2009年11月30日月曜日

ゴミの出し方

アパートなどの集合住宅と一軒家とでは違います。集合住宅には共同のゴミ箱があって、そこに入れておくと毎週一回業者の車がゴミを取りに来ます。一軒家ですと、毎週一回業者の車がゴミを取りにくる日が決まっていますので、その日の前の晩に自分の家の前の道路にゴミ箱を出しておきます。ゴミ箱は業者指定のものを買って使います。容積に応じて料金が変わり、マサの住む町では最小32ガロン(約121リットル)入りの容器のゴミを毎週引き取ります。ゴミをたくさん出す人は料金もそれなりに増えて、全部で3段階あります。リサイクルは徹底していて、分別はしません。紙、プラスチック、ガラス、金属など生ゴミや不衛生なもの以外はほとんどリサイクルしています。以前は日本のように分別をしていましたが、分別をしないほうがリサイクルされるゴミの量が確実に増えるので、分別をやめたそうです。たしかにいちいち表を見ながらこれは月曜日、あれは火曜日とやるよりラクです。日本のある町ではなんと30種類にも分別して出すそうなので、その町の人が聞いたら卒倒するんじゃないかと思います。自治体が入札して選んだ民間の業者がゴミ処理します。リサイクルできないものは谷間の埋め立てなどで処分するので、捨てるものの容積をなるべく減らそうとします。そのためリサイクルに熱心な業者を選ぶようです。最近変わった新しい業者はビニール袋の回収も始めました。専用の容器を使ったエンジンオイルの回収や使用済み電池の回収もあります。今はないけど後ほしいのは蛍光灯の回収ぐらいです。リサイクル用のゴミ箱は容積によらず一定の料金で、リサイクルするほど合計料金がお徳になります。生ゴミ用のゴミ箱の3倍の容積はあると思います。ゴミ箱はほかに庭の落ち葉や枝など腐葉土のもとになるものを回収する箱があるので、合計3種類あります。道路が広いためこれらを道路に出しておいても車の通行には支障はありません。業者の車にはこうしたゴミ箱を引っ掛けて持ち上げる装置がついていて、運転手を含め2人の人間が手際よくゴミを回収していきます。日本のようにゴミを袋のまま道路に積み重ねて、作業員がそれを車に放り込むという方式とは違います。道路が広いからできることですが、理想的な回収方法だと思います。自分の家の前にあるのは自分の家のゴミだけですので、縄張り争いにはなりません。ゴミの捨て方はその国の文化水準を測るいい物差しだと思います。さて分別しないでリサイクルする方法ですが、清掃工場で機械と人手を使って分別するそうです。もしリサイクルできないものがリサイクル用のゴミ箱に入っていると、回収作業員による大雑把なチェックが入り、そのゴミは回収されずにそのまま残されます。なお粗大ゴミは別料金になるので、電話で予約して別に来てもらうか自分で車で運んで回収費を払います。1年に1回は無料でテレビやパソコンなどの家電を廃棄できます。集合住宅にはやはり3種類の大きなゴミ箱があって、リサイクル用と生ゴミ用、それに草木用に分かれています。草木用に集めた落ち葉や枝などは腐葉土にして無料で市民に配るほか、公園や植え込みなどにも利用されています。

