花火を同時に見る事ができます。でもそれぞれの花火は遠すぎて音が聞こえないのが残念です。なお花火は一般市民への販売も市条例により禁止されているところがほとんどです。また花火の音にまぎれて銃を空に向けて撃つ不届き者もいて、独立記念日の夜は住宅地でも銃声が聞こえます。マサの上司は、独立記念日の次の日の朝に自宅の庭で使用済みの実弾を見つけた事があるそうで、外にいると空から降って来るそうした実弾に当たる可能性もあります。

2011年7月2日土曜日

放射線を正しく怖がる

高校の化学で放射線を勉強しましたが、その後すっかり忘れてました。素人のマサが理解したことは以下の通りです。放射線には3種類あり、アルファ、ベータ、ガンマという名前が付いています。アルファはヘリウム原子核、ベータは電子線、ガンマはX線のもっと波長の短い電磁波です。アルファ線は紙1枚でも止まり、ベータ線も空気中だと数十センチから1メートルぐらいしか飛びません。しかしガンマ線はX線同様透過力が強いので遠くまで飛びます。ガンマ線を遮るには鉛の板や厚いコンクリートの壁、もしくは大量の水を使います。そのため体の外部から来る放射線は主にガンマ線が危険です。放射線はいずれも遺伝子を傷つけるので、ガンの原因になります。放射性物質から遠ざかればアルファ線もベータ線も怖くありません。なお放射線防護服は放射性物質が体に付着しないための化繊の服で、ガンマ線を遮る力はありません。体外被曝はシーベルト値が高くてもその場を離れれば被曝量が減りますので、主に急性症状が出ない値を安全な範囲とします。これに対して内部被曝はもっと危険です。放射性物質を吸ったり食べたりすると内部被曝になります。放射性物質はホコリのように細かくなって原発から飛散したので、雨とともに地上に流れ落ちて地表にたまりました。これを直接吸い込んだり、農作物や魚介類を通じて食べたりすると内部被曝になります。するとエネルギー量の多いアルファ線やベータ線の放出源が細胞のすぐとなりにくるので、体から外に抜けるガンマ線より危険になります。幸いアルファ線を出す物質はウランやプルトニウムなど限られているので、福島原発の場合ベータ線とガンマ線を出すヨウ素131やセシウム137が危険視されました。物質により体内にとどまる時間や出す放射線の種類が違います。内部被曝と体外被曝を同じシーベルト値で計算するのは無理があり、内部被曝の危険度を見積もるのは容易ではありません。またガンマ線は体外に出て来るので体外からその量を測定できるのに対して、アルファ線やベータ線は体内で吸収されるので体外から内部被曝量を直接測定できません。そこで排泄物を測定して体内の放射性物質の種類と量を推定します。福島市でも放射線量が高く、年間5.2ミリシーベルト超の放射線管理区域に相当する場所に普通の人が暮らしています。放射線防護法によれば、そうした区域では飲食は禁止で用のない人はそこに長くいてはいけません。それは危険な内部被曝を避けるためです。ホコリを吸い込んだり、汚染された食物から取り込んだ放射性物質による内部被曝はガンの増加という形で将来現れます。そのガンでたとえ死ななくても、病気になり普通の生活ができなくなるのは困ります。若い人ほど放射線に敏感で残りの人生も長いので、ガンが大きくなる時間がありその分危険です。内部被曝に安全な限度はありませんが、たとえ有機栽培の野菜や果物でも微量の自然放射線を出すので、その値以下にするのは無意味です。一般人にとっては、急性症状が出る外部被曝よりこれから数十年かけて出てくる内部被曝のほうが怖いので、特に40歳以下の人はなるべく内部被曝を避けます。家の周りの放射線量を測定し、たまった放射性物質は水で下水に流すという対策があります。また子供にはできるだけ汚染されてない食物を与えます。食品のベクレル値の暫定基準という数値にはふたつの意味があり、どこまでが安全かどうか分からないのでとりあえず決めた暫定値という意味と、内部被曝は少なければ少ないほど良いのであくまでも目安として使えという意味があります。繰り返しますが、内部被曝ではどの放射性物質をどれだけ体に取り込んだかが将来の健康を左右します。

