2013年12月26日木曜日

ムラ社会と平等

日本のムラ社会とは、外部の決まりより所属する団体の決まりを優先する人々が営む社会のことです。法律違反と分かっているのに会社の不祥事を隠す会社員は珍しくありません。その見返りとして、団体の中でムラびとは結果平等を保証されています。会社にいるかぎり定年まで終身雇用だからね、という見返りです。会社の外にいる人に何が起きても気にしません。日本の民間企業は円高で他国と較べて高くなりすぎた人件費を削るため、派遣労働者を使いました。ここでの結果平等は正社員にのみ適用され、派遣労働者はムラびととはみなされません。つまり日本の結果平等はあるムラに属する人たちだけに適用される考え方で、国民全体とか人類全体のような大きな単位には適用されません。自分たちだけ良ければいい、という利己主義の結果が今の日本のムラ社会とその中だけに適用される結果平等です。グローバル経済では単価の安い仕事が海外に移るので、日本の収入格差は今後ますます大きくなります。公務員や会社の枠を越えた結果平等を目指すか、または機会平等に舵を切り替えて何度でもやり直せる社会にするかのどちらかにしないと、日本はとても住みにくい国になってしまいます。前者は同じ仕事に同じ賃金という考え方なので、派遣労働者と正社員の間に賃金の差を付けないという方向です。後者は結果平等を不可能な目標としてあきらめ、その代わり機会平等に徹して年功序列を違法にする方向です。今の日本は実質的に結果平等でも機会平等でもないので、両者の悪いところだけを取ったような困った社会になっています。

2013年12月14日土曜日

また起きる原発事故

2011年3月11日を境に日本の原発は安全な物から危険な物に変わりました。それまで日本の原発が安全だと言い続けてきた根拠がなくなり、もう誰も日本の原発が安全だと言えなくなりました。「今まで過酷事故が起きてないから安全だ」という理屈はもう通りません。このまま原発の運転を続ければ、また福島原発のような事故が必ず起きます。問題がそれがいつかであって、起きないという可能性はゼロです。また大地震が起きて大津波がどこかの原発を襲えば、もっとひどい過酷事故が起きても不思議ではありません。もはや原発事故は想定外ではなくなりました。3月11日を境に、原発は経済的でもなければ安全でもない発電施設となったわけです。この期に及んでまだ原発を続けるとすれば、それは日本がいずれ核武装したいからだという他に理由が見当たりません。東電だけでは、事故の補償もできなければ除染や廃炉作業もできません。すべて国民のお金である税金をつぎ込まないと進みません。いくらお金を使えば事故の処理が終わるのか、それすらも見通しがありません。今や原発はとてつもなくコストの高い発電方法になりました。核武装するのかどうかは国民が決める事で、時の政府が国民に本当の理由を隠したまま、コストの高い発電方法を続けるのは背任です。次に起きる原発事故では運良く風が海に向かって吹くとは限りません。原発事故がまた起きるのは確かなうえ、原発の代わりになるコストの安い発電方法があるのにも関わらず、あえて原発を使い続けるのはなぜでしょう。日本の子供たちに放射性廃棄物の山と老朽化した原発を押し付けて、自分だけ楽しい思いができれば今の大人はいいのでしょうか。福島の原発事故は、日本の大人による不作為の結果起きました。日本の原発は安全だという神話を作ったのも、またそれを鵜呑みにしたのも今の大人です。我々はあの事故から何を教訓として学んだのでしょう。

