2012年12月26日水曜日

専業主婦はお金持ち

ここシリコン・バレーは生活費の高い場所です。家も高いし物価も高い。他の場所なら一千万円ぐらいで買える中古の一軒家も、ここだと少なくともその5倍はします。そのため普通に暮らすには共稼ぎが欠かせません。旦那の稼ぎだけではいい場所に家を買えないでの、ほとんどの家庭は共稼ぎとなっています。言い換えると、専業主婦ができるのはお金持ちだけです。優雅な暮らしをしている家では、専業主婦の奥さんは朝からエアロビクスのジムに出かけて、一汗かいたら同じ専業主婦の奥さんとランチを楽しみます。その後買い物をするか映画を視るかボランティアにいそしむかは人それぞれです。アメリカの家事はもともと簡単な上、そうしたお金持ちはお手伝いさんを雇うので、専業主婦の奥さんは暇です。専業主婦ができるのはお金持ちの証なので、希望者は潜在的にたくさんいます。でもそうしたお金持ちになるのはごく一部の人たちです。ここで暮らす生活費と老後の蓄えのためには共稼ぎが必要です。そうした共稼ぎは家事の現金化につながり、国の経済活動としてはプラスの働きがあります。たとえ共稼ぎの収入の半分が子供の世話や掃除のサービスに消えるとしても、共稼ぎは家族の将来に役立ちます。子供が高校生になれば手が離れるので、その頃になると共稼ぎの家は楽な暮らしができます。仕事をするのが嫌でなけでば、アメリカでの共稼ぎには十分な利点があります。もし日本がこの方向に向かうのであれば、法律を整備して子育て中のカップルを差別しない国にする必要があります。例えば就職面接で女性に子供がいるかどうかを尋ねるのは禁止します。履歴書に家族構成を書かせるのも違法です。長時間労働をさせる会社には罰金も必要でしょう。また労働者にも時給ではなく年収で働く覚悟が求められます。つまり残業代は出ないという仕組みです。子育てと長時間労働は両立しません。もし幸運にも親の援助が得られれば、そうしたカップルは子育ての一部を親に頼むことが出来ます。共稼ぎの家の子供の世話は、定職を持たない老人にもできる数少ない仕事です。日本でも専業主婦がお金持ちの証となる日はそこまで来ています。

2012年12月20日木曜日

事実と気持ち

昨年の福島原発事故で現地入りした某大臣が、誰もいない町をゴーストタウンのようだと報道陣に語ったことがあります。でもこの発言は、被害者の気持ちを無視した表現だとすぐにマスコミに叩かれました。ちょっと待って下さい。日本では何を言うにも聞き手の気持ちが一番大事なのでしょうか。大臣は客観的にみてゴーストタウンのようだと言いました。それ自身は事実です。嘘をついた訳でもなく、不正確な事を言った訳でもありません。むしろ不気味さを表す的確な表現でした。現地入りした人ならだれもが思った事のはずです。例えて言えば、裸の王様を裸だと言ったのと同じです。それが王様の気分を害するとして、取り巻きが文句を言うのは筋違いです。もう不都合な事実から目を背けるのは止めませんか。まず事実を公表するのが報道です。聞き手の気持ちを考えるのは事実を明らかにした後の話です。気持ち重視ではすぐに感情論になって議論が前に進みません。報道する時は事実だけを記事にして下さい。気持ち云々は記者の意見であり、安易に記者の意見を記事に混ぜるのは週刊誌だけで十分です。大臣の発言に市民がどう思ったかを記事にしたければ、否定と肯定の両方の意見を市民へのインタビューの形で載せるのが正しい新聞記事です。一方的な意見だけでは広告と変わりません。記者の意見を述べたければ、ぜひ社説でお願いします。

2012年12月15日土曜日

TPPの黒船効果

Trans-Pacific Partnershipを省略するとTPPになるようです。関税を撤廃すると日本の農業は成り立たないという意見があります。それほど日本の農業は国際競争力がないのでしょうか。だとすると、国内でしか買い手が見つからない産業ということになります。ではいったい誰が日本の農産物を買っているのでしょう。日本の労働者ではありませんか。TPPをやめて日本の産業が他国に負けると、誰が日本の農産物を買ってくれるのでしょう。どこからそのお金がくるのでしょう。TPPに参加せず、現状維持を続けたいと思う老人が日本には多すぎます。TPPは黒船です。外圧です。外圧を利用しないと日本の構造改革はできません。だから日本はTPPに参加すべきです。他の国がどんどん変わるのに、日本だけが昔のやり方で勝てるほどグローバル経済は甘くありません。ゲームのルールが変わったら、戦い方も変える必要があります。日本はエネルギーと食料を外国から買うために外貨が必要です。農家を守るのではなく、農業を守るなら方法はいくらでもあります。例えば農業の工業化は日本農業のひとつの道です。この場合、農家は農業法人の従業員になることで国際競争力を手に入れます。農業も工業も日本には必要な産業です。鎖国ができない以上、農業を国際競争力のある産業に育てる必要があります。

2012年12月8日土曜日

選挙とインターネット

これは日本の人もオカシイと気づいているのではないでしょうか。このインターネット時代に選挙でインターネットが使えないのは先進国の中では日本だけです。アメリカは全部やり放題で、インターネットで選挙資金を広く浅く集めたオバマ大統領の例が有名です。日本の議員は怠慢ですね。いつまでこんな時代遅れの公職選挙法を続けるつもりでしょうか。ウェブページが文書かどうかは無意味な議論です。そもそも選挙に使える文書の数を限ることが時代遅れなのです。インターネットならコストはかからないので、配布する文書に制限を付ける理由がありません。今すぐに法律を改めて選挙でインターネットを使えるようにして下さい。インターネットに関しては、アメリカはもとより韓国にも劣るのが日本の現状です。

2012年12月1日土曜日

経済学は歴史学

経済学は過去に起きた事例をもとに後からそれを説明する学問です。それは歴史学に近く、経験則に基づいています。その意味で経済学は科学ではありません。仮説を実験で証明または否定できるものを科学と呼びます。比較対象がないので、一般に経済学の仮説は実験できません。例えば東京と大阪で違う経済政策を取るとか、人口を半分に分けて片方は増税、片方は減税などの実験は不可能です。しかも実験ができないため、何が原因で何が結果だかも分かりません。経済学者ではないマサは、人口減少が日本のデフレの最大の原因だと思います。ところが政治家の一部には、人工的にインフレを起こすことで景気が良くなると言う人がいます。これは本当でしょうか。人工的にインフレを起こすには日銀がお札を刷って国債を買い取ります。でも実際には日本はお金が余っています。そのお金で銀行は国債を買ってきました。国内に有望な投資先がないので、日銀が国の借金を肩代わりしています。正しいインフレは需要に供給が追いつかない場合です。国内の需要は人口の減少とともに減っているので、この局面では自然とデフレになります。デフレであれインフレであれ、大切なのは収入と物価のバランスです。収入が倍になっても物価が倍になるのでは暮らしは変わりません。言い換えると、人々の生産性が上がらないと景気は良くなりません。物価だけ上がって収入が下がる可能性もあります。インフレで楽になるのは過去の借金だけです。過去のインフレは結果であり日本の人口増大が原因だとすると、インフレを起こせば経済が右肩上がりになるという仮説には何の根拠もありません。先進国でこれほど急激に労働人口が減るのは日本が始めてなので、今までの経済学が役に立たないのです。日本のデフレ経済では教育に投資するのが一番だとマサは考えます。年間10兆円もの税金を年金に使うのは止めて、教育レベルの向上に回すべきです。日本の人口を増やすか一人当たりの稼ぎを増やせば自然とインフレになります。収入が増えれば出生率も上がります。

2012年11月24日土曜日

バラマキ予算と治安

日本は大変治安の良い国です。真夜中に都会で女性が一人で歩いていても問題ありません。これはアメリカと大違いです。なぜこんな違いがあるのでしょうか。アメリカは機会均等の国で、結果として貧乏になる人と金持ちになる人には大きな差があります。世論がそれを認めている国です。このため貧乏になり他に失うものがない人は犯罪者予備軍となります。それを緩和するために、生活保護や宗教団体による慈善活動があります。その反対に、日本では結果としての平等が国民の希望です。個人の努力はあまり評価せず、グループ内での平等を求めます。バラマキ予算はお金のムダという批判がありますね。税金は払う方からすればムダであり、もらう方からすればムダではありません。地方には仕事がないので、たとえムダな道路でも作れば雇用を生み出し、関連経済にお金が回るので一時的にせよ貧乏人を減らします。つまりバラマキ予算は日本の治安に役立っています。震災復興予算も官僚による巧みな流用が目立ちますが、これも間接的には日本の治安に役立つでしょう。それではバラマキにより失うものは何でしょう。それは虎の子の税金です。銀行に預けたお金はもうバラマキ予算で使ってしまったので、金庫を開けると国債の紙しかありません。いまから数年で預金の引き出しは出来なくなり、かわりに国債の紙を返されます。もし自分の貯金を国債の紙に変えたくなかったら、タンス貯金をするか外国に預金するしかありません。

2012年11月17日土曜日

農耕民族の壁

日本人が農耕民族だなと思うのは、危機に際しての対処の仕方を見た時です。自分も含め、まずやることは我慢です。例えば台風が来たら戸締まりをして家にこもります。いずれ台風は去ってしまうので、それまで首をすくめて忍の一字です。天気は農業を左右する要因なので、天気が悪ければ良くなるまで待つのが農耕民族である日本人の発想です。日本が欧米諸国に追いつこうとした昭和の時代、お手本は目の前にありました。日本は良くも悪くも物まね文化の国なので、お手本を分解してその部品をコピーし、生産技術を磨いてコストを下げました。車や家電の成功はこうしたお手本のおかげです。追いついてしまった現在、もう日本にお手本はありません。バブルで失った国富は輸入品の購買を通じて海外に流出しました。国債は日本人の預貯金で支えているので、円高はまだ逆に振れません。人口の高齢化(長寿命化)と少子化(産業のソフト化)はますます進行しています。こうした危機に日本人は我慢することで対処しました。問題先送りとも言います。その結果膨大な国の借金を子孫に押しつけて平然としているのが現代人です。今の60代以上はこの借金を踏み倒すつもりです。失われた20年は何もしない20年でした。ピンチをチャンスに変える発想は、農耕民族的考え方からは生まれません。年金を削って教育に回し、次の世代が負う借金を減らす時期に来ています。また問題を先送りすれば、事態はさらに悪化するだけです。収入の倍もある出費を削らなければ次の世代の日本は借金で潰れます。年金はゼロになり公共サービスはすべて有料になります。こうした問題は我慢するだけでは解決しません。50年後に日本の人口は今の半分になり、そのまた半分は60歳以上となります。これからの日本は、より少ない人数でより多くの外貨を稼がねばなりません。教育を国の最重要課題とし、すべての産業はいくら外貨を稼げるかで評価します。我慢という農耕民族的考え方では日本の問題は解決できません。

2012年11月10日土曜日

アメリカの労務管理

マサのいるシリコン・バレーのIT会社では、最初から休日出勤や残業を前提としたスケジュールを組むマネジャは労務管理ができないダメなマネジャだと判定されます。そうしたマネジャはチームの不満を招き、四半期ごとの勤務評定の時に部下に酷評されます。それが何期も続くとマネジャからヒラに降格です。普通はそうなる前にそうしたマネジャは他の会社に移るでしょう。自分のチームの能力を把握していないマネジャは正しい労務管理ができません。マネジャの大事な仕事のひとつは仕事の配分です。自分の分の仕事が終わればさっさと退社するのがアメリカ流のサラリーマンなので、「手の空いている人に頼む」という事が簡単にはできません。もし8時間でなく6時間でその日の分の仕事が終われば、「手の空いている人」はすぐ帰宅してしまいます。仕事のスケジュールより個人生活を優先するのがアメリカ流です。会社はいつでも自分をクビにできるので、本当に頼りになるのは家族だからです。そのため優秀なマネジャは誰がどの程度忙しいかを常に把握して、配分する仕事の量と質をうまく調整します。

2012年11月3日土曜日

労働組合

シリコン・バレーのIT会社に労働組合はありません。かつてマサが勤めたHPにもありませんでした。ITエンジニアは専門性の高い仕事をするので、自分で自分を守る事ができます。取り替えが効かない人材ですから、組合で守る必要はありません。他に待遇の良い会社があればすぐ移るので、エンジニアを飼い殺しにするような会社もありません。マサがかつて日本で働いていたとき、エンジニアも工員も皆いっしょにひとつの組合に所属していました。それが会社のルールだったからです。組合といっても皆の不満を聞いてガス抜きするのが目的でした。組合があったおかげで何かが良くなったという話は聞きません。それはともかく、日本のIT会社はどうでしょうか。製造業は歴史的に組合の強い業種です。でもソフトを中心とするIT会社に組合はありますか。専門性の高い仕事をする人に組合は必要ですか。日本は簡単に会社を移れないので、必要かもしれませんね。簡単に会社を移れないと新しい会社が育たないので、これは社会的損失です。過労死も防げません。これらは年功序列と終身雇用制度が持つ欠点です。ビジネスが簡単に国境を超える現代において、世界的規模で組織しない限り労働組合はもはや過去の遺物だとマサは思います。