2011年6月25日土曜日

福島原発で何があったのか

3月11日の地震と津波で壊れた福島第一原発の事故から3ヶ月以上たち、当時の情報が政府や東電から部分的に公表されるようになりました。日本で初めての炉心溶融事故ですから、現場にいる人たちは相当な困難があったろうと思います。誤報や誤操作もあったでしょうし、地震の直後に津波の危険性にまで注意が行かなかったのも不思議はありません。電気がなく、携帯もつながらない中で死者を出すことなしにあの程度の放射能汚染で食い止めたのは決死の作業を行った現場の人たちのおかげです。公表された資料から3月15日と16日に計3回の放射線量の山があったことが分かります。この二日間に大量の放射性物質が空に舞い上がり、風に乗って静岡まで汚染したのでしょう。16日には3号機の格納容器の破損が疑われ、作業員が全員退避するところまで行っていました。もう少しでチェルノブイリ級の事故になっていたのです。公表された事実からだけでも相当危険だったことが分かります。もっと詳しい情報は無料のアプリにまとめましたので、興味のある人は以下のリンクからインストールして下さい。
iPhone/iPod版アプリ名 Fukushima311 福島311
http://itunes.apple.com/us/app/fukushima311/id436733648?mt=8
iPad版アプリ名 Fukushima311HD 福島311HD
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自己責任の国

アメリカはもともと自由の国ですから、法律で禁止されてない事以外はすべてやってよい事になっています。その結果自分が不利益を被ったとしても、自己責任ということです。フリーロッククライミングとか、バンジージャンプとか、インラインスケートで通勤するとか危ないけど勝手にやってます。犯罪歴が無ければ普通に銃を購入できるし、家に護身用に置いている人も少なくありません。政府や警察に治安を守ってもらうにしても、自分の身を守るのは自分だという昔からの伝統があるようです。こうしたアメリカ流のやり方は、少なからず日本にも影響を与えています。日本の原発問題で今でも日本には大本営発表の伝統が生きていると知らされました。敗退を転進と言い換えたかつての大本営のように、直ちに健康には影響がないという言い方が多用されました。3月15日に2号機の圧力抑制プールが爆発した時、東電は圧力抑制プールで異音がすると言いました。この日に3月で最大の放射能汚染が起きています。炉心溶融も最初の週には東電から政府に報告が行っていたにも関わらず、国民に知らされたのは5月に入ってからです。自分の身は自分で守るという自己責任の国に日本もなったという事でしょう。マスコミも当てになりません。政府や東電の発表を右から左に流すだけで、自分の足で生情報を集めたり分析したマスコミはほとんどありません。政府や東電と対立することがそれほど怖いのかと情けないかぎりです。政府や東電の発表を流すだけなら、インターネットで十分です。都合の悪い事を隠すのが政府と東電の姿勢ですから、発表されてない事実を掘り出してくるのが購読料を取るマスコミの役割です。パニックとは誤った情報をもとに不合理な行動をすることですから、安全だといっておいて急に危険だから避難せよとなるとパニックを誘導します。最初から危険だから避難せよと言えばパニックになりません。危険だから避難するのは合理的な行動です。最悪の事態と最良の事態の両方を知れば不安は減ります。日本は、身の回りの放射線量は自分で測定して家族と自分の身を守る、アメリカを超えた自己責任の国になったようです。

2011年6月4日土曜日

日本の原発

ここ2ヶ月ほど原発の勉強をしました。その結果分かったことは、自分は大事な事を何も知らなかったということです。原子力発電所は電気が無いと危険な状態になるという事も知らなかったし、関東に電気を送るために福島県に10機もの原子炉がある事も知りませんでした。海沿いにある原子力発電所が津波に弱いことも以前から指摘されていたのに、それも知りませんでした。東京電力が事故を隠す傾向がある事も知らなかったし、日本政府に原子力を規制する立場の団体が無い事も知りませんでした。ちなみにアメリカにはNRC(原子力規制委員会)というものがあり、推進派と規制派はバランスが取れています。福島原発の事故はアメリカでも大きな話題になりました。フランス人は放射能漏れに慣れているらしく、大きな問題ではないという意見が目立ちます。それに対してロシア人は、チェルノブイリを思い出して子供は早く避難しろと言います。アメリカ人はスリーマイル島の事故から原発での炉心溶融はあり得る事だと知っているので、こうした事故が日本でも起きた事には驚いていません。むしろ地震後の津波被害のほうが衝撃がありました。日本は大地震や大津波があるので、原発には向かない国だとマサは思います。日本はこれから地震が多発する時期に入ります。関東大震災だけでなく、静岡県沖地震も起きるでしょう。福島原発の事故は日本全国どこでも起きると覚悟した方が良さそうです。事故には発生確率とその結果起きる被害総額があり、両者を掛け合わせた数値で起きた場合の事故の深刻さを見積もります。日本の原発で炉心溶融が起きる確率は小さかったでしょうが、その結果放射性物質がまき散らされて人が住めなくなり、電気が足りなくなって産業が萎縮するという被害全体を考えると、両者を掛け合わせた数値は決して小さくないとマサは思います。今回の東北地震は1000年に1度の大きさだそうですが、津波は100年に1度の大きさです。100年に1度の津波で壊れる原発では危なくて使えません。世の中には絶対に安全なものなんて無いし、人間が作ったものはいずれ壊れます。昔東京に住んでいて福島に危険な原発を押し付けた人間のひとりとして、福島の皆さんにマサは謝罪したいと思います。