2009年11月26日木曜日

勤勉は金か

日本人は勤勉だと言うのが定説です。そう思っている日本人は多いと思います。ですが、勤勉なのは日本人だけではありません。だれしもお金が儲かるとなれば長時間働くものです。日本では残業手当のおかげで長時間働いて収入を増やすという手があります。アメリカでは年収ベースですので、働く時間と収入は比例しません。日本の高度成長は多分にこの長時間労働のおかげではないかとマサは考えています。これにより見かけ上の労働コストが下がるので、輸出産業には追い風となります。ところが、長時間労働は中国やベトナム、インドなど他の新興国でも可能な手です。日本では今以上に労働時間を増やすことは無理ですので、この手はもはや通用しません。ですがいまだに勤勉は金だと思っている人が大半ではないでしょうか。じつはマサにも経験があります。毎日12時間近く働く日が1ヶ月以上続くと感覚が麻痺してきて長時間労働が苦にならなくなるのです。しかし実は体の具合は着実に悪くなり、新しいアイデアも浮かばなくなり、ストレスが溜まってきます。それでも感覚が麻痺しているため、長時間労働が悪いことだという発想が起きないのです。このままいくと過労死するか、うつ病になるのがオチです。長時間労働は悪です。勤勉はもはや金ではなく、当たり前となり誰にでもできるものです。日本人だけが勤勉なのではなく、人間だれしもチャンスがあれば勤勉になります。長時間労働に頼らない経済運営を日本は考える必要があります。今以上労働時間を増やせないのであれば、どうすれば国際競争力を上げられるのでしょうか。小泉内閣時代の答えは、派遣労働者を増やして労働コストを下げることでした。それには当然マイナスの面があって、景気の悪化とともに派遣の首切りが問題となりました。低賃金の労働者を増やすことは短期的には産業に利益をもたらしますが、長期的には消費者の購買力を下げデフレを招きます。天然資源のない日本の産業のひとつは観光であるべきで、小泉内閣がその方向に舵を切ったのは評価できます。車や電気製品の輸出のみに頼るのではなく、観光による外貨収入や円高を利用した海外投資で日本を支えることも必要かと思います。勤勉は当然として、長時間労働ではなく平日8時間労働で食べていける社会にしませんか。そのために頭を使い、日本に観光客をたくさん呼べるしくみを作りませんか。国内だけを相手にしている産業は、日本の人口が減少するため衰退します。内需の減少は海外から観光客を呼ぶことで補い、多くの産業が成長の機会を国外に見つけるのがこれからの日本の生きる道ではないでしょうか。

2009年11月16日月曜日

教育の目的

日本の教育の目的って何でしょう。受験競争の中にいる子供たちにはかわいそうですが、ここが合意できてないとその先の話がまとまりません。日本は総論賛成各論反対の国なので、まず土台をはっきりさせましょう。マサの意見では、教育の目的は子供を独立した人間に育て上げることです。極端に言えば、将来ホームレスにならないために勉強するのです。自分で自分の生活費を稼げるのが大人です。人からお金をもらうには、人に役立つことをする必要があります。人の役に立つ人間になるには、教育が必要です。英語が得意な人は英語が必要な仕事をします。理科が得意な人は理科の知識が必要な仕事をします。美術が得意な人はデザインの仕事をします。自分で何が得意かを知るには、なんでもやってみる必要があります。学校はそのためにあります。学校でいろいろな教科を学びますが、全部で高得点を取る必要はありません。何が好きで何が嫌いかが分かればいいのです。親は子供が金持ちになって欲しいとは必ずしも思っていませんが、子供が幸せになって欲しいとは思っています。教師とは人の一生を左右する大事な仕事です。日本の資源は人しかないのですから、教育が日本という国の将来を左右する要であることは間違いありません。日本の国際競争力は教育にかかっています。インドや中国、韓国などは日本以上に国家として教育に力を入れています。国際的にみて、人の役に立つ人間を生み出す事が日本の教育の目的だとマサは思います。日本人の親として、少人数学級化や学校行事の廃止、高校の義務教育化などでぜひ教育の質を上げてもらいたいと願うものです。そして教育の質の向上には、情報発信能力の強化を含めて欲しいと思います。自分の意見を人に説明できるという能力は、当たり前ですが誰にでも必要です。それこそが日本人の弱点ではないかとマサは思います。