2012年10月28日日曜日

効率追求の影

日本の民間企業はギリギリまでムダをなくし効率を追求してきました。ところが効率を追求しすぎると人が疲弊します。また1日8時間を100%仕事に割当ててしまうと突発事態に対処する余裕がありません。人は病気になることもあり、また家族が病気になることもあります。取引先が突然無理を言ってくるかもしれません。こうした事態に対処するには、普段から80%程度の割当てで仕事する事が必要です。高度成長期の日本は人を増やす代わりに労働時間を増やして効率を追求しました。でも月に80時間以上残業すると過労死の危険がぐっと高まります。命と引き換えにやるほど価値のある仕事はほとんどありません。コンピューターにできる仕事はコンピューターにやらせて、人間は頭を使う仕事に集中すべきです。人は1日8時間みっちり働くとヘトヘトになり、普通はそれ以上働くと急激に能率が落ちます。ミスも多くなります。効率を追求するのは人の幸福のためであり、過労死を防ぐためです。責任逃れの会議のために膨大な資料を作るなどムダな仕事は沢山あります。従業員が幸福でない会社は成功しません。効率を追求する時は、その目的を手段と取り違えない事が大切です。従業員が過労死するような会社は、この大事な目的を忘れてしまった会社です。

2012年10月20日土曜日

ソフトのチカラ

工業製品の価値を決めるのはソフトという時代になりました。アイフォーンとアンドロイドにハードの差はほとんどありません。これはちょうどMacBookの上でWindowsを動かせるのと同じです。ハードが同じでもソフトが違うと使いやすさという価値に大きな差が出ます。アイフォーンとアンドロイドの違いは使いやすさの差です。どの会社でも同じようなハードが作れるので、その上で動くソフトが本当の価値の源です。ソフトはタダだと思っていませんか。iOSやAndroid OSには値札こそありませんが、本当はここに大量の資金が投入されているのです。人の代わりに仕事をするソフトは簡単に真似できないので、ハードが汎用品化したいま利益を上げられるのは使いやすいソフトを持っている会社です。日本の会社でソフトが戦略物資だと理解しているところは何社あるでしょうか。ソフトは外注すればいいと誤解していませんか。Google、Apple、Amazon、Facebook、Twitterなどは膨大なソフト資産を持っており、そのソフトを生み出すエンジニアはこうした会社の間をぐるぐる回っています。その結果シリコン・バレーのソフトウェア・エンジニアが一つの会社にいる平均期間は、マサの知る限り約4年となっています。入社時にもらう会社の株が4年で満期になるのと、4年経つと新たに学ぶ事が少ないというのが主な理由です。

2012年10月12日金曜日

製造業の行方

マサは製造業にいたので日本の製造業には同情しています。でもそれと同時に歴史の流れも感じています。かつてアメリカにはRCAやポラロイドといった会社がありました。1980年代からの日本のテレビとカメラの輸入に押されて、そうした会社はもはや残っていません。性能がよくて安価な日本製品がアメリカ製品を駆逐したのです。これと同じ事が今度は日本に起きています。韓国や台湾、中国の安価な製品が日本製品をアメリカから駆逐しつつあります。日本の国内市場も浸食されるのは時間の問題です。製造業が海外の製品に浸食される時、取るべき道は少なくとも3つあるでしょう。国内市場に特化してひたすらガラパゴスになり、海外製品に追いつく時間を与えないという道。あるいは海外で生産してコストを下げ、海外市場を狙うとともに国内へも安価な製品を輸入するという道。そして最後は製造業であることを止めて、設計したものを海外の製造会社に生産してもらい、自分はソフトウェアや販売に力を入れるという道。最初の道は日本の携帯電話会社がたどった道です。国内市場だけで食べて行けるなら、それも悪くありません。次の道は自動車会社がたどった道です。日産はタイで生産したマーチを日本に輸入して売っています。最後の製造業であることを止めた会社としてはアップルが有名です。アップルの製品には「カリフォルニアで設計し、中国で製造された」と書いてあります。もちろん他社に真似されない製品を作るのは大切です。でもデジタル製品は汎用部品を買って組み立てるだけで簡単に真似できます。簡単に真似できないのは内部のソフトウェアです。アップルは今やソフトウェア会社であり音楽販売会社です。かつてハードが中心だったシリコン・バレーも、インターネットがらみのソフトが雇用の中心となりました。マサは日本の製造業が今後どうなるのかに注目しています。

2012年10月6日土曜日

お笑いとイジメ

日本の民放テレビのお笑いは、いつのまにか芸人をイジメて喜ぶ下司な企画ばかりになりました。日本のボケと突っ込みという二人でやる漫才はアメリカにはありません。これは日本独自の優れた話芸だとマサは思います。アメリカのお笑いは一人でやるスタンドアップ・コメディーというもので、ピン芸人が政治家をおちょくったり有名人の言動を茶化したりします。どちらのお笑いも練習を重ねて上達するもので、ネタを作って練り上げて行く芸です。そうした芸は時間がかかるので、簡単に笑いを取りたい日本のテレビ局は話芸ではなく体を張った企画を好みます。これは芸人をイジメて喜ぶという趣味の悪いものです。お湯をかけたり、ヌルヌルの階段を登らせたり、高い飛び込み台から飛び込ませたりという企画は、イジメと紙一重です。芸人はお金をもらうため必死にそうした企画に挑み、時には入院する程の大けがをしてまでテレビに映ろうとします。これは見ていて愉快ではありません。こうした芸人イジメの企画を喜ぶ人は、おそらく日頃から他人をいじめたいという欲望があるのでしょう。罰ゲームとか体を張った企画というのは大人が大人にするイジメです。セクハラやパワハラと本質的に同じです。大人が大人へのイジメを容認している以上、子供が子供にするイジメは無くなりません。

2012年10月1日月曜日

原発を数字で考えよう

日本の原発が危険であることは2011年の福島原発事故が証明しました。なので100%安全な原発は少なくとも日本にはありません。政治家や官僚が原発の安全性について話す時、国民やマスコミは「ではどの位安全なのか」つまり「過酷事故の起きる確率はいくらか」と「その時の想定は何か」を問う必要があります。現在の日本での実測値は、一つの原子炉につき500年に一度の割合です。これは福島原発事故をふまえての数字です。これだと25機の原子炉を20年稼働率100%で動かすか、あるいは40年稼働率50%で動かすと過酷事故が一回起きる計算になります。つまり福島原発事故クラスの事故が近い将来にまた起きるという事です。「いや、他の原発はもっと安全だ」というなら、それはどの位の事故確率で、その根拠な何かと問う必要があります。1000年に一度の大地震も想定に入れる必要があると福島原発事故は教えています。1000年に一度の天災や人災まで想定に入れたら原子力発電はできないと言うなら、止めればいいのです。そこまで想定して事故を起こさない原子炉をつくると、膨大なコストがかかります。日本の国土が狭くて事故の際に逃げ場がない事と、国全体が地震の巣の上にある事を考慮すると、日本の原発にはもはや発電を続ける経済的な理由がありません。アメリカの東半分や欧州の北部のような安定した地盤がないので、マグニチュード9クラスの大地震を想定しなければなりません。それに伴う送電停止と津波がもたらす数日間の電源喪失は簡単に原発の過酷事故を起こします。単に原子炉が危ないだけでなく、その格納容器の外にある使用済み燃料プールも電源がないと冷却できなくなり、水が蒸発して放射性物質をまき散らします。定期点検中の福島原発4号機でこれが起きなかったのは、運良く原子炉建屋の水素爆発が原子炉ウェルの扉を開けたためで、まったくの幸運でした。原発の経済性は事故確率とコストというふたつの数字の兼ね合いで決まります。原子炉に「安全」か「危険」かの両極端は存在ぜす、その間のどこにあるかという事故確率の数字だけが存在します。そしてその数字の根拠は何か、何をどの位想定したのかを問いたださないと本当の事は分かりません。何年に一度の事故割合なら日本国民は原発を受け入れるのでしょうか。アメリカのスリーマイル島原発事故と日本の福島原発事故で、炉心溶融という過酷事故が2度起きました。2度あることは3度あると皆知っています。日本で再び過酷事故が起きるのはもはや時間の問題です。

2012年9月22日土曜日

ミスリード

何も知らない人に断片的な情報を与えて意図的に誤解させることをミスリードと言います。嘘をつくわけではないので、あとから文句がでても、間違った事は言ってないと言い張る事が出来ます。国民を欺く為に官僚がよく使う手です。最近の例では「原発をゼロにすると2030年の電気料金が2010年の2倍になる」という情報が経産省から出ています。これだけ見れば2倍は困ると思う人も多いでしょう。でも20年も経てば大体の料金は値上がりします。ビデオニュース・ドットコムによると、実際の試算では「原発15%の場合でも電気料金は1.7倍、原発を事故前と同等レベルの20~25%に維持しても電気料金は1.6倍を超える」という結果が出ています。つまり原発があってもやはり電気料金は値上がりして、その差は3割程度です。またこの計算では「原発の発電コストはキロワット時あたり8.9円」を前提としています。これは大きな誤りです。なぜならこれには福島原発事故の賠償、除染、廃炉のために費用が含まれていないし、高レベル放射性廃棄物を長期間安全に保管する費用も含まれていません。2兆円以上を費やしてまだ建設途中の六ヶ所再処理工場を廃止する費用や、1兆円以上使って失敗した高速増殖炉もんじゅの廃炉費用も含まれていません。このようにある目的のために都合の良い数字だけを選んで官僚が出した数字を鵜呑みにしては危険です。いい大人がこうした単純な手に引っかかるのも情けないですけど、日本の新聞にはこうした数字のカラクリを検証せずに「経産省が出した数字だから」という理由だけでそのまま載せているところもあります。自分で分析せず情報をただ右から左に流すだけのメデイアはもう要りません。インターネットで政府の発表した情報が簡単に手に入る時代に、日本の新聞には政府の見張り役という覚悟がなさすぎます。それだから新聞を購読する人が減るのです。民主主義がうまく機能するには国民が大切な情報をすべて知る必要があります。政治家や官僚がミスリードしたら、それに噛み付くのが購読料を取る新聞の仕事です。

2012年9月19日水曜日

マイクロ・マネジメント

手取り足取り指図するような事細かい管理方法をマイクロ・マネジメントと呼びます。部下をロボット扱いするのでシリコン・バレーでは嫌われる管理方法です。この方法では部下が育たないうえ、仕事の規模が拡大したとき上司が管理しきれなくなるので、マイクロ・マネジメントは下手な管理方法だとされています。ただし部下が新人だったり経験不足と判断される場合は、時期を限ってそうした管理方法を取ることもあります。学校出たての右も左も分からない新人に仕事を教えるには、経験者(メンター)が手取り足取り教える必要があり、そこでは報告・連絡・相談が求められます。ここでよく誤解されるのがマクドナルドの接客マニュアルです。アメリカのマクドナルドで接客する人は、高校すら出ていないし、英語も片言しか話せない海外からの移民かもしれません。だとしたら、事細かにマニュアルに書いてその通りやらせる方が一定のサービスを保証できます。日本人から見れば過剰とも思えるマニュアルには、そうした国の事情の違いが隠れています。その一方で知識労働者として大卒を雇う場合、会社は何らかの専門家としてその人を雇います。営業なら営業、人事なら人事、経理なら経理という仕事がまずあって、その職にふさわしい人を雇うからです。なので最初の研修期間が過ぎると、手取り足取り仕事を教えるということはまずありません。分からなければ周りの人に聞けばいいし、専門家として雇っているので、すぐにその人に仕事を任せます。少なくともマサの経験した範囲では、アメリカの知識労働者にマニュアルはありません。個人の責任範囲がはっきりしているので、その範囲内では自由に仕事しています。逆に言うと、その仕事を任せられそうな人を採用しているということです。単純作業はコンピューターが処理するので、知識労働者はコンピューターにはできない仕事をしています。なのでそうした仕事はマニュアル化には向かないという理由もあります。