2011年4月8日金曜日

建前と本音

アメリカ人にも建前と本音はあります。でも日本の人と比べると、建前と本音の距離がはるかに近いように思います。本音に近いところで生きている人が、とくにマサの身の回りには多いようです。自由を求めて海を渡った人が作った国ですから、自由に物を言う事は大事なことだとされています。日本の会社に勤めていた時に、会議で建前しか言わない人がいると何も決まりませんでした。シリコンバレーの会社で建前を振りかざすと確実に嫌われますし、まずそうした人はマネジャーになれません。日本も会議で本音だけ話すようにすれば意思決定の速度がぐっと速くなること請け合いです。もちろん本音を話すには勇気が要ります。日本人は聖徳太子いらい隣の人と和をもって接するのが良いとされていますから、事を荒立てるよりは穏便に何も決めない会議となりがちです。全員で責任を負うというのは、結局誰も責任を負わないということです。IT業界という意思決定の速度が一番大事な業界にいると、沈んで行く企業はやはり意思決定が他より遅いように思います。人間年を取ると保身に走り建前をかざすようになりがちですが、ここでは職業上の欠点となります。日本の会社は、こうした本音で勝負するアメリカの会社と戦っているのですから、建前中心の議論では意思決定の速度で負けてしまいます。会議は建前でなく本音を言う人だけで議論しましょう。すべての意見には前提があるので、もし納得できない意見があればその前提を確かめましょう。アメリカ人と仕事をするコツは誠実であることです。建前と本音という2枚舌をもっていると誠実であるとは見られません。客観的なデータと人の意見を区別し、議論には本音で望む、そうすればアメリカは日本以上に仕事をしやすい環境であるとマサは思います。

2011年3月21日月曜日

敬語の乱用

今回の日本の大地震と津波、それに原発の事故はアメリカでも大きなニュースです。会社でもお前の(日本の)家族は無事かとよく聞かれます。亡くなった方のご冥福をお祈りします。さて日本のニュースをみていてマサが気になったことがあります。それは企業や官庁で発表する人の発表方法が下手なことと、やたら敬語を使う事です。発表方法が下手なのは普段から練習をしていないからで、これは学校教育とも関係があります。それはそれとして、敬語の乱用にはがっかりしました。内容の不足を敬語の乱用で誤摩化しているようにすら聞こえます。「亡くなられた方」と長くするより「亡くなった方」と短く言うほうが簡潔で分かりやすいでしょう。日本語は同じ事を言うのに英語よりずっと長い時間がかかります。また語順がバラバラで最後まで聞かないと否定文か疑問文かも分かりません。だから災害の時こそ簡潔にしゃべる必要があります。無駄に敬語をつかうのは止めて、発表には簡単な日本語を使うようにお願いします。馬鹿丁寧というか、敬語に敬語を重ねて使う人もいますが、これは誤りですので止めましょう。敬意がなくても敬語は使えるので、敬語を使っていても敬意があるとは限りません。それに日本にいるのは日本語を母国語とする人だけではありませんので、重大な発表を回りくどい言い回しで言うのは禁物です。「〜していただく」とか「〜させていただく」という言い方も多すぎるようにマサは思います。敬語の乱用について皆さんはどう思いますか。