2013年12月6日金曜日

グッドウィル

アメリカにはグッドウィルという非営利団体があって、障碍者の職業訓練や不要品を回収して販売する業務で職のない人に職を提供しています。大きな町には不要品の回収所兼販売所があり、引っ越しで不要になった家具や着なくなった洋服などを引き取って、少しキレイにして売っています。もともとはキリスト教の団体だったものが、今では宗教に関係なく安価で中古品を売る店として全米各地と世界の17カ国に広がっています。ただし日本にはまだありません。マサも貧乏学生の時よくここを利用しました。古着を1ドルから5ドル程度で売っていますし、子供の洋服なども成長が早いので、1年ぐらいしか着ないものはグッドウィルで十分です。また不要品を無料で引き取ってくれるので、捨てるよりもエコだし、寄付としてその受取証を税金控除に使えます。食器も半端物などをすごく安く買う事ができます。日本にもぜひほしいシステムなので、どなたか日本にこうした非営利団体を作りませんか。まだ使える家具や家電、食器や古着を捨てなくて済むのでゴミが減るし、欲しい人には安価で販売できるし、その売り上げで必要な人に職業訓練を与える事ができます。不要品を回収して販売するにはある程度の店の数が必要です。不要品がたくさん出る所と、それが売れる所とは違ってきます。年寄りの多い地域は不要品がたくさんあり、若い人の多い地域は安価な中古品がたくさん売れます。不要品が余っている場所から足りない場所へ配送するので、毎週トラックによる配送をしています。お金を寄付するかわりに不要品を寄付する事で、誰でも世の中の役に立つ事ができます。
http://www.goodwill.org/

2013年12月1日日曜日

案内板に英語を

2003年のアメリカ映画「Lost In Translation」の冒頭のシーンを覚えていますか。主人公が東京にサントリーのCM撮影のためにやってきます。タクシーから眺める東京は日本語の看板だらけで、英語の看板はひとつもありません。看板の文字が読めない場所、つまりまったくの異国にいるという状況を表すシーンです。アルファベットしか知らないアメリカ人が心細くなる状況をよく表現しています。もしもっと外国人に旅行に来てもらうつもりなら、まず看板にアルファベットを入れて、日本語が読めない人にも分かる看板にしてください。「品川」という駅で山手線を降りるために、three boxes and three linesという説明をしなくても済むのが理想です。看板に日本語と同じ大きさでShina Gawaと書けばいい話です。英語に存在しない固有名詞などの長い単語は発音しにくいので、漢字単位で分けて書きます。駅名をアルファベットで音読できれば、あまり心細くはなりません。病院など公共施設の案内板には、事実上の世界共通語である英語を併記します。案内板の日本語をただローマ字に置き換えても意味が分かりません。旅行者だからこそ電車やバスを使って動き回るので、それには英語の案内が必要です。これは日本に来る外国人旅行者を増やすための、ささやかな投資です。

2013年11月22日金曜日

人を惹き付ける土地

シリコン・バレーは気候が良いので有名です。ロサンゼルスほど暑くなく、かといって雪が降るほど寒くもありません。日本のように四季の変化があり、海や山にも近くて遊ぶには事欠きません。夏は乾燥していて日陰では涼しいぐらいですし、冬は雨が多くて山には雪が降ります。このためアウトドアが好きな人には天国といってもいいぐらい、天気に恵まれた所です。もともとは果樹園だったこの土地にハイテク産業が生まれたきっかけは、スタンフォード大学の卒業生が1939年にこの地で電子機器を作る会社(ヒューレット・パッカード社)を起業した事です。その後スタンフォード大学は西の名門私立大学として発展し、多数の有能な人材を地元経済に供給し続けています。大学のあるパロ・アルト市には数多くのスタート・アップが存在し、学生もしくは卒業生が明日のFacebookを目指して数多くの小さなオフィスで働いています。こうしたハイテク産業を支える人材を供給するのが大学の役目のひとつです。シリコン・バレーは高いビルもない田舎町なので、都会が好きな人はサン・フランシスコに住み列車で通勤しています。サン・フランシスコ国際空港まで車で1時間もかからないので、交通の便が良いのも強みです。スタート・アップに資金を投資するベンチャー・キャピタルもスタンフォード大学の回りに集中しています。シリコン・バレーには、良い気候と名門大学とハイテク産業という三拍子が揃っています。