2009年11月13日金曜日

アメリカの教育

アメリカの公立小中高校では、教科書は教育委員会から子供に貸与されるもので、普段は学校に置いておきます。通学時に持ち運ばなくていいので、教科書は電話帳のように大きくて分厚くなっています。また同じ一冊を毎年別の生徒が使いますので、書き込みなどは禁止です。宿題はプリントにして渡されます。また各学校にはインクラスというサイトがあって、インターネットから生徒が自分の学生番号でログインすると、各教科の進み具合や宿題、テストの日付などがわかるようになっています。先生はメールアドレスを親に公開していて、電話よりもメールでの連絡を好みます。3ヶ月に1回ぐらいの割合で平日の1日を先生の研修の日と定めていて、普通は金曜日か月曜日にもってきますが、その日は子供は休みになります。学校は初日からいきなり授業で、入学式や始業式といった行事はありません。唯一卒業式だけが行事らしい行事でしょう。運動会もありません。文化祭もありません。そのかわり中学と高校ではたまに金曜日の夜ダンスパーティをやります。体育館を先生と親が飾り付けて、子供たちが音楽に合わせて夜の7時から10時くらいまで踊ります。これは金曜の夜に子供がいかがわしいところへ出向くのを防止するためだと思います。また教育方法は教師と生徒の間の双方向のやり取りが主体です。日本だと、教師が一方的にしゃべって生徒はひたすらノートを取るというような授業もありますが、アメリカだと教師が出した疑問に生徒が答える形で進む授業が普通です。クラス全員の前で生徒が何かを発表することも多く、人前でしゃべる訓練になります。高校には演劇のクラスがあり、その先生は「ここでは、失敗を恐れずに人前でしゃべる練習をしている」と言ってました。どんな立派な意見でも人に分かってもらえてナンボですから、こうした情報発信の技術を小さいころから学ぶアメリカ人には、普通の日本人は話す能力において敵わないと思います。これは英語以前の話で、自分の意見を根拠を示しながら説得力のある話し方で表現する技術は、日本でも必要です。テレビの街頭インタビューなどを見ていると、日本の若者は特にこうした話す能力が低いように思います。意思の疎通がうまくいかないため悩んだりキレたりするのであれば、教育の目的を再度確認したほうが良さそうです。

2009年11月11日水曜日

英語教育

英語教育は大きな話なので、とてもじゃないけどブログの記事ひとつにはおさまりそうもありません。だけどまず最初に決めなきゃいけない事があります。それは「英語」とは何かという事。日本語は日本というひとつの国でのみ話されている言語なので、一応標準語というものがあります。それに対して「英語」は複数の国で使われてるので、世界的な標準語というものはありません。英国においてすら、イングランド、スコットランド、ウェールズと複数の地方があり、それぞれ違う発音と語彙の「英語」を持っています。アメリカ英語でも東海岸と西海岸では発音が違うし、テキサス訛りという英語もあります。つまり「英語」とは世界的な標準語がない言語で、アメリカ人からみればイギリス人の英語は京都弁みたいに訛っているし、イギリス人からみればアメリカ人の英語は関西弁のように訛っています。だから「訛りのない英語」は存在せず、すべての「英語」にはイギリス訛り、アメリカ訛り、オーストラリア訛り、それに最近ではインド訛りや中国訛りが含まれます。言語は道具なので、それで意思の伝達ができればいいのです。だからまず、英語とは色々な国の人が共通語として使う言語であり、標準語は存在しないと定義しましょう。日本で学ぶ「英語」は主にアメリカ英語です。普通の日本人にはイギリス英語とアメリカ英語の差はあまり見えてきませんが、京都弁と関西弁ぐらいの差があります。日本における英語教育とはアメリカ英語を教えることであり、その目的はアメリカ英語で日本以外の国の人と意思の伝達をすることでしょう。通じる英語を使うには、まず日本語での国語力が必要だと思います。日本語での読み書き、話す聞くがちゃんとできて初めて外国語が使えます。だから小学生への英語教育は、世の中には日本語以外の言葉と文字があることを知らせる程度で充分です。それには日本語にある外来語、つまりカタカナで書かれた言葉の元の意味を知るだけでいいと思います。そこから始めて、つぎには英語で挨拶ができれば小学生としては充分です。そこから先は文法が大切になるので、中学校で学びましょう。よく発音を問題にして英語の早期教育を煽る業者がいますが、どうせ母国語のレベルにはならないので、小学校5年ぐらいからの英語教育で充分です。道具として使える英語を身に付けるには、日常生活の中で毎日英語を使う必要があり、今の日本ではそこまでいっていません。それが日本人が英語を苦手とする理由です。本当に英語を自分のものにするには、英語を使わないと生きていけないという環境に自分を追い込むのが一番です。日本語訛りの英語でも、語彙と文法が正しければ意思の伝達はできます。要は「大人の英語」を使えることが大事で、それには「大人の日本語」を使えることが必須です