2012年9月12日水曜日

いじめと割れ窓理論

学校を舞台に起きる日本のいじめには、ニューヨーク市で有名になった「割れ窓理論」と共通するものがあります。いじめは些細な嫌がらせから始まります。それを周りが見て見ぬ振りをしたり、教師がたいした事ないと無視したりすると、いじめる方が次第にエスカレートします。これは、窓ガラスを割るような些細な犯罪を放置すると、犯罪が次第にエスカレートして殺人事件にいたるという「割れ窓理論」と同じ構造です。従って同じ解決法が使えます。それは最初の些細な嫌がらせの段階で周りが断固とした措置を取るということです。ニューヨークでは些細な罪でも犯人を捕まえて裁判を受けさせます。いつも警察の目が光っているという事を犯罪人に教えることで、凶悪な事件を防ぐ事ができます。学校でもこうした初動が取れればいじめを減らす事ができます。いじめは傷害罪という犯罪です。教師が初動を誤ると、いじめる方に間違ったメッセージを送ってしまいます。それはいじめはやってもいいんだ、というメッセージです。これを防ぐには、些細ないじめでも教師が断固としてそれを排除する姿勢を見せる必要があります。つまりいじめたとされる子の親と直接話して、学校でのいじめは親にすぐ通知が行くという事を子供に教えることです。子供もその親も最初はいじめを否定するかもしれません。ただの悪ふざけだというかもしれません。でもいじめは被害者の認識が重いのです。いじめられた方がいじめだという限り、それはいじめです。教師はいじめられた子の味方として、加害者とその親に「もう一度やったら退学だ」という強いメッセージを送るべきです。教師にも味方が必要なので、校長を始め回りの教師は普段からいじめに対する行動を練習して、いじめ問題をかかえた教師を助けます。いじめは加害者である子供の親が責めを負う犯罪であり、いじめを放置する教師は共犯者です。教師が加害者の子供とその親に対峙する勇気がなければ、いじめられた方は警察に被害届を出したりマスコミに通知するなどの手段で我が子を守る権利があります。些細ないじめでも許さない姿勢をゼロ・トレランスと呼びます。

2012年9月11日火曜日

シルバー民主主義への処方箋

今の日本は老人大国です。年金は本来の額より2.5%も多く支払われており、年間約1兆円がこれに費やされています。年金は資産や子供のいない老人を救う制度であって、老人の生活を豊かにするための制度ではありません。デフレの世の中で年金支払額が下がるのは法律にも明記されている当然のことです。ところが政治家は老人票が怖いので年金の減額に踏み込めません。老人は数が多いうえにまめに投票するので、民主主義での影響力は自然と大きくなります。このシルバー世代を票田とする政治をシルバー民主主義といいます。年金や国債の問題は世代間の搾取の問題です。孫の世代がババを引くのが年金で、孫に借金を押し付けるのが国債です。選挙権のない未成年者に一方的に負担を強いるのは明らかに不公平なので、これを是正するには未成年者に選挙権を持たせて、その保護者が代理で投票するべきでしょう。子供が二人なら両親それぞれ二人分の投票する権利があります。年金のツケや国債を押し付ける以上、未成年者にも投票権があります。シルバー民主主義への処方箋は、未成年者に選挙権を与えてその保護者に代理投票を認めることです。家族で話し合ってどの政治家を選ぶか決めるのは、日本の未来のためにとても大事なことです。

年金は少子化の原因

少子化の原因のひとつは年金です。年金制度ができる前は、老後は子供の世話になるほか手がないので、子供は多い方が良いとされていました。1961年に年金制度ができてから、老後は自分の子供の世話になる必要がなくなりました。他人の子供の稼ぎからお金をもらえるので、自分の子供は少なくても心配ありません。これは年金がもたらしたマイナスの効果です。今の年金を半分に削って子育て世代に回すべきです。年間40兆円の年金支払いの半分は税金から出ています。多くの人が年金は自分の積み立て預金だと誤解していますが、年金は積み立て預金ではありません。金利がゼロの世の中で支払った分以上のお金がもらえるのは、子供の世代からお金を回しているからです。この仕組みは人口が増える国でのみ機能し、人口が減る国では機能しません。年金は一種のねずみ講であり、最後にババを引くのは孫の世代です。年金制度が少子化の原因であることはあまり話題になりませんね。年金を半額にすることで生活費が足りない人は、働ける場合は働いて生活費を稼ぎ、そうでない場合は家や車などの資産を売るか、さもなくば生活保護を受けることになります。年金が原因で国が滅びては本末転倒です。

2012年9月8日土曜日

土足厳禁

マサの家では玄関で靴を脱ぎます。カーペットの床は土足厳禁です。でもアメリカの家は一般に屋内でも靴で歩きます。ホテルでも靴のままですね。それだと足が疲れるので、スリッパに履き替えることもあります。アジア系の家では土足厳禁の場合が多いです。でも欧米系は玄関で靴を脱ぐ習慣がないので、初対面の人は靴のまま家に入ってきます。とくに困るのが家電の修理です。修理の人は怪我を防止する規則があるため靴は絶対脱ぎませんから、カーペットの上を靴のまま歩きます。そんな時マサの家では新聞紙を敷いて道を作ります。雨が降った後は靴も濡れているので、本当の事を言うと靴は入り口で脱いでほしいのですが、あまりカーペットが靴で汚れるのは気にしないようです。ただしほとんどの道は舗装されているうえ移動は車なので、靴が土で汚れることは稀です。雨の降らない夏のシリコンバレーでは、コンクリの歩道を裸足のまま道を歩く若者もいます。マサは家のカーペットが汚れるのがいやなので、必ず玄関付きの家に住むようにしています。家によってはドアを開けるといきなりリビングルームでカーペット敷きという間取りもあって、そうした家だと靴を脱いで置いておく場所がないので困ります。入り口で靴を脱ぐ習慣は、特に床がカーペットの家だと衛生的だと思います。最近は日本式に入り口で靴を脱ぐ欧米系の家庭も出てきました。そういえば、この間来たATTの人は靴にかぶせる青いカバーを使ってました。カーペットを汚さないという気持ちは嬉しいです。

2012年9月1日土曜日

原子力の限界

テレビの鉄腕アトムを視て育ったマサは、日本に原子力が導入された当時の楽観的なムードを覚えています。鉄腕アトムは胸の中に原子炉を持っていましたし、その妹はウランという名前でした。原子力船むつが放射線漏れ事故を起こして母港に戻れなくなったのは、福島第一原発1号機が発電を開始した3年後の1974年のことです。もともと広島・長崎の原爆被害や第五福竜丸の被曝問題があったので、日本人は原子力の安全性に懐疑的でした。それでも巧い世論操作により原子力は安全とされ、日本の僻地に原子力発電所が作られました。マサの当時の理解では、核分裂は放射性廃棄物の問題があるので核融合で発電するまでの「つなぎ」とされていました。核融合発電は当時の予想によれば21世紀の今頃には実用化されているはずでしたが、いっこうに実現していませんので、いまだに核分裂を使い続けています。核分裂を利用した原子力発電の限界は、まず第一に放射性廃棄物を永久に保管する自治体が日本に無いこと、第二に福島原発事故が証明したように核分裂による原子力発電は決して安全ではないこと、第三に発電コストが必ずしも安くない事です。日本の商用原子炉の過酷事故確率は、福島原発事故のため実測値で原子炉ひとつにつき500年に一度の割合です。日本全体で25機の原子炉を動かしたとすると、20年に一度は外部に放射性物質をまき散らす事故を起こす割合です。これでは事故の処理費用や補償費を含む発電コストが高くなりすぎて、原子力発電を続ける経済的意味がありません。2012年3月11日を境に日本の原子力発電は経済的意味を失いました。それでも原子力を続けたい人は、原子力企業に勤める人か日本に核武装させたい人です。今日本にある原発はすべて同じ欠陥を抱えています。それは数日の電源喪失で外部に放射性物質をまき散らすという欠陥です。また使用済み燃料プールは、同じく数日の電源喪失でむき出しの炉心となります。大地震や大津波がある日本では数日の電源喪失は避けられないので、原子力発電は危険すぎるのです。次に原発事故が起きる時、福島のように風が主に海に向かって吹くとは限りません。もし再び日本で原発事故を起こせば、一つの県がまるごと避難するような、福島原発事故よりたちの悪い事故にもなり得ます。東京に高層ビルを建てられるなら、東京に原発を作ればいいのです。なぜ僻地に原発を建てるのかを福島原発事故が教えてくれました。事故はまた必ず起きます。狭い日本で今度はどこに逃げるのでしょう。

2012年8月25日土曜日

福島原発事故と保安院

原子力安全・保安院は経済産業省の傘下にある役所です。原子力発電所を始めとするエネルギー施設の安全について責任があります。原子力安全基盤機構という独立行政法人と並ぶ組織です。福島原発事故では保安院のヘマがいくつも明らかになりました。まず第一に保安院という名前にもかかわらず、福島原発事故を防ぐ事ができませんでした。保安どころか安全の足しにもなりませんでした。第二に真っ先に現場から逃げ出したのも保安院の検査官でした。福島原発事故独立検証委員会の「調査・検証報告書」102ページによると、3月12日5時までに保安検査官8名が福島原発から逃げ出しています。これにより保安院は現場の情報を東電からもらう立場になり、官邸に対して東電より情報源として劣る存在になりました。第三に当時の首相に対して何ら意味のある助言ができませんでした。寺坂保安院院長は東大経済学部卒で原子力には素人であり、理系出身の首相の技術的な質問に対して何も答えられませんでした。それまで保安院院長は文系と理系が交互に付くポストで、事故の時たまたま文系の人が院長だったのは運が悪かったのかもしれません。でも結果的に首相の信頼を失い、保安院の信頼はますますなくなります。そして極めつけが、3月12日に炉心溶融に言及した中村審議官の交代です。正しい事を口にした中村審議官が官邸の意向で下ろされ、その後に経済産業省から西山審議官が送り込まれました。西山審議官は原子力の専門家ではないので、余計なことはしゃべらないという点が期待されたと推測できます。その後の西山審議官の活躍は国民の知る所です。原子力安全基盤機構が技術的な評価をするので、保安院は自らの手による技術的評価を怠ったという批判もあります。またアメリカと違い軍隊出身の原子力専門家がいないので、保安院は専門家を抱える電力会社の言いなりになっていたという批判もあります。根本的には、原子力を推進する経済産業省の下に原子力を規制する機関を設けたのは矛盾していたという点に尽きるようです。原子力安全委員会の班目委員長も、自らが否定していた水素爆発が起きたことで首相の信頼を失い、寺坂保安院院長とともに非常時に役立たずとの判断が下されました。こういう人たちの給料を日本人は税金から払っています。原発事故を防げなかった以上、彼らの給料は自主的に国庫に返してもらったらいかがでしょうか。

2012年8月21日火曜日

節電をチャンスに

夏の昼間に仕事とエアコンで電気を大量に使うので、この時間帯の電気を節約する事が求められています。言い換えると、それ以外の時間帯で節電してもあまり意味はありません。ピークを潰して平にならせば日本の電気は不足していません。いかに昼のピーク時に電気を使わずに済ますか知恵を絞りましょう。夜の街灯を間引くことは害あって一利なしです。早番と遅番の2交代制で昼間は休みとか、蓄電池に電気を貯めて午後の数時間は夜間に貯めた電気を使うとか、それから冷房は電気ではなくガスを使うとか、あるいは地冷熱で冷暖房をするとか、雪国なら冬の雪を夏まで保存して冷房に使うなどいろいろアイデアはあります。今はそうしたアイデアを実行に移すときです。40年後には日本に稼働している原発は1基もありません。今から電気のピーク時使用量を減らして、原発に依存しない社会を作りましょう。覚えていますか。かつて排ガス規制でパワーを落としたアメ車を尻目に日本のシビックがアメリカの市場占有率を伸ばしたように、電気を大量に使わない製品や節電ノウハウは他国に売り込むことができます。原発がないと困るのは既存の非効率なビジネスだけです。原子力によらない発電装置、電気を効率よく貯める装置、電気を大量に使わないビジネスは今後拡大します。海に眠る海底資源の開発も今後伸びる分野です。原子力を捨てることで、逆に競争相手の少ない分野で日本が世界一になることも可能です。これは日本にとってかつての排ガス規制のようなチャンスです。ピンチをチャンスに変えられる人や国が、環境の変化に対応して生き残ります。