夏の仕事着

シリコンバレーでは、普段の仕事着はビジネス・カジュアルといって、シャツにスラックスかジーンズが一般的です。アップルのCEOであるジョブス氏が、製品発表のときに必ず黒いタートルネックと青のジーンズで壇上にあがるのは恒例です。22年前にマサがシリコンバレーの会社に入社した時ですら、もう仕事着はビジネス・カジュアルでした。日本では夏がとても蒸し暑いのに、今でも仕事で長袖の上着を着てるのがとても不思議です。お手本にしたイギリスは夏がそれほど暑くないので、それを真似して日本で夏にネクタイと上着を着用するのは無理がある思います。特に今年は東京で大幅な電力不足が予想されており、この機会に夏の仕事着を沖縄の「かりゆしスタイル」に変えてはどうでしょうか。公式の仕事着として官公庁から浸透させ、それとともにエアコン電力削減のために冷房温度を上げます。冗談ぬきで今年の夏は関東でエアコンを使う余力はないので、服装を沖縄スタイルにして切り抜けるのが良いとマサは思います。同じイギリスをお手本とするオーストラリア北部の夏の正装は半ズボンに半袖シャツですから、もし外国を真似したいならオーストラリアを真似するといいでしょう。アメリカも東海岸はもっと保守的でIBMなど相当長い間シャツにネクタイを仕事着としていました。その結果元気な若者と新しいビジネスはみな西海岸にいってしまい、さすがのIBMもビジネス・カジュアルとなりました。日本もこれからの季節、ぜひビジネス・カジュアルを正式な仕事着と定めて夏の電力不足に対処しませんか。

2011年2月27日日曜日

大学生の就職活動

マサの身の回りでは、大学生の就職活動というとインターンシップが多数を占めます。以前にも書きましたが、アメリカは本当に色々な人がいますので、会社の求人広告に応募してくる人から選ぶのはあまり効率がよくありません。従業員のコネを利用して選ぶほうが結果的に効率が良いので、アメリカの就職活動ではコネが重視されます。人の流動性が高い国ですから、必然的に失業率はある程度以下には下がりません。そうした状況で学卒の新人は経験がないと就職活動に不利になります。それを補うため学生と企業の双方がインターンシップを利用します。ほとんどの大学でインターンシップは単位になりますし、大学によっては1学期程度のインターンシップを必須科目としているところもあります。学生には、自分がどの仕事に向いているかを知るいいチャンスですし、希望の企業にコネを作るいいチャンスです。アメリカは現場のマネジャーに人事権があるので、そうしたマネジャーのもとで実績を上げておけば、そこから「うちで働かないか」という誘いが来ます。雇う方にしても、数ヶ月働かせてみて使える人間かどうか判断できるので、日本でいう試用期間みたいなものですけど、双方に利点があります。新人を雇う企業としては、経験者より安い賃金で良い人材を手に入れることができます。日本では就職活動がだんだん前倒しになって大学3年から始めるとか。これは日本全体にとってマイナスに働くと思います。勉強する時間を削って早くから就職活動をする大学生と、数多くの学生を相手しなけでばならない大手企業の人事は無益な時間を過ごすことになります。新卒の一括採用という方式に無理があるのではありませんか。以前とくらべて猫も杓子も大学にいく世の中です。頭数をそろえて4月に採用し、数ヶ月の人事研修のあと現場に配属するだけでは新人の質を維持できないのが現状です。大学生の平均レベルが落ちている以上、企業はインターンシップを活用して良い学生を選びましょう。大学もインターンシップを必須科目として単位に認定しましょう。人事は新人の一括採用という無理をやめ、通年採用に切り替えて現場に人事権を与えましょう。大学生の就職活動は、それを社会人教育として考えれば無駄ではありません。通年採用になれば、大学を卒業してすぐに企業に就職する必要はありませんし、卒業後数年以内の退職者が不利になることもありません。日本の新卒偏重は曲がり角にさしかかっているとマサは思います。