2013年10月29日火曜日

ネットラジオの愚

とても残念なことに日本のラジオ局はいまだに海外からのネット聴取者を排除しています。IPアドレスを見て海外のアドレスだと接続を拒否します。これはとても愚かな行為です。海外への配信を拒否することで得るものは僅かです。つまり日本の法律の効力が及ぶ範囲の聴取者だけを相手にしています。せっかくインターネットという世界中に届く手段を持っているのに、その能力を自分で制限しています。そのため日本のニュース、文化、音楽が他の国に広がりません。日本の文化や音楽は国際競争力があるのに、それを海外に売り込まないのはなぜでしょうか。日本映画のDVDやBDに英語や中国語の字幕を付けない映画会社も近視眼的です。ネット上のラジオ局は星の数ほどあって、中国や北朝鮮を除けば日本からすべて聴くことができます。ネットラジオは昔の短波放送と同じで、国や文化のいい宣伝になる媒体です。ネットで音楽がコピーされて広まるのはむしろ嬉しいことであり、そのアーティストのコンサートに海外から来る人が増えます。iTunes Radioを見てください。タダで音楽を流して、気に入ればその場で購入できるという仕組みです。日本の放送局はNHKも民放も保守的すぎます。ガチガチに回りを固めて一体何を守ろうとしているのか分かりません。テレビ放送もラジオ放送も緊急時以外はネットで十分です。そこに制限を設けて、せっかくの商機を逃しているのが日本の放送局です。放送局が鎖国してもいい事は何もありません。

2013年10月5日土曜日

減点主義と結果平等

マサもかつて虜になっていたのが日本の減点主義と結果平等です。減点主義とは人の失敗を評価の中心にする主義で、公務員の世界では普通です。小学校から高校までの生徒の評価も100点を上限とする減点主義です。減点主義ではなるべく新しい事をやらず、問題は先送りにするのが正しい判断になります。減点主義の反対は加点主義で、人の成果を評価の中心にする主義です。これは民間会社でよく見られる人事評価です。加点主義では問題を積極的に解決するのが正しい判断になります。民間会社は他の会社との競争があるので、問題を先送りすると生き残れません。これと似ているのが結果平等という考え方です。「出る杭は打たれる」という諺もあるように、日本では人より何か優れた物を持つ人は失敗した時に強い批判の対象になります。加点主義の世界なら失敗は成功の元なので、失敗をどう次の成功に結びつけるかが評価の対象です。でも減点主義の世界だと失敗はあってはいけない事なので、失敗そのものが評価を下げる理由になります。日本の平等主義は「人と同じことが良い」という考え方なので、人より何か優れた物を持つ人は自分への脅威になります。自分より優れた人を認めてしまうと結果平等が成立しないので、そうした人を認めるわけにはいきません。自分の努力不足、能力不足、運の悪さを認めるのは自分が許しません。そこで自分より優れた人の失敗を強調して、その人が優れていることを否定しようとします。減点主義と結果平等は同じコインの裏と表でしかありません。変化の少ない、均質な社会であった江戸時代の日本ならそれでもいいでしょう。しかし変化の激しい現代において、減点主義と結果平等は日本の足かせとなっています。

2013年9月28日土曜日

ブログからキンドル本

このブログを開設して4年が経ちましたので、4周年記念として内容を抜粋して大幅に加筆修正のうえ、キンドル本として出版しました。本の題名は「アメリカから日本が見える」です。2万文字の分量で100円とお手頃な価格になっています。マサの日本への想いがこもった本です。下にアマゾンへのリンクを貼りますので、もしお時間があればご覧下さい。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00FIBD8C8

2013年9月20日金曜日

キラーTV

今や落ち目の日本製TVにも起死回生の策はあります。それはTVをアンドロイド・ベースにしてしまう事です。つまり大きな横長のタブレット端末にTVが見れるアプリが乗っているという構造です。ハードはタブレットとほぼ同じなので金額的にも同じになります。画面コストは大きくなるのものの、HDDレコーダーなどは不要なので簡単なハードで済むでしょう。付加価値はすべてアプリで実現するというアイデアです。2台目のTVとして32インチあたりで実現したら飛ぶように売れるでしょう。リモコンにはスマホを使い、録画は外付けのSDメモリカードに記録します。パナソニックあたりがこうした掟やぶりのTVを出さないかと期待しています。TV屋としては、ハードが売れればそれにどの局の番組やインターネットのサービスが走ろうと関係ない、という態度が必要です。同じような事をGoogleがChromecastという付属品でやろうとしています。TV屋がやればもっとオープンなTVができます。もしTV屋がやらなければ、スマホを作っているサムソンやLGあたりが先にやってしまうでしょう。ただ画質やデザインに凝るだけでは日本製TVに勝ち目はありません。こうした突出した製品をタイミング良く出せるかが家電業界で生き残るカギです。