2012年8月19日日曜日

敗戦記念日

そろそろ日本の「終戦記念日」という言い方を「敗戦記念日」に変えたらどうでしょう。第二次世界大戦で日本はアメリカに負けました。原爆を2個くらって負けを認めざるを得ない状況に追い込まれました。事実は「敗戦」であり、国民が戦争を終わらせたわけではありません。こうした言葉の言い換えは本質を隠してしまいます。なぜ日本が負け戦を始めたのかという国民的結論はまだ日本にありません。本音と建前という議論の二重構造がその理由だというがマサの意見です。もしこれが正しいとすると、日本にはまた負け戦を始める構造が残っています。マサが思うに、福島原発事故はそうした負け戦の例です。本音では「原発事故は起きる」と知っていたのに建前で「原発は安全だ」と言ったために、過酷事故を防ぐこともできなければ事故の拡大を防ぐことも出来ませんでした。次の負け戦は何でしょうか。マサはそれがすでに始まっていると見ています。家電業界の凋落、半導体産業の消失、人口の減少、財政赤字の拡大、検察の証拠捏造、警官や教師など公務員の犯罪、いじめの増加、低賃金労働の増加、毎日100人近くが自殺する現実など、こうした前線で日本は負け続けています。建前を振りかざし保身を企む人がいる限り、日本はこの戦争で勝てません。現実を直視する勇気があるなら、まず「終戦記念日」を「敗戦記念日」に言い変えることから始めましょう。問題の本質を明らかにすれば、解決策は半分わかったも同然です。

2012年8月18日土曜日

建前と本音その3

先日のNHKスペシャル「終戦、 なぜ早く決められなかったのか」を視て、日本の最大の欠点は本音で議論しないことだとマサは確信しました。本音で議論しない国は本音で議論する国に負けます。本音を言わないと本当のチームワークは生まれません。心から協力できる信頼関係は、建前を捨てて本音で議論することから始まります。「口ではああ言っているけど、腹の底ではこう思っているはずだ」という考えを参加者が持っている限り議論は時間のムダであり、日本にはそうしたムダな議論がたくさんあります。こうした議論の二重構造には、かつて狭いムラ社会の中で人間関係を良好に保つという目的がありました。でもそうした二重構造が通じるのは日本の中の、さらに狭いムラ社会の中だけです。戦争という行為に突き進んだ日本の指導者は建前を振りかざして保身に走ったものの、本音の議論ができないままいたずらに時間を浪費して、結局ソ連の参戦とアメリカの原爆投下を招いたという印象を持ちました。本音の議論が出来ないのは日本最大の欠点であり、子供のころからの教育でこれを是正する必要があります。酒の席でしか本音の議論ができないと、これからの日本に強みはありません。アメリカの企業は本音で議論するから決断が速いし、結論が気に入らない人はさっさと他の会社に移ります。本音の議論ができずに何も決められない日本は、すぐ議論を誰かに丸投げしてしまいます。「〜さんに一任」という解決方法です。日本では人の責任範囲が不明確で、思い切ったことを議論で決められません。そこエラい人に一任して議論を回避しますが、その人がまた決断力のない人だと玉虫色の中途半端な結論に終わります。これからの日本には、自分の頭で考えて本音で議論する人がたくさん必要です。建前で時間稼ぎしている内にいっそう問題が深刻化します。人に遠慮するのは止めて、堂々と自分の本音を言いましょう。裏表のない人間、言行一致の人間がアメリカでは尊敬されます。建前と本音がかけ離れている人は「信用できない、ずる賢いやつ」と見なされます。議論の二重構造を残したままでは日本はグローバル経済で勝てません。

2012年8月6日月曜日

フリーランチ

英語でフリーランチ(無料の昼食)というと、そんなものは世の中にないから気をつけろ、という意味になります。すべてのものにはコストがあり、無料のものには隠れたコストがあります。日本語には「タダほど高いものはない」という諺があり、英語には「フリーランチなんてものはない」という意味の慣用句があります。両者とも言っている事は同じです。セールで50%オフという場合、元の値段が高すぎたのではないかと疑うのが大人の発想です。ましてやタダというなら、その見返りは何かと疑うのが常識だと思います。これも英語には「キャッチは何か」という慣用句があります。どんな罠があるのか、というのが元の意味です。販売促進のために牛丼を半額で売るとか、広告入りティッシュを無料で配るとかいうのは分かります。ところがインターネットで最初から50%オフとして売られているものに、本当の価格があるのかどうかは疑わしい場合が多いようです。かつて話題のグルーポンでなくても、元の値段が確認できない商品は割引率などいくらでも偽装できるので、インターネット購買では要注意です。企業である以上利益を追求する組織ですから、何かをコスト割れで提供する場合、どこで儲けるのかという疑問を持つのが当然です。素材の質を落とす、量を減らす、あるいは十分な市場占有率を取ったあとで値段を上げるなどの方法が考えられます。フリー(無料)という言葉には日本でもアメリカでも要注意です。

2012年8月1日水曜日

新聞も分析を

福島原発事故では、3月11日の当日から東電が正門前で測ったガンマ線量をウェブで公表していました。これをグラフにすれば、3月12日の早朝からガンマ線量が上昇していたことは誰にでも分かります。つまり1号機のベントをする前から既に放射性物質が漏れていました。また3月15日から16日にかけてガンマ線量のピークが3回あったことも分かります。原子炉建屋が水素爆発した時点ではガンマ線量はあまり増えていないので、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ないこともわかります。正門前で測ったガンマ線量と事象の時系列をみれば高校生でも分かります。このグラフを最初に公表したのは、マサの知る限り3月16日のニューヨーク・タイムズ・アジア版です。日本の新聞社でこのような独自の分析を行って、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ない事を示したところはありません。新聞記者は人に聞くのが仕事です。でも新聞社にはデータを分析する人もいるはずです。インターネットで東電の発表も官邸の発表もタダで見る事ができる時代に、新聞社があくまで情報を右から左に流すパイプとしての役割しか果たさないのであれば、わざわざ新聞を購読する人はいなくなります。本当は公表された情報の裏にある真実を国民に知らせる役目がマスコミにあるはずです。でもそれには人に聞くだけではなく自分で情報を分析することも必要です。事故当時の新聞社には原発に詳しい人がおらず、突っ込んだ質問が出来なかったのは理解できます。でもそれなら専門家を臨時に雇えばいいのではありませんか。原発が過酷事故を起こさないとタカをくくっていたという意味では、日本の新聞社もマサを含む大多数の国民と同じ過失を抱えています。ちなみにこのグラフは同じ年の12月2日に東電が発表した「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」の72ページにでています。この報告書では、3月15日に2号機の格納容器の圧力が急低下したのとほぼ同時に正門前のガンマ線量がピークとなったことから、この日に最大の放射性物質漏れが2号機から起きたと推定しています。その日の午後に風が北西方向に吹いたことと雪が降ったことが重なって、原発から北西方向が主に汚染されました。この風向きもガンマ線量と一緒に東電がその日の夜にPDFで発表しています。このデータを調べれば、原発の北西方向が危ない事は当時の新聞社にはすぐに分かったでしょう。

2012年7月29日日曜日

福島原発事故と文科省

日本のマスコミは、SPEEDIの計算結果を政府が事故後すぐに発表しなかったことで文科省を批判しています。でもこれは実情を知らない人の意見です。SPEEDIは原発から漏れた放射性物質の量をもとに、事故現場での風向きを使った拡散シミュレーションをするプログラムです。福島原発では大規模停電のため原発から漏れた放射性物質の量がまったく分からず、代わりに毎時1ベクレル漏れたと仮定した状況での計算を行いました。定常的に放射性物質が漏れることは実際にはありませんし、漏れた量は現実には毎時何兆ベクレルという値です。10分ごとに計算したとして、1日あたり144枚の地図になります。これが1週間あれば合計1008枚です。このうちどの地図が実際の拡散に最も近いかどうかは、放射線量を空から測定しないと分かりません。SPEEDIで計算して1週間分の1008枚の地図をすぐ政府が公表したとしましょう。それで何が分かるでしょうか。沿岸部の風向きは昼と夜で逆になるので、1008枚の地図を重ね合わせると結局同心円状の汚染地図になります。これでは現実から乖離してしまい、発表しても意味がありません。新聞は3月15日のSPEEDIの地図をもって公表しなかったことを批判していますが、これは汚染の実態が分かった後からのみ言えることです。3月15日に最も大量の放射性物質が2号機から漏れたという事実は、その時は分かりませんでした。また北西方向に風が吹いたのは午後の数時間のみで、たまたまその時2号機から大量の放射性物質が漏れたので主に北西方向が汚染されました。つまり大量の放射性物質がいつ漏れたのかが分からないと、SPEEDIの地図は現実に合わない結果を表します。ですから、今回の事故ではSPEEDIはどのみち避難の役に立たなかったのです。それでは文科省の何が問題だったかと言えば、次の3点です。まず第1に3月12日の1号機の水素爆発のあと、すぐに飛行機を飛ばして毎日空から放射線量を測るべきでした。3月25日まで文科省は空からの広域調査をしていません。第2に米軍が3月17日に飛行機を飛ばして得た放射線量の地図を文科省が翌日に受け取った時、文科省は福島県民のためにすぐにこれを公表するべきでした。この時の地図は実際の汚染状況を的確に表しており、SPEEDIの計算結果とは比べ物にならないくらい正確なものでした。第3に3月15日に原発の北西方向(赤宇木地区)で実測した放射線量を翌日に公表したとき、測定した場所の名前を明らかにすべきでした。赤宇木地区は浪江町の中にあり、2011年12月18日に積算放射線量が100ミリ・シーベルトを超えたと発表された場所です。福島原発から31キロメートル離れています。3月16日においてここは避難区域ではなく、文科省のこの不十分な発表のせいで多くの住民が無用な被曝をしました。このように官僚が国民のために働くという本分を忘れてしまったいま、日本の人は自分で自分の身を守らねばなりません。「お上」が下々の民を助けてくれる時代ではもはやないのです。

2012年7月28日土曜日

やっぱり原発は危険だ

日本政府は7月に大飯原発3・4号機を再稼働しました。その条件としてあげたのが「安全判断基準3点」です。これは首相官邸のウェブサイトに出ています。電源車の配備、冷却手段の確保、注水の体制、電源喪失時にも制御システムが動くようにすることが基準の1。ストレステストで、設計基準を上回る大きな地震と津波が来ても燃料損傷には至らないことを確認するのが基準の2。電気事業者が安全性向上のための計画を明らかにし、その計画を実行する姿勢を見せる事が基準の3です。ここで注意して欲しいのが、誰も「大飯原発は安全だ」とは言ってないことです。「安全性確認の手続き」を済ませたから再稼働しました、というのが建前です。福島原発のような過酷事故が大飯原発で起きない保証はそこにありません。というのも日本の原発では以前からこうした「安全性確認の手続き」をしていたのに、そこに含まれる想定が妥当かどうかの公開検証は1度もしてないからです。ストレステストで想定したレベルを上回る地震や津波が起こればもうそれでおしまいです。実は福島原発にあれだけ大きな津波が来る事は2009年に予想されていました。でも誰かがそこまで想定しなくていいと決めたので、その予想は無視されました。「安全判断基準3点」というのは所詮誰かが決めた想定に基づく基準です。その想定を上回る事態が起きれば電力会社はまた「想定外だった」と自らの責任を否定するでしょう。9・11事件のあと、アメリカは燃料を満載した旅客機が原発に衝突することも事故の想定内に入れました。2004年のスマトラ沖地震はマグニチュード9.1で津波による多大な被害を出しました。他の国で起きた事故や地震は日本でも起きると想定するのが当然ではありませんか。現実に福島原発で過酷事故を起こした以上、誰ももう「原発が安全だ」とは言えなくなりました。そこで官僚が考えたのが新しい「安全性確認の手続き」というトリックです。でも福島原発の事故はこの「安全性確認の手続き」をしていれば防げたのでしょうか。だとすれば今までの「安全性確認の手続き」には何の意味があったのでしょうか。次の大地震が東北地方太平洋沖地震より大きい津波を起こさないという保証はどこにあるのでしょうか。沿岸にあるため本質的に津波に弱い日本の原発は時限爆弾と同じです。どれだけの事故確率ならコストとの兼ね合いから原発を受け入れるか、という国民的議論がないのがマサには不思議です。それは契約する電力会社を自由に選べないという国の仕組みに問題があります。携帯なら今やドコモ、KDDI、ソフトバンクと選べるのに個人が電力会社を選べないのは、将来天下り先となる電力会社を儲けさせるための官僚の意図的な不作為の結果です。福島原発事故が起きた時まず官僚が考えたのは、どうやって事故の責任を逃れるかであり福島県民がどうなるのかはその次でした。保安院も文科省も役立たずでしたね。保安院は前例のない原発事故で思考停止状態でした。空から放射能の分布を調べる飛行機を飛ばしたのは自衛隊ではなく米軍が最初です。こうした前例主義の官僚たちに日本の舵取りを任せているのは恐ろしいとマサは思います。