2011年2月22日火曜日

360度評価

アメリカの大学では、学期の最後の授業が終わるとマークシートが配られて、記名でその教師の評価を行います。授業の進め方、宿題の量、質問への答え方、授業外での質問できる時間の量、教科書の善し悪し、テストの善し悪し、授業中の生徒との対話の量、授業に対する満足度などを5段階評価で記入し、学生が全員の分を集めて教務課に持って行きます。この結果は教務課でまとめられて、期末テストが終わり学生に成績が付いた段階で教師とその上司に伝わります。点数が甘い先生が評判も良いとは限りません。学生は割と率直に授業に熱心な先生には良い評価を付けます。もしこの仕組みが日本の大学にもあれば、淘汰される先生も出てくる事でしょう。おなじように会社でもシリコンバレーの場合、部下がその上司を評価してその上の上司と人事に定期的(四半期ごと)に記名で報告するのが普通です。いわゆる360度評価というものですが、部下が同僚の評価だけでなく上司の評価もするのがすごい点です。以前オンラインオークションの会社にいたときに、隣のマーケティング部門で女性従業員たちが団結して彼女らの直属の上司を追い出したことがありました。日本のように年齢が上というだけで従う部下はいませんから、マネジャーになる人はある程度周りから尊敬され好かれる必要があります。また部下どうしではひとりにつき3人から上司が評価を求めます。この3人は仕事で関わりのあった人間で、そのうちひとりは自分とは別の部署の人を選ぶ必要があります。それぞれの評価は上司と人事にのみ送られ、公式記録としてファイルされます。評価する人を選ぶのは自分なので、なるべく良い評価をしてくれそうな人を選びます。なおマネジャーから指定されなくても、他の人が自分の評価を自分の上司と人事に勝手に送る事ができるので、360度評価とはチームワークが重視される評価方法と言えるでしょう。評価には具体的な例を示す必要があり、根拠のない評価は価値を持ちません。評価軸には、顧客満足度、専門知識、独創性、チームワーク、コミュニケーション、時間管理、頼りがいなどの項目があり、会社によってはさらにコンテストなど会社行事への参加度も含まれます。

2011年2月12日土曜日

労働時間

年棒制で働く場合、1日8時間を超える労働時間には給料は出ません。残業手当はないので、休日出勤しても手取りは同じです。こうした制度のもとでは、人はなるべく効率よく仕事して残業せずに退社しようと努力します。残業がゼロになることはないものの、日本のような残業手当を目的とした長時間労働はなくなります。仕事の効率を上げるには、無理をしない、無駄を減らす、ムラをなくすという日本でもおなじみの方法の他に、コンピュータにできることはコンピュータにやらせて、人は人間にしかできないことに集中するという方法もあります。繰り返しやる仕事はコンピュータ化できるので、仕事の効率化で残業を減らすのは年棒制ならば当然の行為になります。その結果アメリカのホワイトカラーは、感覚的に言うと日本の半分の時間しか働いていません。マサはよく冗談で、日本人はアメリカ人の倍の時間働き半分の給料をもらうから、アメリカ人の4倍の生産性があると言っていました。でも最近は円高が進んで給料はほぼ同じになりました。何で測るかにもよりますが、時間当たりの仕事量を効率とすれば、平均で日本はアメリカの8割ぐらいだそうです。マサの今までの経験からすると、このあたりのIT産業ではアメリカの効率は日本の倍とみて良いでしょう。だから日本人はアメリカ人の倍の時間働いて同じ仕事量になります。逆に言うと、日本人が1日10時間かけてやる仕事をアメリカ人は半分の5時間で終わらせるということです。アメリカ人は自分の仕事が終わるとさっさと退社します。仕事の前か後に学校やジムに行く人は珍しくありません。社外の友人とスポーツをしたり、家の手入れをしたり、子供がいればサッカーのコーチをしたりと結構プライベートが忙しいのです。給料を得るために拘束される時間が短いと、その分家族や地域への貢献、あるいは自分への投資ができます。労働時間は短い方がいいと頭では分かっていても、ワコールのような例外をのぞいて日本ではまだまだ長時間労働を良しとする企業文化があります。人は測られる物差しによって働き方を変えるので、ホワイトカラーを年棒制にすることで仕事の効率を上げれば、労働時間が減るとともに少子化にも歯止めがかかるのではとマサは思います。