2013年9月13日金曜日

世論と報道

世界中の数限りないニュースから、報道各社はある基準でニュースを選び報道します。ここで取り上げられなかったら存在しないのと同じで、世の中の人はそのニュースを知りません。ほとんどの人はニュースに対して受け身です。自分から新しいニュースを探しに現場に向かう人は記者やジャーナリストであって、世間一般の人ではありません。ですからある国で起きた事件が他の国にニュースとして報道されるには、そうとう大きな事件である必要があります。例えば富士山が世界遺産に選ばれた事は日本では大きなニュースでした。でもアメリカでこれが報道された形跡はありません。普通のアメリカ人にとって、この話は価値のないニュースだからです。同じようにアメリカの人口で白人以外の人種では、黒人を抜いてヒスパニックが最大の割合を占めているというニュースも日本では報道された形跡がありません。報道されたニュースだけで人は判断するので、世論は報道で決まると言っても過言ではないでしょう。尖閣諸島の問題や北朝鮮の拉致問題も、アメリカでは報道されないので普通のアメリカ人はまず知りません。

2013年9月6日金曜日

奨学金?

日本の奨学金は給付型の他に貸付型のものがあり、それも無利子と有利子のふたつに分かれます。アメリカの奨学金は給付型のみで、日本のような貸し付けは学生ローンと呼ばれます。このローンは無担保のため利率が高く、5%から10%はざらです。同様に日本の有利子奨学金は正確には無担保ローンです。希望すればほぼ誰でも貰える現状からみると、消費者金融の親戚のように見えます。その有利子奨学金が返済されないケースが日本で増えているという事なので、おそらく無担保ローンの審査が不十分なのでしょう。マサはまともな審査のない無担保ローンはやめるべきだと思います。高卒で働いてお金を貯めて大学にいく道もある以上、希望者全員に無担保ローンを融資するのは誤りです。現状のような制度では今後ローンを返せない人が続出します。高校生全員が大学にいく必要もないので、貧困家庭で成績優秀な学生にのみ大学が授業料免除や生活費の給付という形で給付型の奨学金を出す方がお金が生きます。成功した卒業生から寄付金を募ってそうした給付型の奨学金の原資とします。貧乏だと塾にも行けないので、貧困家庭の成績優秀な学生に給付型の奨学金を出すのは、社会の格差是正につながる税金の正しい使い方です。学費の安い国立大学に金持ちの子供だけが入学できる社会は、税金の使い方が間違っています。

2013年8月31日土曜日

学校に防犯カメラ

こうも後から後から学校内でのいじめや体罰問題がでてくると、学校の中に防犯カメラが要ると思います。教室の中、廊下、体育館、校庭などほとんどすべての場所で必要です。他人の目がないと何が起きるか分からないし、教師や教育委員会はあてにならないので、動かぬ証拠が必要です。保護者がお金を集めて防犯カメラを付けるといいと思います。学校が安全という常識はもはや通用しないので、親は子供に自衛させるべきです。駅前に防犯カメラがあるなら、学校の中にあってもおかしくありません。防犯カメラは子供と教師の両方を守る道具になります。たとえば暴力をふるう子供はまずその親に警告を与え、それでも改善しないなら専門の学校に転校させるべきです。子供にボイス・レコーダーを持たせるのも自衛に役立つ良い方法です。教室に防犯カメラを取り付けることで子供の学校生活を可視化できます。そのための出費ならマサは子を持つ親として喜んで出します。