2012年7月24日火曜日

脱原発

原発は危険です。これは福島の原発事故が突きつけた現実です。もともと100%安全な物など世の中にありません。でも原発は危険だというのが目の前の現実なので、ではどの位危険なのかがひとつの論点です。飛行機より危険なのか。自動車より危険なのか。今までの原発の事故確率はかなりいい加減な見積もりだったことが今回の事故で分かりました。レベル7の原発事故の確率は今の日本だと原子炉1基につき500年で1回です。50基の原子炉を動かせば、10年に1回の割で大きな事故が起こります。先日ある電力会社社員から「事故の放射能が原因で死んだ人はいない」という意見が出ました。でも福島県内外で避難生活をしている人は10万人を超えています。事故のため牛を飼えなくなって自殺した農家もいます。事故の放射能が原因でこれから死ぬ人は100人程度と見積もられています。事故の補償のみならず事故を起こした原発を廃炉にする費用も数兆円という大変な額がこれから必要になります。原子炉がどれだけ危険でどれだけお金のかかる代物かが分かった今、日本では脱原発が明らかに国民の意思です。どうせ住民の反対により新たな原発は作れないので、40年が経過した原子炉から順に廃炉になります。今から40年後には日本で動いている原子炉はひとつもありません。これを想定して化石燃料による発電と自然エネルギーを増やすのが日本の姿です。例えば真夏の午後はエアコンのため電力使用のピークとなっています。でもそれは同時に太陽光発電のピークでもあります。日本の家という家、ビルというビル、屋根という屋根に太陽光パネルと蓄電池を付ければ日本に原発は要りません。核のゴミも出ません。放射性廃棄物と事故の処理費用を含む原子力発電よりも安価にエネルギーを国産化できます。もちろん化石燃料は今も将来も大切なエネルギー源です。火力発電は必要ですし、水力や地熱発電も使います。脱原発は今後40年かけて行うので、今から始めれば十分間に合います。このように数字で考えれば、原発が割に合わないことは明白です。

2012年7月13日金曜日

いじめは傷害罪

日本の学校での「いじめ問題」について。「いじめは傷害罪」という考え方を日本でも徹底してほしいですね。いじめる方は気晴らしかもしれませんが、いじめられる方は死活問題です。これほど加害者と被害者で認識が異なる犯罪も珍しいでしょう。加害者の子供にまず第一の責任があり、子供が未成年ゆえその親に第二の責任があります。「子は親の鑑」ですから、まず加害者の親に顔を見せてもらいましょう。学校でのいじめは担任に第三の責任があります。でも教師も人間ですから誰でも自分の落ち度は隠したいもの。いじめを匿名で学校外の第三者、たとえばマスコミに通報できる仕組みが必要です。教育委員会や役所は利害関係者なので第三者には当たりません。人は怠けるもの、嘘をつくものという立場からの調査が肝心です。いじめの根底にあるのは「島国根性」という大人のいじめであり、これをなくすのは大人の仕事です。今回は加害者の子供を傷害罪で告訴し、少年院に送ることも考えるべきです。その親は民事訴訟で損害賠償を負うことになります。アメリカの学校では「いじめ」は大問題で、見つかれば即退学になるほどの厳しさです。日本はその点甘いですね。自殺者がでる程なのに大人は知らんぷりですか。親は自分の子供を守るのが仕事です。この教師は何を守ったんでしょうか。英語ではこうした行為を cover your ass といいます。子供を持つ親の皆さん、自分の子供を守っていますか。教師も教育委員会も警察も守ってはくれませんよ。

2012年7月9日月曜日

自己責任

あなたが自己責任で生きている人間かどうかは次のテストで分かります。歩行者用信号が赤の時、あなたはどうしますか。周りを見て車が来ていなければ、赤信号を無視して渡るのが自己責任で生きている人です。車が来ないのに信号が青になるまでひたすら待ち続け、青になったら人の後に続いて渡るのが人任せで生きている人です。あなたはどちらですか。別に人任せが悪いとは言いません。自分の人生をどう生きるかは個人の勝手です。ただ今の日本は自己責任で生きる事が求められる国です。もはや政治家や官僚があなたの為になる政治や行政をしてくれる時代ではありません。自分の頭で考え判断する、自己責任で生きる人が日本には必要です。

2012年7月8日日曜日

年功序列は憲法違反

年功序列とは年齢による差別であり、憲法違反です。日本は年齢による差別を法律で明確に禁止するべきです。公務員は反対するでしょう。でも人を取りやすく解雇しやすい仕組みに変えて行かないと、新しい産業は育ちません。年功序列の欠点は次の3つです。適材適所ができない。人件費が必ず増える。時代の変化に対応できない。いっぽう終身雇用の欠点は次の3つです。整理解雇ができない。新しい会社が育たない。人材が腐る。年功序列と終身雇用は人口が増大し市場が拡大する局面でのみ長所をもっていました。今や歯車が逆転し人口が減少する日本では、長所はなくなり短所のみが目立ちます。ここにメスを入れない限り、日本の輸出は消え去り産業は空洞化します。日本での働き口は公務員のみとなり、多くの若者は仕事を求めて海外に移住することになります。これは今のギリシャそのものです。税金を納める人数が減るので、財政赤字はさらに悪化します。その結果公務員もまた削減されます。増税するとさらに国内経済が疲弊するので、国として破綻します。終身雇用は従業員にとっても決して良い制度ではありません。余剰人員を解雇できないと会社が潰れます。他の会社も同様に余剰人員を抱えているので、他の会社に移ることもできません。アメリカに過労死がないのは、会社の労働条件が悪いと人材がすぐ他の会社に移るからです。会社にとって必要な人材は解雇されません。終身雇用という幻想にしがみつくのは止めて、仕事の能力を高める努力をしましょう。

2012年7月7日土曜日

失われた20年

マサがアメリカに来たのは1987年です。今から25年前のことです。当時は1ドルが150円ぐらい。アメリカに来た目的は留学で、コンピューター・サイエンスの修士号を取りました。その後アメリカの企業に就職し、日米合わせて5社の会社で働きました。この間に日本ではバブル経済とその崩壊、そしてITブームとその崩壊が起きました。Japan As Number Oneと持ち上げられたのもつかの間、日本はすぐその経済力を落としました。バブル崩壊後の日本の財政は巨額の赤字国債を出すなど悪化し、今では借金大国に成り果てました。バブル崩壊後の20年で起きた事は、日本の仕組みが時代に合わない事を示しています。たとえば年金にしても、国民の男女合計の平均寿命が68歳の時に60歳から支給する仕組みを1961年に作りました。つまり人生最後の8年を助ける制度でした。今では平均寿命が82歳ですから、20年以上の支払い期間があります。それに対して保険の最低加入期間は以前から25年のままです。いやむしろ無年金者を減らすため最低加入期間を10年に縮めようという提案もあります。この様に過去に作られた制度が時代に合わないにも関わらず、その抜本的な改訂を怠った結果が今の日本の姿です。終身雇用や年功序列もそうした時代遅れの制度です。かつての日本は円安を武器に輸出で外貨を稼ぎました。日本の経済が強いと思えば、オイルダラーなど海外の投資家が日本に投資するのは当然です。その結果ジリジリと円高になり、1999年には1ドルが100円になりました。個人的には1ドル100円が妥当なレートだとマサは思います。でもリーマンショックとユーロ危機のせいで円高が進み、今や1ドル80円です。この25年でレートがほぼ倍になったのですから、ドルベースだと日本人の給料は倍になったのと同じです。つまりそれだけ単価の高い仕事をしないとかつての経済力は維持できないという理屈が成り立ちます。単価の低い製造業が日本で衰退するのは避けられません。日本人ひとりひとりの能力を上げて、より単価の高い仕事をする以外に日本の生きる道はありません。

2012年7月4日水曜日

日本の英語学校

日本にいるとまず英語は使いませんね。日本語だけで十分生きて行けるので、英語が上達するはずがありません。なので英語を使えるようになりたい人は、積極的に英語を使う環境に身を置くことが必要になります。仕事で英語を使う人を別にすれば、一般的に英語の能力が先か英語を使う環境が先かという「鶏と玉子」の関係が存在します。普通は英語学校に通うなどで英語を使う環境に身を置き、そこで英語の能力を身につけるという順序になるでしょう。そこで英語学校の質が問われます。日本の英語学校はアルバイト感覚の外国人を雇って安い給料で会話させるだけの所が多いので、あまり先生の質が高くありません。英語をちゃんと教えるにはそれなりのトレーニングを受けた人でないとダメです。ほら、日本人でも日本語を外国人に教える事ができるとは限りませんよね。例えば日本語の文法を英語で説明できますか。「私は社長です」と「私が社長です」の違いを外国人に説明できますか。英語の先生ではなく、単なる会話の相手ならアルバイト感覚の外国人でも勤まります。でも1時間5千円とか払ってその程度の教育を受けるならお金のムダです。英語学校に3年以上通うのもお金のムダです。英語力の維持なら英語学校に行かなくてもできますし、3年通っても物にならないのなら、その学校の教育方法は誤りです。生徒の口コミを読んでから英語学校に申し込んでも遅くはありません。

2012年7月1日日曜日

終身雇用制度に替わるもの

終身雇用制度は法律に明文化された制度ではなく、企業の努力目標であると前に書きました。日本では会社内で従業員を一から育てるので、せっかく育てた従業員に辞められては大損です。また整理解雇の条件が厳しいので、ちょっと赤字が出たくらいでは正社員を首にできません。ところが、こうした日本独特の終身雇用制度に限界が来ています。海外の企業と競争関係にない会社や公務員を除くと、ほとんどの産業がグローバル化に直面しています。つまり海外の、終身雇用制度のない会社が競争相手です。こうした状況ではライバル企業よりも先に収益の上がる分野に投資した会社が勝ちます。それには収益の上がらない部門を切る必要があり、終身雇用制度が足かせとなります。もし日本がグローバル経済で勝ちたいと思うなら、終身雇用制度を諦めて整理解雇をしやすくする必要があります。それと同時に人を採用する場合の年齢や性別、容姿での差別を罰する法律も必要です。人を整理解雇する場合にも、同じく年齢や性別、容姿での差別を法律で禁じると共に、勤続年数に応じた退職金を払い、次の仕事を見つける手だてを提供する決まりにします。人を採りやすく、かつ解雇しやすくするのが目的です。落ち目の会社から陰湿な手段で辞めさせられるぐらいなら、明文化されたルールに従って退職金をもらい、もっと将来性のある企業で働く方がいいと思いませんか。人材が必要な時に必要な所に回る会社がグローバル経済で勝者となります。進化論で有名なダーウィンが言ったように、強いものが生き残るのではなく環境の変化に対応したものが生き残る世の中です。終身雇用制度で得するのは公務員だけです。働く方からしても、他の会社に移りやすくなれば待遇の悪い会社にしがみつく理由がなくなるので、ブラック企業は淘汰されます。

2012年6月29日金曜日

木を見て森を見ず

日本がアメリカの真似をして導入した成果主義は失敗したというのが定説です。日本では仕事に人を付ける方式ではないので、個人の仕事の範囲を明確に決められません。むしろチーム全体としてアウトプットを増やすのが日本の長所なので、個人の出来高だけで決まる成果主義とは矛盾します。それを知った上で導入した真の目的は、年功序列で膨れ上がった中高年の人件費削減に違いありません。話題の夏時間も同じ理由で失敗するでしょう。個人の仕事の範囲が決まっていないと、ここまでやれば今日はおしまいという線引きができません。すると能率が良くて速く仕事を片付ける人は、他の人の分の仕事までやるハメになります。アメリカは自己責任の国なので、会社に人生を預ける人はいません。ではアメリカはチームワークの無い国かというと、決してそうではありません。会社では360度評価でチームメンバーとしての成果が問われます。会議では本音で議論するので、一度納得すれば全員が同じ方向を向いて働きます。ここで納得できない人は、さっさと他の会社に移ります。アメリカは終身雇用ではないので、いつ首を切られるか分かりません。そのため各自が普段から自分の価値を高めるための努力をします。例えば働きながら学位を取るとか、会社外の人的ネットワークを作るために会合に出かけるなどです。部分的には真似できても、これらは全体として真似しないと効果がありません。成果主義、自己責任、非終身雇用は3点セットです。ここからひとつだけ取り出して日本に導入しても成功しません。日本は部分的にアメリカの真似をするのではなく、「木を見て森を見ず」という内向き思考を合理的かつ外向きな思考に変える事が大切です。言い換えると島国根性を捨てるという事です。自分の生きる世界を生まれた場所や国に限定することなく、状況に応じて場所を変えたり仕事を変えたりする勇気のある人や会社だけが生き残ります。本質的でない事にこだわるのは止めて、いつも本音で勝負しましょう。一度だけの人生を、他人の決めたルールに従って生きるのはオカシイと思いませんか。