2011年2月11日金曜日

タバコ

シリコンバレーの会社は法律によりすべて禁煙です。こうした公共の場所は禁煙というのが今のカリフォルニアの法律なのです。市によってはアパートの玄関や廊下だけでなく室内まで禁煙にしているところもあります。喫煙は自宅または自分の車の中だけで許されています。喫煙は周りの人に有害な物質を出す行為なので、非喫煙者の健康を守るためにこうした法律が作られました。そのため会社でタバコを吸いたくなったら、建物の外で入り口からある程度離れた場所に行かなければなりません。そうした場所に灰皿がある会社もあれば、屋根すらない会社もあります。でもこの地域の喫煙率は低いので、ほとんど文句は聞きません。困るのはヨーロッパや中国、日本から来た人たちです。これらの国では喫煙率がまだ高いので、タバコを吸いたい人がたくさんいます。会社の中や近くでは吸えない場合、禁煙するしか手がありません。ホテルも喫煙の部屋と禁煙の部屋に分かれていますし、健康保険も喫煙者は保険料が高くなります。アメリカは禁酒法時代にギャングに手こずったので、タバコを法律で禁止することはありませんが、タバコの税率を上げて喫煙率を下げようとしています。日本は昨年タバコの税率を上げたので喫煙率がどうなるか興味を持っていたところ、あまり下がらなかったとのことで、むしろタバコ会社は売り上げが増えてよかったね、という結果らしいです。日本でも禁煙の会社は増えているようです。ところが出入り口の近くに喫煙者が集まるので、そこを通過するたびにタバコの害に曝されることになります。またタバコを吸った人は体や衣服にタバコの有害物質や臭いが付いているので、その人の近くに行くのはあまり気が進みません。タバコ休憩が社内の非公式情報を交換するいい場であることは認めるので、せめてその場所を出入り口の近くには設けないでほしいというのがマサの願いです。屋上とか喫煙室とかに限定できないでしょうか。あとタバコの税率をもっと上げて、喫煙率を今の10分の1にできたら日本の医療費が半減するのではと勝手に期待しています。

2011年1月25日火曜日

人の採用

人の採用方法の違いについて書きます。日本では4月に新卒の人が会社に入社します。そのため会社の人事は前の年に候補者を選び内定を出して人材を確保します。マサも30年前に日本の会社の面接を受けて入社しました。アメリカのIT会社が人を採用する場合、まず現場のマネジャが人数と職種について上層部の許可をもらいます。現場のマネジャに人事権があるので、採用も現場中心で行います。新卒よりも経験者が優遇され、一緒に仕事することになるチームメンバーがひとりひとり面接します。新卒者は戦力になるまでに時間がかかるので、就職においては不利です。それを補うのがインターンシップです。学生は目当ての企業にインターンとして数ヶ月働き、自分を売り込みます。会社はめぼしい学生を捕まえて、その仕事ぶりを見極めます。経験者の採用では、まず電話による振り分けがあり、チームリーダーが30分ほど電話で質問してチームメンバーによる面接に持ち込む価値があるかどうか判断します。社内の人の紹介でもこのスクリーニングは欠かせません。もし良さそうだとなれば、会社に2回以上来てもらってチームメンバーとの1対1の面接が始まります。これは一種のお見合いなので、将来の同僚としてどうかいろいろな方面から質問します。プログラムをその場で白板に書いてもらうこともよくあります。面接されるほうも、ここで会社の社風や人間の種類を見抜きます。採用するマネジャも最後に面接します。これにパスすると人事による背景調査があり、過去の犯罪歴とかで問題なければ2回目の面接に進みます。関係する他のチームのリーダークラスと面接があり、採用するマネジャの上司とも面接します。そこでOKとなると数日後そのマネジャが出せる給料を提示し、候補者がそれに合意すれば採用決定となります。人気の職種では、最終面接までいっても他の会社に取られることもあります。アメリカの募集では仕事の内容、期待されるレベル、出張の有無とその量、必要な資格や学歴などがはっきりしています。まず仕事ありきでその仕事に必要な人を採用するという発想なので、面接も焦点がはっきりしています。また現場のチームメンバーが面接するので的確な質問ができます。ただしアメリカの雇用機会均等法は徹底していて、面接で年齢や家族など仕事に関係ない質問をするのは違法です。履歴書には性別も写真もありません。仕事に関係ない事柄で落としたりすると訴えられます。女性を雇う場合、結婚しているかどうか、子供がいるかどうかも聞いてはいけません。あくまでも人物本位でその仕事に適するかどうかを判断することが求められます。英語で話せるか、チームメンバーとして一緒に働けそうかも面接の中で判断します。面接者全員が納得しないと採用されないので、面接される方は1日でぐったり疲れてしまいます。