2013年8月24日土曜日

結果としての安全

人々が安全を口にするとき、そこには2種類の安全があります。結果としての安全と前提としての安全です。この端的な例が、原発の安全について議論すると必ず出てきます。福島原発事故のおかげで、原発が安全だというのは単なる約束にすぎず、この約束が破られる事があると我々は知りました。国民は結果として原発は安全ではないと知ったので、大半は原発の利用をやめたいと思っています。結果としての安全を保証することは誰にもできない以上、他に代替手段のある原発をやめることで、結果としての安全を得ようとしています。ところが、地方自治体は政府に結果としての安全を求め、政府はそれを電力会社に言わせようとし、電力会社はこれを原子力規制委員会に押し付けています。原子力規制委員会は前提としての安全しか議論できません。事故にいたるシナリオを考え、そのシナリオを回避する規制を考え、電力会社にその規制を守る約束をさせるだけです。出口での安全を求める国民と入り口での安全しか考えない政府とでは、議論が平行線をたどっています。もちろん結果として安全でない物は他にもあります。例えば飛行機、船、車、電車といった交通手段です。これらは利用者が値段と利益と安全のバランスを選ぶ事ができます。ところが電力の場合、利用者にそうした選択権がありません。原発は過酷事故を起こした場合の被害がとても大きいので、人口密集地には作れません。もし結果として安全な物なら、電力の消費地である東京に作ればいいのです。高層ビルもスカイツリーも作れるならば、東京に原発を作れない技術的な理由はありません。結果としての安全が得られないのに、前提としての安全を唱えるだけの政府に国民の大半は失望しています。結果としての安全を求めるならば、原発を順次減らしていくのが現実的な妥協点でしょう。40年経過した原子炉は廃炉にして、もう新しい原子炉は作らない。これで近い将来原発はゼロになります。地震と津波が多いうえ事故のとき逃げ場がない日本では、もはや原発は危険すぎるエネルギー源となったのです。

2013年8月17日土曜日

「空気」とは何か

KY(空気読めない)という言葉に出て来る「空気」とは何でしょうか。マサはこれが建前と分離した本音であると思います。建前が通常表に出て来るのに対して、本音とは普通隠しておくものです。ところがこの本音が多数派になると、それはその場の空気として圧力を持ちます。つまりKYとは「俺たちの本音を分かってくれ」という願望が生み出す圧力です。普段から本音ではなく建前で会話する事の多い大人にとって、大事な場面で本音を察してくれない人はKYという形容詞で非難したくなる対象となります。建前と本音の乖離が大きいほど「空気」の圧力は高くなります。建前を理屈に、本音を感情に置き換える事もできます。だれかが正しい理屈を述べ、その場にいる人が「理屈はそうだけど感情的には違う」と思ったら「空気」が発生しています。建前と本音はバネでつながれていて、お互いに引き寄せ合い一つになろうとします。そのため間に挟まれている空気がある程度の圧力を持つと、その場にいる人に影響を及ぼします。建前と本音の乖離が大きくなればなるほど、また本音を言いたいのに言えない人の数が多ければ多いほど、その場の「空気」は高い圧力を持ちます。この「空気」は存在する空間が必要なので、複数の人間が集まる場所でのみ発生します。またそうした「空気」には日本を滅ぼすぐらいの力があるので、この力を殺ぐには建前と本音の分離をやめるのが一番です。つまり建前の影に隠れるのではなく、本音で生きる人を増やすという事です。それができれば、決定の先延ばしや両論併記という責任逃れをする大人を減らせるでしょう。

2013年8月2日金曜日

過労死

最近英語になった日本語にkaroushi(過労死)があります。日本以外では過労死は珍しいので、翻訳せずに日本語がそのまま英語になってます。アメリカだと月に80時間も残業させたらその人は会社を辞めてしまいます。スタートアップなどで例外的に長時間働いてもらう場合は、会社の未公開株を持たせるなどしてお金で引き留めます。アメリカは自己責任の国ですし、お金よりも自分の命や家族の方が大事と思っている人がほとんどなので、長過ぎる残業時間は会社を辞める立派な理由になります。アメリカと較べて日本に長時間労働が多い理由は主に3つあると思います。まず最初に日本では自己責任で生きている人が少ない点があげられます。集団に属する事で安定した生き方を求めるという事は、会社任せの人生となるので自己責任とは真逆です。実は日本の正社員という働き方はアメリカにはありません。つまり会社に人生を預ける代わりに、何でも言われた事をやるという生き方はアメリカにはありません。そもそも会社に人生を預けるという考え方がないので、少しでも待遇の良い会社が他にあればアメリカ人はすぐ移ります。それに就社ではなく就職なので、会社を移る以外に給料を上げる方法がありませんし、回りの人もそれを賞賛します。次に日本では長時間働く事が良い事だという誤解があり、休暇を取らずに働く人が褒められます。本当は長時間労働により体や精神が不健康になるだけではなく、休みを取らないと新しいアイデアが生まれなくなります。昭和の時代に日本の会社がコストを下げるため残業を奨励したのは確かです。今はそれに加えて非正規雇用で労働コストを下げています。これはいわば従業員の健康より目先の利益が大事という会社の方針です。従業員の創意工夫が求められる職場であれば、長時間労働は自分で自分の首を締める行為に他なりません。最後に日本の労働組合は総じて弱いか機能していません。労使協調というかけ声のもと、将来その会社の幹部になる組合幹部は、実は労働者ではなく会社の立場に立っています。組合員の不満をガス抜きするのが目的の組合もよく見かけます。つまり意見は聞くけど何もしない組合です。過労死はする方もさせる方も共に不幸になります。長時間労働が続くと頭が動かなくなり、ある時ふとすべてから逃げ出したくなって一線を超えてしまいます。自分の身を守るのは自分だという気持ち、自分の命や家族より大切な仕事はないという自覚、そして会社に人生を預ける正社員という生き方への否定が過労死を減らします。もう会社があなたを定年まで雇ってくれる時代ではありません。回りの国との競争が激化したため、日本の正社員という仕組みは時代に合わなくなりました。あくまでも職に付く限定社員という生き方が世界の主流です。年功序列をやめて年齢による就職差別を無くし、辞めやすく就職しやすい社会にする方が労使双方の利益になります。従業員が過労死する会社はブラック企業なので、そういう会社の社畜になるのはお勧めできません。会社にとって必要な人間なら、限定社員でも首になることはありません。自己責任で生きるという事は、常に自分の社会的価値を高める努力を怠らないという事です。普段から自分の社会的価値を高く保てば、失職してもすぐ次の仕事が見つかるので社畜になる必要はありません。