2012年6月27日水曜日

電気のムダ

3年ぶりの日本で見た電気のムダについて書きます。店の入り口に扉が無いのに店内でエアコンをガンガン使っている店が目につきました。特に靴や洋服を売っている小売店に多い現象です。あれでは電気をドブに捨てているようなもの。さらに地下鉄もホームと車内が明るすぎます。あそこまで明るくする必要はありません。車内で本が読めなくてもかまいません。どうせ大方の人は携帯を見ています。地下なのだから地上と同じ明るさにする必要はまったくありません。較べるとワシントンDCの地下鉄は昼でも洞窟のような暗さです。テレビだって昼間の1時から5時は全部の放送局が放送する必要はありません。曜日ごとに休むテレビ局を決めたらいいでしょう。家の中も明るすぎます。電力会社の宣伝のせいで家の中は明るくしなければいけないと信じている人が多いため、明るすぎる蛍光灯を点けています。新聞や本を読むには適度な明るさがあればよく、寛ぐための部屋なら事務所のような明るさは必要ありません。さらにスマホやパソコンを使う部屋だと、むしろやや暗いほうが目にやさしい照明です。福島の原発事故で、電気は電気代だけがコストではないと分かったはず。日本にはまだまだ電気のムダがあります。

2012年6月25日月曜日

福島に行こう

福島県の高湯温泉に一泊してきました。源泉100%掛け流しの温泉は噂通りでとてもすばらしく、また福島の駅から宿の車で30分程度と交通の便も悪くありません。それでも風評被害で福島の温泉は困っているそうです。マサの泊まった高湯温泉では玉子湯と安達屋のふたつに活気があるだけで、他のお宿は閑散としていました。持参した簡易型放射線測定器で調べた限り、福島駅周辺もお宿も問題となる放射線レベルではありません。なので東京の人にはぜひ福島の会津側にある温泉に旅行して、福島の経済を支えてほしいと思います。色々な理由で宮城県や岩手県に昨年ボランティアに行けなかった人でも、温泉旅行なら行けるのではないでしょうか。福島に危険な原発を押し付けてのうのうとしている東京人の、せめてもの償いだとマサは考えます。

2012年6月19日火曜日

日本の困ったWiFi事情

アメリカから旅行者として日本を訪れると困るのが、無料のWiFiがない事です。プリンスホテル・クラスでも部屋に無料のWiFiがありません。ましてや街のコーヒー店では皆無といっていいでしょう。わずかに空港で使えるのみです。これは外国から来る旅行者には大変不便です。一応日本のプロバイダーから発行されたメールアドレスを持っていれば、freespot.comという無料のWiFiが使える場所はあります。でも海外のメールアドレスでは認証ができません。おそらくWiFiが犯罪に使われるのを恐れてこうした認証を使うのでしょう。最近のスマホやパソコンだと無線LANしか使えないので、日本のWiFi事情は大変お粗末と言えます。また日本の電話会社と契約している人はそれなりのWiFiが使えるのに、それ以外の人には全く方法がないのもIT先進国とは言えません。お店が客寄せのために無料のWiFiを提供するのがアメリカ流です。客の回転率が悪くなるというマイナスの発想ではなく、より顧客に便利な店になるという発想がほしいですね。特に海外からの旅行者を増やすには無料のWiFiが欠かせません。今や飛行機のチケットからホテルの予約までネットでやる時代ですから、ネットは世界のどこでも必需品です。日本は無料WiFiがないという点で旅行者にとても不便な国です。

2012年5月31日木曜日

終身雇用制度の欠点

日本が昭和の時代に急成長した原動力のひとつは終身雇用制度です。理不尽な労働条件でも首になるよりはましと、多くのサラリーマンが十分な手当もないまま長時間労働を行いました。マサも覚えていますが、残業時間には毎月の上限があり、それを超えた時間は申告しないという方法で残業手当を削っていました。人口が時間とともに増える社会では、放っておいても市場が拡大するので会社の売り上げも伸びます。終身雇用のため余剰人員を首にすることはできないので、「窓際族」という言葉が生まれました。会社に来ても仕事がない中高年を窓際の席に座らせてたことから生まれた言葉です。その当時はそれだけの余裕があったんでしょうね。日本では終身雇用と年功序列がセットになっていますので、首を切る事も給料を下げることもできません。そこで子会社を作って余剰人員を転籍させるのが普通でした。今は国内需要が減少するうえ、海外需要も円高でのびません。人口減少が反転しないかぎり、終身雇用も年功序列も維持できません。いまだに大卒の若者がひとつの会社にずっと勤めたいと希望しているそうです。それは日本で年を取ってからの転職が難しいことが理由でしょう。終身雇用制度は明文化された決まりではありません。古い判例が整理解雇を難しくしているので、首を切るかわりに陰湿な手で辞めさせるのが日本の会社です。もはやピラミッド型の人口構成ではなくなった日本が国際競争力を維持するには、終身雇用も年功序列も過去のものとして諦めねばなりません。終身雇用制度の欠点は、新しい会社が育ちにくいことです。大企業が決断の鈍さから競争力を落としているいま、新しい会社が育たないと日本はギリシャのような負債大国になるでしょう。

2012年5月24日木曜日

包装

日本から品物を送ってもらうと、その包装のすごさに毎回びっくりします。旅行のお土産でいただく焼き菓子などは、まず紙でぴっちり覆われていて、それをはがすと紙の箱に入っていて、それを開けるととまた個別に袋に入ったお菓子が出てきます。焼き菓子の場合だと日本は湿気が多いので個別包装は避けられませんが、紙の箱があるのになぜまた紙で包むのか不思議です。さらにそれをビニールの袋に入れて渡すお店もよくあります。日本はゴミの収集方法が原始的で、東京でも収集日の朝に道路に積み上げておくという方式です。紙のゴミも包み紙と箱のふたつでかさ張ります。日本式の包装は少なくともエコからは遠いところにありそうです。これとは好対照なのがアメリカの包装で、日本とは逆にほとんど無いに等しいぐらいです。個別包装も珍しいですし、箱に入った物をさらに紙で包むというのは贈り物の時のみの追加サービスとなっています。自分用に買う場合は紙かビニールの袋に入れておしまい、というのが普通です。日本の過剰包装は見栄もあってなかなか減りませんね。箱の外側を包む紙の包装だけでもやめてもらえると、日本のゴミの減量につながると思うのですが。

2012年5月12日土曜日

津波予想の功罪

昨年の東北地方太平洋沖地震では、気象庁による当初の津波予想が実際の津波の高さの3分の1程度だったため、多くの人が逃げ遅れて亡くなりました。マサの意見ではこれは人災です。業務上過失致死に値します。津波の高さは過小評価してよい数字ではありません。しかも地震後の停電で、海岸付近の住民には訂正された津波の高さが伝わりませんでした。いつもは大きめに出すのに今回なぜ小さくなったかといえば、計算が飽和して正確なマグニチュードを決められなかったためです。日本特有の気象庁マグニチュードという計算方法ではM9.0には決してなりません。気象庁マグニチュードでは3月11日に速報値でM7.9、暫定値でM8.4という数字を出しました。さらに沖合の海底水圧計からのデータで津波の高さは十分予想できたのに、日本近辺ではM9.0の地震は起きないという先入観から津波の高さを過小評価しました。福島の原発事故と同じで、予想はできたのに誰かが想定しなくてよいと決めたため、想定外の地震で津波の高さを過小評価するという致命的なミスを犯しています。科学は常識を疑うことから進歩します。我々が知っている日本の歴史は高々数百年です。それより前の日本でどんな地震が起きたかは誰も知りません。マサに言わせれば、他の国で起きた事は日本でも起きると想定するのが科学者の取るべき態度です。

2012年5月5日土曜日

プライバシー

プライバシーという言葉は英語そのまんま。ということは、日本にはない概念だったのでしょか。公と私の区別。公立学校がパブリックスクールで、私立学校がプライベートスクール。だからプライバシーを辞書で引くと私生活とか秘密とかが出ていて、日本語として落ち着きがありません。日本にはもともとプライバシーの概念はなかったのでしょうね。銭湯にいくとみんな自分の裸を曝して平気だし、東京だと通勤電車で赤の他人とぎゅうぎゅう詰めになるし、人の生き方に口をはさむ人も多いし。人に知らせる必要のない部分がプライバシーと言っていいかとマサは思います。日本人は相対的価値観で生きている人が多いので、自分と比べるために人の私生活を知りたがります。会社員の私生活って何でしょうね。退社後の生活、週末の生活、働いていない時の自分。そういえば日本の会社は個人情報が好きです。履歴書に写真を張り、生年月日と性別を書かせ、家族構成まで知りたがります。どこまでがプライバシーなんでしょう。それを知ってどうするのって聞きたくなります。本人の仕事上の能力以外の情報で書類選考をするということは、差別につながります。容姿による差別、年齢による差別、性別による差別、そして家族の職業や親の有無による差別は日本のどこにでもあります。プライバシーがそのままカタカナで使われているように、プライバシーはもともと日本には存在しなかった概念です。アメリカの履歴書には写真もなければ生年月日もありません。性別や家族構成を書く場所もありません。本人の仕事上の能力以外で求職者を不採用にすると訴訟を起こされて負けるからです。

2012年4月11日水曜日

職場でのお酒

シリコンバレーのIT会社では、社内親睦会の時にビールやワインを出します。HPのマサがいた職場では三ヶ月に一度くらい、金曜日の午後3時から何かの理由を付けてビール・パーティーを社内でやってましたし、今の会社でも同じ位の頻度でビール付きのバーベキュー・パーティーをお昼にしています。日本の会社ではまず考えられないことです。白人はお酒に強いのでこうした社内パーティーがあるのでしょう。通勤が車なので、退社後にお酒付きのパーティーをやりにくいという理由もありそうです。マサは平均的日本人なのでお酒を飲むとすぐ酔っぱらいます。HPにいたときビール・パーティーの後でほろ酔い気分のまま仕事を続けたら、なんとその日の仕事をすべてパーにしたことがあります。まちがえて大事なファイルを消してしまったのでした。一気にほろ酔い気分がさめたものの、こうなっては仕方ありません。それ以来マサは職場でのパーティーでお酒は飲まないようにしています。会社でも飲酒運転は厳禁ですから、酔っぱらうほど飲む人はいません。味わう程度、つまりビールなら小ビン一本です。それでもおなかが空いているとマサならほろ酔い気分になります。平日の昼間から会社の屋上でこうしたバーベキュー・パーティーをするのは、なんとも微笑ましい光景です。

2012年4月1日日曜日

民主主義

結局日本に民主主義は根付かなかったようです。江戸時代からの「お上」の発想から変わっていません。平民は難しいことを「お上」にまかせて、自分たちは目の前のできる事だけやればいいという考えです。民主主義では最終責任は主である民にあります。自民党を選んだのも民です。原子力を選んだのも民です。東電を甘やかしたのも民です。そして民主党を選んだのも民です。例えて言えば、社長が重役に選んだ人間が大事な事を何も改善できなかったとき、その程度の人間を重役に選んだ社長の責任も問われます。民は主なので、最終責任を負うのは民です。難しいことを人に任せてはいけません。それは責任放棄です。今の日本に「お上」は存在しません。かわりに存在するのは責任を問われない「官僚」です。日本を動かしているのは政治家ではなく、東大出の頭の良い「官僚」たちです。税金で世論すら操作できる彼らが民を天井桟敷に置いておくので、日本に輸入された民主主義は枯れてしまいました。自分の頭で考え判断する人間を育てる教育と、税金の使い道を執拗に追求するマスコミがない国では、民主主義は育ちません。年金の問題も財政赤字の問題も原発事故の問題もすべて根っこは同じで、主である民が自分の頭で考え判断するかわりに、「官僚」にすべてを委ねた結果です。かつて日本をリードした「官僚」が今や日本の足を引っ張る存在となったのは誠に残念です。

2012年3月16日金曜日

聞くのは恥?

日本語に「聞くは一時の恥聞かぬは末代の恥」という諺があります。これは日本独特の諺です。少なくともアメリカには「聞く事が恥」という認識はありません。分からなければ分かるまで聞くのがアメリカ人です。分からないのは相手の説明の仕方が悪いためだとアメリカ人は考えます。人と話すというのは人間として最低限必要な能力です。人と話すことを避けると疑問があっても質問できません。恥だと思って聞かないと、その場しのぎの解決に逃げてしまいます。日本の教育は人と話す訓練が足りないとマサは思います。人前で話す練習を小学校からやるべきです。人の目を見て話しをする人は説得力を持ちます。ところが下を向いて原稿を読むだけの大人がなんと日本には多いことか。1年前の福島原発事故の時、いくら広報担当ではないといえ東電の発表はいかにも下手でした。話す人には相手に分かるように説明する義務があります。会議において自分の知らない事が出たら、その場で質問するのが正しい参加者のあり方です。ひょっとしたら他の人も分からないのに勇気がなくて黙っているのかもしれません。もしあまりに分かりきった質問ばかりする人は議長が制止します。特に若い人は知識がその分少ないので、分かるまで聞く事が大切です。ちゃんと理解していないと説明できませんから、知ったかぶりする大人は聞かれると困ります。それでも聞く事は決して恥ではありません。

2012年3月8日木曜日

原発パニック

未来を予想する事と、予想した事に対して対応を考える事は別の行為です。後者を「想定する」と言います。昨年の3月11日に日本政府は原発事故でパニックに陥りました。予想はできた事故でしたが、その確率は日本では恐ろしく小さいという根拠のない判断を過去に誰かが行ったため、政府には対応策がありませんでした。当事者である東電も社長と会長が運悪く東京を離れていたので、迅速な意思決定ができませんでした。住民のパニックを恐れて「格納容器は健全だ」とか「直ちに健康に影響はない」と官房長官は発表しました。政府がパニックに陥ったため、肝心の放射性物質の移動方向や圧力容器の損傷はデータがあったにも関わらず隠蔽されました。その結果国民は政府、東電、保安院、原子力ムラの学者たちが信用できないことを知りました。一度失った信用を取り戻すには長い時間がかかります。昨年名前の上がった政府、東電、保安院、原子力ムラの人たちは、自分が間違っていたと謝罪しない限り信用できない人としてインターネット上にその名前が永久に残るでしょう。3月11日のあと飛行機による放射線量の測定をしたのは米軍が最初です。日本政府は文科省と自衛隊の調整がつかず何日も空からの測定をしませんでした。政府がパニックに陥ったのは原発事故を想定しての対応を練習していなかったためであり、「想定外」というのは「これは想定しなくていい」と決断をした人のミスです。庭の土が放射性物質で汚染されていても、他にもっていく場所がないので庭に埋めるしか手がありません。政府が日本国民を守るというのは建前であって、本音では「自己責任」というのが今の日本です。

2012年3月3日土曜日

震災遺産

昨年の東日本大地震による災害は、震災遺産として後世に残せないでしょうか。地震と津波による災害現場のごく一部を残して、日本を始め世界から来る人に見せましょう。災害を見せ物にするのです。災害で亡くなった人たちの死をムダにしないためにも、津波の恐ろしさを現物で残す必要があります。町の一部をそのままで残して、観光資源にしてくれたらと思います。学校の修学旅行先に含めてはどうでしょうか。災害の語り部をつのって、どうやって生き延びたかを子供たちに教えてほしいと思います。災害を無かった事として忘れたい気持ちも分かりますが、忘れてしまっては犠牲になった人たちが浮かばれません。こうした大災害はまた近いうちに必ず日本を襲いますので、その時の犠牲を出来る限り減らすために震災遺産を残してほしいと思います。これは日本のみならず世界中の人々に必ず役立ちます。人々はあの日にそこで何があったのか知りたいのです。その知識が次世代の助けになることは間違いありません。

2012年3月1日木曜日

原発は危険だ

福島原発事故が教えてくれたのは、原発は危険だという事実です。エネルギー密度の高いウラニウムやプルトニウムを燃料とする原発は、些細な事故が大きな事故になります。どうりで人里離れた田舎に作るわけです。納得が行きました。この期に及んでもまだ原発を稼働させたい自治体にはお気の毒でが、100%安全な原発はありません。他に仕事がなくお金がほしい人の気持ちも分かります。でも土地があれば太陽光発電や風力発電は可能です。あまり人手がかからないので沢山の人は雇えませんけど、エネルギーの安定供給には役立ちます。福島原発はもう少しで日本という国を潰すところでした。このまま日本で原発を使い続ければまた同じような事故が起きます。地震と津波の多い日本には原発は向きません。これは管理の問題ではなく、原発の本質的な弱点です。日本にある原発はすべて共通の欠陥があるため、次の大地震と大津波で再度の炉心溶融事故は免れません。電源をすべて失っても炉心を何日も冷却し続けられる設計にはなっていないからです。おまけに燃料プールはひとたび水を失えば、格納容器の外にある危険な炉心と化します。事故による損害は原発の発電コストを一番高いものにしました。さらに放射性廃棄物の問題があります。日本にはどこにも放射性廃棄物を永久保存してくれる自治体がありません。だれも自分のそばにこんな危険なものを置きたくないからです。だからといって国外に廃棄するのは国としてやってはいけない行為です。40年前とちがって今は原子力に替わるコストの安い他のエネルギー源があります。原発をやめることでとりあえず電気代が10%上がるとしても、電気を10%少なく使えばいいだけの話です。ガス発電など他のエネルギー源に切り替えるコストは、原発事故が日本にもたらした損害額に比べれば安いものです。

2012年2月26日日曜日

地球温暖化と日本

アル・ゴアが有名にした地球温暖化について。世界でもっともCO2を排出しているのがアメリカと中国で、両者を合わせて世界のほぼ50%占めます。日本が排出している分は世界の4%のみ。だから日本がCO2を10%増やしても4.4%になっても世界の気温に対して計測できる変化はまずないでしょう。日本は十分エネルギーを節約しています。原発も止める事ですし、京都議定書は諦めましょう。地球の温暖化には北海道でおいしいお米がとれるというプラスの部分もあります。日本がCO2を10%減らすくらいなら、アメリカと中国のCO2をそれぞれ5%減らすほうが温暖化防止によっぽど効果的です。化石燃料を燃やすとCO2が増加するし、その化石燃料そのものは日本ではとれないので、日本が化石燃料の使用を減らすのは国益にかなっています。さらに脱原発が国民の総意だと思うので、日本はしばらく温暖化には目をつぶり化石燃料を多用することになるでしょう。でもその一方で再生(更新)可能エネルギーにも投資をして、国産のエネルギー源を手に入れる努力も必要です。アメリカの真似をするのではなく、日本独自のエネルギー政策を実行することで、長い目でみて温暖化を防止する役割は果たせると思います。今は京都議定書の遵守をとりあえず諦め、仕切り直す時です。

2012年2月18日土曜日

12時と0時

今でも時々とまどうのが英語での時刻の言い方です。特にお昼と真夜中が鬼門です。では問題です。お昼は英語で◯◯12時ですが、午前12時と午後12時の二つのどちらが正しいでしょうか。答えは午後12時です。12pmといったらお昼の12時を指します。つまり11amの1時間後は12pmになります。さらに12:01pmというのは正午1分過ぎを指します。amとかpmのmは正午のことなので日本式に00:01pmと言えば良さそうなのに、英語には0時が存在しません。アナログ時計の文字盤にも0時はありません。零時1分がないので午後12時1分というわけです。混乱しそうな時は12pmのかわりにnoonと言います。日本語では零時何分という言い方なので、それにつられてゼロ時何分と言うと?という顔をされます。こうした間違いを減らすには24時間表現にする手もあります。ただし午前1時を日本語では25時と言う事があるのに対して、英語には25時はありません。

2012年2月11日土曜日

円高賛成

日本にとって円高は実はとても良い事です。高度成長期に沢山働いた国民の成果であり自慢していい話です。食料とエネルギーを輸入しないと生きて行けない日本では、円高が輸入コストを下げてくれます。また海外に投資することが有利になり競争相手を買収する事も可能です。投資からの上がりで外貨を稼ぐ事ができます。海外旅行をすると円高の有難みが分かると思います。逆に輸出業にとっては不利になります。日本の輸出業は車や電気製品が多かったので円高によりコスト負けしています。ですからこうした製造業は海外のコストの安い国で生産すべきです。では国内の雇用をどう増やしたらいいでしょうか。その答えが産業のソフト化です。第3次産業化ともいいます。製造業はもはや雇用の中心ではなく、観光、教育、映画、金融、保険、医療、IT産業、通信、運送といったソフト産業が雇用の中心になります。ハード産業である製造業は国内需要の分だけあれば十分です。すると製造業にいた労働者の職業再訓練が必要になります。そこは政府が税金を投入して再訓練するべきです。観光なら中国語が有利ですし、集客にはお祭りも要るでしょう。また労働者側には、仕事を求めて引っ越しするという覚悟も求められます。ただし製造業でも競争相手がいなければ日本で続けることは可能なので、横並びの国民性から脱却して世界一を目指す尖った人間を育てる必要があります。このように教育は国の要であり、それ自身が外貨を稼ぐ産業ともなります。さらに日本の食事、文化、安全は国の宝です。福島原発事故が与えた観光への影響は時間とともに減るので、ソフト産業を伸ばすことがこれからの日本の生きる道です。ソフト産業では人件費と売り上げが比例しないため、工夫次第でいくらでも利益を上げる事ができます。つまり円高には好都合な産業です。生き残るには日本も日本人も変わらねばなりません。

2012年2月5日日曜日

第3次産業の壁

日本からアメリカに来る産業には第3次産業がほとんどありません。例えば保険会社だとアフラックやメットライフがアメリカから日本に進出してテレビ広告まて売っているのに比べて、アメリカで日本の保険会社の名前を一般市民が聞く事はありません。日本の映画でアメリカでヒットしたものは「トトロ」が最後です。アメリカから日本の大学に留学に行く人も稀です。医療でも日本の医薬品会社の名前をアメリカで聞くことはありません。IT産業でアメリカに来た会社はほとんどがアメリカの情報収集を目的としていて、ここシリコンバレーでも日本の本社の業績が悪化するにつれ、現地オフィスを縮小するか撤退しています。NTT docomoやKDDIは最近その広告を見かけるようになりましたが、主に日本から来た人を対象に営業しています。アメリカに駐在する日本人を対象にした日本企業の進出は、その駐在員の減少とともに減っています。アメリカにいる日本人を対象とする限りは市場が恐ろしく小さいので、これではアメリカに進出したとは言えません。サービスや物をアメリカ人に売って初めてアメリカに進出したと言えます。製造業では物を作れば販売はアメリカの会社に任せることができました。でも第3次産業ではもっと本腰を入れて現地の人を中心とする組織を作る必要があります。日本の第3次産業は日本国内では輸入超過であり、海外に進出するには人材の壁があります。せめて海外で通用する映画でも作ってくれたら、日本への観光客が増えるのにと思います。

2012年2月1日水曜日

201X年日本崩壊

201X年ついに日本の国債を国民の預金で買えない日が来る。するとどうなるか。まず国債の利率があがり、国家予算を圧迫する。国債が札割れするので、国家予算を大幅カットする。さらに公務員の給料が足りないので、日銀がお札を増刷する。その結果、大幅な円安とハイパーインフレが起きる。円は1ドルが200円になり、インフレ率が年100%になる。預金は封鎖されて銀行から引き出せないし、公共事業と年金の支払いが止まる。町には失業者があふれ、強盗などの凶悪犯罪が倍増する。そこでIMFが乗り込んできて、外圧による日本改革が始まる。公務員は半分に減らされ、年金は50%カット。国有地が売りに出され、中国の富裕層がこれを買う。IMFの融資により国債の消化はできるものの、国家予算も半分にカット。中国や韓国の企業が日本の主立った企業を買収する。日本語の他に英語が公用語となり、社内の会議で日本語は禁止となる。外国人が過半数を占める町が日本の主要都市にできる。企業年金は廃止される。中国とインドから移民が大量に流入する。テレビは日本語放送、英語放送、中国語放送、韓国語放送、インド系放送が普通になる。外国から強盗団も入国し、日本の凶悪犯罪率はアメリカ並みに跳ね上がる。都会は犯罪多発で住みにくくなり、生活保護を申請する日本人の割合が人口の半分に達する。日本の将来に失望した若者が外国に移民する。とまあ悪い方に考えればキリがありません。でもこのシナリオは十分起こりうることなんです。いま増税しなかったら国が潰れます。老人も含め働ける人は働き、国債を減らしましょう。外国の資本に食い物にされるよりマシです。

2012年1月29日日曜日

福島原発事故三つの幸運

あまりマスコミは報じていませんが、福島原発事故には三つの幸運がありました。この幸運が無かったら、もっとひどい放射能汚染を引き起こしていたところでした。国が最近まで公表していなかった最悪のシナリオは、実はこうした幸運によって防がれたものです。まず最初は4号機の燃料プールの水です。ここには使用済みだけでなく現役の燃料棒が大量に置かれており、アメリカ側が推定したように燃料プールの水は数日で蒸発して無くなるはずでした。すると燃料棒がむき出しのままメルトダウンして大量の放射性物質を放出します。東京まで避難地域になるシナリオでした。ところが4号機の水素爆発により原子炉ウェルの扉が開いて水が燃料プールに流れ込み、蒸発を防止しました。これが最大の幸運です。次は2号機の原子炉建屋です。2号機も4号機と同じく水素爆発するはずでした。ところが3号機(または1号機)の爆発により2号機の原子炉建屋が変形し、圧力を逃がすためのブローアウトパネルが脱落しました。この結果水素が建屋に溜まることなく、2号機の爆発は起きませんでした。そして最後の幸運は、度重なる水素爆発にも関わらず死者が無かったことです。特に3号機の爆発は強烈でしたので、落ちて来るコンクリート片がすぐ側にいた自衛隊員に当たれば間違いなく死んでいました。けが人だけで済んだのは幸運としが言いようがありません。今回の事故により、燃料プールはひとたび冷却が止まると、むき出しの炉心と同じくらい危険になる事が分かりました。燃料プールは格納容器の外にあるので、これが崩壊すると放射能を遮るものはありません。チェルノブイリ級の大惨事になるところでした。これは今までの原子力事故対策の盲点であり、日本の原子炉すべてに共通する弱点です。