2013年7月26日金曜日

超モグラ新幹線

日本で開発中のリニア新幹線は、騒音対策のため地上部分でもコンクリート製の土管の中を走ると新聞に出ていました。つまりリニア新幹線とは超モグラ新幹線です。真っ暗な土管の中を運転手がいないリニア新幹線が走る姿を想像すると、自分はいったいそんな乗り物に乗りたいのだろうかと考えてしまいます。今まで国民の大部分は、今の新幹線をより速くしたものがリニア新幹線だと単純に考えてきました。でも騒音対策や安全性を考えると実際には乗客は外を見る事もできず、暗いトンネルの中をひたすら疾走する細長い乗り物が超リニア新幹線というものになりそうです。東京・大阪間の移動に3時間かかるものが1時間で済むというのが売りですが、その分お値段は高くなります。そもそも人口が減少する日本で、十分な採算が取れる乗客がいるのか疑問です。そこにきて超モグラ新幹線では観光客も期待できません。リニア技術を海外に輸出するために国内で実証する必要があるのは分かります。でもほとんどがトンネルの中を走る超モグラ新幹線に、高いお金を払ってまで皆さんは乗りたいですか。東京・大阪間を移動せずに仕事ができる仕組みを作るほうが、余分なエネルギーも使わずに済み、仕事のコストも安く押さえられると思うのはマサだけでしょうか。リニア新幹線がコンコルド旅客機のような運命をたどらない事を切に願います。

2013年7月20日土曜日

英語で話せばグローバル?

最近よく見かけるこの手の記事にはたいてい「英語より日本語が大事」という当たり前の事しか書いてありません。日本で生きて行く限り日本語は一番大事な基礎能力です。日本語ができるのは当然とした上で、グローバル経済で勝つには英語を話す事が必要だというのがマサの意見です。またこの手の記事ではグローバルという言葉がちゃんと定義せずに使われています。グローバル化するのは経済であって人ではありません。日本を始め多くの国が物や知識の貿易を中心とする経済で利益を得ています。世界規模での適材適所が起きるのがグローバル化した経済の特徴です。日本語しか使えない人は日本で暮らし、人口の減少とともに小さくなる日本で生きることになります。英語も使える人は日本以外で活躍する事ができるので、自分をより高く買ってくれる国で働く事ができます。サッカー選手で言えば香川選手や本田選手の生き方です。どちらが日本経済の規模拡大に役立つかは明らかでしょう。むろん英語さえできればグローバル経済で競争に勝てるとは限りません。でも英語が出来なければグローバル経済に参加する事すらできません。英語は必要条件であって十分条件ではありません。グローバル経済では世界レベルで戦える人とそうでない人で所得に大きな差がつきます。またコンピューターの発達も中間層を減らす方向に働きます。冷静に考えれば、英語を避けていては日本に明るい未来はないと誰でも分かるはずです。国内でガラパゴスのように進化の袋小路に進むか、それとも広い世界で新しい市場を見つけて成長するかは個人の好みです。ただし成長しなければ他の国に経済競争で負けます。農業でも工業でも金融でもそれは同じです。現状を維持したければ成長しなければなりません。グローバル経済では誰もが日本代表プレーヤーです。公務員のように利益を生まない労働者ばかりが増えると、ギリシャのように国が破綻します。英語を道具として使えない人が自己満足のために書く記事を鵜呑みにしていると、とんでもない事になります。英語は読み・書き・パソコンの次に使う道具です。サッカーと同じく練習して体で覚えます。