2012年1月28日土曜日

ゆとり教育

先生にゆとりが無いと、生徒にもゆとりがありません。その意味で週休二日にしたのは良かったのですが、授業時間が減った分をどこかで取り戻す必要がありました。落ちこぼれをなくすという目標もそれ自身に罪はありません。でもその手段として教育内容を減らすという行動は誤りでした。落ちこぼれをなくすには、全員の底上げをするか、基準を下げるかのどちらかの方法があります。日本の文科省が取った方法は、基準を下げるという方法でした。社会に役立つ人間を育てるのが教育の目的です。日本の公立教育は安かろう悪かろうとなっています。GDP比で日本の公立教育費は、OECD諸国のうちギリシャに次いで下から2番目です。先生ひとりが受け持つ生徒の数が多すぎます。ゆとり教育は社会に役立つ人間を育てるという目的に照らして誤りであり、本当は先生の数を倍にして学校行事を半分に減らすべきでした。入学式は要りません。授業時間は減らすより増やすことが必要なので、夏休みを短くします。学校には冷房を入れます。国際競争力のある日本人を一人でも増やすには、教育に投資するのが一番です。ゆとり教育でいう「生きる力」とは何でしょうか。それは客観的に数字で表せるものでしょうか。文科省の自己満足で終わらせないために、「生きる力」は国際比較可能な数字で表す必要があります。教育とは税金を使う投資ですから、その結果リターンがいくらかを納税者である国民は厳しく見つめるべきです。マサに言わせれば「生きる力」とは「日本人として生き残る力」であり、国際競争力そのものです。ゆとり教育はまさにその「生きる力」を日本から奪った政策でした。

2012年1月19日木曜日

教育産業の行方

今の日本には実は教育産業が大きく伸びる余地があります。既存の学校が社会の要求に満たない学生を送り出すので、社会人は自分で必要な勉強をしなければなりません。英会話学校や各種の資格取得講座など花盛りです。どうしてこうした資格を高校や大学などで取れないのでしょうか。半年や1年で取れる資格だったら学校の中でも取れそうに思います。こうした資格が実は物の役に立たないからでしょうか。社会の役に立つ人材を送り出すのが学校の役割ですよね。求める人材と学校が送り出す人材のギャップが大きいと、社会人になってからお金と時間をかけて再び教育を受ける必要があり、これは社会的な損失になります。もちろん社会に出てから学生に戻るのは経済的に可能なら良い事ですし、働きながらの社会人教育を否定するつもりはありません。問題は新卒の学生が社会の要求をどれだけ満たしているかです。日本の大学などの学校は普段あまり国際競争力を問われることがありません。日本人はほとんど日本で暮らしますので、外国の学校に学生を取られるという問題がないからです。ところが企業は国際競争の中にいるので、国際競争力のある人材を求めます。その結果日本にいる外国人留学生がもてはやされ、日本の学生は割を食うことになります。国際競争力のある人材を養成するには、学校そのものが国際競争力を身につける必要があります。英会話学校や各種の資格取得講座が人気なのは、日本の学校が社会の要求を満たしていない証拠のように思えます。日本でしか通用しない資格に国際競争力はありません。日本からアメリカに留学する学生の数も円高なのに減っています。ゆとり教育の弊害でしょうか。

2012年1月17日火曜日

国際競争力

国際競争力とは何でしょうか。日本が他国と競争する分野は経済、科学、文化、スポーツ、軍事力などがあります。経済の国際競争力は経常収支に現れます。物とサービス、投資とそのリターンを含めて黒字か赤字かという数字です。日本は外国から食料とエネルギーを買わねばなりませんので、その分の外貨を常に手に入れる必要があります。科学での国際競争力は特許の数やノーベル賞の数などに現れ、これも経済の国際競争力に影響します。たとえば特許が多いほどそのライセンス料で外貨を稼ぐ事も可能です。文化の国際競争力は直接数字では表現できませんが、間接的には観光や映画などの娯楽産業に現れます。スポーツの国際競争力はオリンピックのメダルの数やワールドカップでの順位に現れ、これも間接的に経済に影響します。軍事力は国と国とが対立した時に政治力の差となって現れます。政治は経済に大きく影響しますので、軍事力も経済にプラスとマイナスの両方の影響を持ちます。日本が国際競争力を発揮したいのはまず経済分野です。ところが経済には科学、文化、スポーツ、軍事力が影響します。日本は憲法で軍隊を禁止したので、とりあえず軍事力は大きくありません。それ以外の日本の経済、科学、文化、スポーツの国際競争力はどうでしょうか。文化とスポーツはまあまあ。科学と経済は低下傾向です。日本の経常収支は黒字が減少しています。円高に加えてアジア諸国との競争により輸出が減少し、原油高とエネルギーの輸入増加で外国への支払いは増えています。この傾向は少なくともあと10年は続くでしょう。人口減少の日本が生き残るには、国際競争力という視点が欠かせません。日本の教育の目的は、ひとつには外貨を稼ぐ人間を育てることです。これを否定しては将来の日本は成り立ちません。観光でもゲームでも方法は何でもいいから、外貨を稼ぐ能力が国際競争力です。

2012年1月14日土曜日

アメリカの大学入試

アメリカの大学入試は長い期間をかけて行います。まず高校が4年制なので、高校3年生の時にSATというテストを受けます。これは日本の共通一時試験にあたり、College Boardという団体に受験料を払って受けるテストです。ただしこれはいつ受けても良く、何度でも受けられます。インターネットから申し込みができ、近くの高校で土曜日に受けられます。点数は本人に通知され、希望の大学にはこのテストの一番高い点数が送られます。SATの科目には英語(国語)と数学の他に選択科目として理科や外国語などがあります。大学毎にどの選択科目の点数が必要かが少し違います。外国語の場合はリスニングに持参のCDプレーヤーを使います。数学だと電卓の持ち込みが許されており、高校ではグラフを描ける電卓の使い方を学びます。これを高校の2年ないし3年で受けます。SATの他にはACTという同様のテストもあって、ほとんどの大学はどちらの点数も受け付けます。点数は正規化されていて、いつ受けても同じ学力なら同じ点数になります。大学は9月入学なので、その前年の10月から12月にかけて希望の大学に願書を送ります。これもほとんどインターネットからできます。SATの点数の他に、自分を売り込むためのエッセイを書いて大学に送ります。これはワードファイルが普通です。このエッセイが面接試験の代わりになります。また、その時点での高校の成績も送ります。成績は再度高校が終わってから最終的なものを大学に送るので、卒業するまで手は抜けません。さらに受験生の周りの先生やボランティア先の大人の人三名に推薦状を書いて大学に送ってもらいます。また学校によっては、書類審査で絞り込んでから本人を大学に呼んで面接試験や実技試験をする事もあります。合否が分かるのは1月から3月ぐらいになります。いずれにしても、日本と違って年に一回のテストですべてを決めるシステムにはなっていません。

2012年1月4日水曜日

守りに入るな

スティーブ・ジョブスのスピーチにある「Stay hungry, stay foolish」は、成功したお金持ちの子供が多いスタンフォード大学の卒業生に向けて語られたキーワードです。マサはこれが「守りに入るな」という意味だと解釈しています。会社が若いうちは従業員も若いので攻撃的な経営ができます。でも何十年も経つと経営層が年を取り、自然と守りに入るので株価が停滞します。アメリカの場合こうなると株主が外部から(しがらみの無い)新しい経営者を連れてきて経営改革します。日本だと日産自動車のゴーン氏がこれに当たります。先輩の仕事を簡単に否定できない日本の組織では、成功の罠にハマる会社がアメリカよりも多いと危惧しています。日本という国自身がいまだに製造業にこだわるのも成功の罠です。かつてサン・マイクロシステムズという会社がシリコンバレーにありました。今のFacebookみたいに大学生憧れの会社で、マサのいたHPとはライバル関係にあった会社です。でもいつのまにか業績を落とし、2009年にオラクルに買収されました。HPも同じく縮小傾向にあり、外部から新しい経営者を連れてきました。こうしたハードウェアの会社はもはやシリコンバレーの中心ではありません。そんな中でアップルはほぼ唯一の例外もしくは生き残りです。マックの成功で守りに入ったアップルも、業績低迷のあと外部から(再び)スティーブ・ジョブスを連れてきて成功しました。日本の会社も守りに入ると、海外の会社から経営者を送り込まれるようになるでしょう。「守りに入るな」は今の日本に向けて送りたいメッセージです。

2012年1月2日月曜日

福島原発の欠陥

マサは一応エンジニアなので、福島第一原発の設計上の問題点を調べてみました。

1 電源が無くても炉心やプールを冷却できるシステムが無かった(フェイルセーフの欠如)
2 非常用発電機とバックアップ電池が同じ場所、しかも地下にあった(津波や浸水に弱い)
3 ベントしたため原子炉建屋に水素ガスがたまり、ガス爆発を起こした(ベント系の欠陥)

サブシステムとして非常用復水器IC、原子炉隔離時冷却系RCIC、高圧注水系HPCIなどを持っていましたが、いずれもバックアップ電池が使えなくなった時点で停止しています。それぞれのサブシステムが電源喪失で停止するのはフェイルセーフとして正しいことです。しかし全体としてみるとこれはフェイルセーフになっていません。スクラムにより停止した炉心には大量の発熱があり、これを一切の電源なしに冷やすサブシステムが欠けていました。設計上の欠陥です。

非常用発電機は冷却のため海水を必要とします。さらにタービン建屋の地下に置かれていた発電機は、海水の浸水で使えなくなりました。他の場所にあっても、冷却用海水ポンプが止まったため空冷式でないものは使えなくなりました。さらにタービン建屋の地下にはバックアップ電池と配電盤があり、これらも水没したため使えなくなりました。照明や計器用電源すら失いました。設計上の欠陥です。

格納容器からベントで排出した水素ガスが、電源がないため開いていたパイプを通って原子炉建屋に逆流しガス爆発を起こしたのは、明らかにベント系の設計上の欠陥です。フェイルセーフとして、電源喪失時に逆流を防ぐため原子炉建屋につながる弁は自動的に閉まるべきです。あるいは、別々の排気塔を設けるべきです。1号機と2号機、3号機と4号機の排気塔が共通なのも欠陥です。

これら設計上の欠陥は福島第一以外の原発にも共通するものであり、ひとことで言えば全電源喪失を考慮していないということです。その対策なしに原発の運転を続けることは大変危険だと分かりました。日本のすべての原発はこの欠陥をかかえており、それでは炉心溶融事故が起きると実証されたので、いま日本の原発をすべて止めることが国民のためになるとマサは考えます。原発はもはや安いエネルギー源ではありません。

2012年1月1日日曜日

サービス業

日本でサービス業というと、安っぽい産業のイメージがありませんか。「サービス」が「無料」という意味に使われているので、こうした誤解が生じるのでしょう。サービス業とは第3次産業のことです。農業や漁業、鉱業や林業など直接自然の恵みを収穫するのが第1次産業、それらを加工して製品にするのが製造業である第2次産業、それ以外の産業全部が第3次産業です。金額的には第3次産業が一番大きいと言えるでしょう。アメリカは農業国でもあり、ガスや石油など地下資源もあるので第1次産業が発達しています。製造業は日本に押されてるものの、車や飛行機、兵器やハイテク機器に強みがあります。それ以外の観光、教育、映画、金融、保険、医療、IT産業、通信、運送など第3次産業も活発です。日本は土地が狭く地下資源もないので、第1次産業は国内需要すら満たしていません。第2次産業も円高とアジアの追い上げにより縮小傾向です。残るは第3次産業です。ここで誤解して欲しくないのは、第3次産業はサービス業だから利益が少ないとか、小売りや介護だけかと思ってしまう点です。第3次産業には観光、教育、映画、金融、保険、医療、IT産業、通信、運送などが入ります。これらはすべて体より頭を使う産業です。日本の産業が進む方向は第3次産業であり、こうした産業で他の国に勝てるような国際競争力のある人材が日本の将来には欠かせません。日本は閉鎖的なので海外からの移民は成功せず、人口の減少も続きます。国民ひとりひとりの能力を高める以外に、日本の没落を免れる道はないとマサは考えます。