2013年7月12日金曜日

技能実習生

日本の技能実習生という制度はもうやめませんか。もともと賃金が安くて日本人の希望者がない仕事に、海外の貧乏人を連れてきて働かせるのは現代の奴隷制度といっても過言ではありません。アメリカの場合、そうした仕事には不法移民が就いています。メキシコと陸続きですから不法移民は後を断ちません。またそうした人たちに依存している農業などの産業があることも確かです。でもその結果強盗や殺人などの犯罪が増え社会全体としてはマイナスの収支になっています。そうした現代の奴隷を使わないと採算が取れない仕事は日本でやること事態が間違いです。借金までして日本に来ているので、そうした人たちは簡単に仕事をやめることができません。建前は実習でも本音は出稼ぎです。言葉もわからない異国でひとりで働くのは心細いものです。言葉がわからないと大切な事を誤解する危険もあります。技能実習生制度は日本の恥です。本当に技能を教えたければ、外国に技能学校を作ればいいのです。

2013年7月5日金曜日

マザーズ・ルーム

マサが今勤めている会社には、マザーズ・ルームというカギのかかる小部屋があります。これは乳飲み子を持つ母親が、自分の母乳をしぼって持参した容器に貯めるための部屋です。会社には各階に社員の持ってきた弁当を入れておく冷蔵庫もあり、家に帰るまで母乳をそこで冷蔵することができます。出産後半年から1年は母乳で育てることが望ましいので、働きながら子育てをする女性には必要な部屋です。以前マサが勤めていた会社だと、出産の前日まで働いていた強者の女性エンジニアもいます。こうした環境を実現するには法律による強制と、男性を含めた社会の理解が必要です。子供は国債という借金を背負い、あなたが受け取る年金を稼いでくれる存在です。子供の数が減る国に未来はありません。あなたの会社にマザーズ・ルームはありますか。大人の仕事は次世代により良い社会を残すことです。子供の数が減る社会は、決して良い社会ではありません。

2013年6月29日土曜日

原子力より地熱発電

原子力発電は発電時にCO2を出さないので、地球温暖化の防止になるという宣伝が行われました。ところがこれにはまやかしがあります。原子力発電は核分裂による熱エネルギーで水を水蒸気に変えて発電します。そのエネルギー効率は火力発電より低くて約33%です。つまり100万KWの原子力発電所は、その倍の200万KWに相当する熱エネルギーを海や大気に捨てています。これは地球を暖めるストーブのようなものです。もし地球温暖化を防ぎたいのなら、原子力発電よりも地熱発電や太陽光発電の方がずっと役に立ちます。地熱や太陽の光は今でもそのまま地球を暖めているエネルギーなので、これをうまく電気エネルギーに変換できれば地球を暖める分が減ります。同じ理由で、エネファームのような家庭でガスから電気とお湯を作るシステムの方が地球温暖化の防止には役立ちます。火力発電所では捨ててしまう熱エネルギーをお風呂のお湯に使えるうえ送電線による電力損失もないので、ガスのエネルギーを効率よく利用できます。熱エネルギーは一番使いにくいエネルギーなので、どれだけ熱エネルギーを経由すぜに素材のエネルギーを取り出せるかが重要です。水力発電は重力エネルギーを熱エネルギーに変換することなく電気に変えるので、素材のエネルギーを電気エネルギーに変える効率は最大です。地球温暖化の防止には、自然にある熱エネルギーを利用するか又は熱エネルギーを経由せずに素材のエネルギーを利用する事が必要です。火山国の日本は地熱利用をもっと進めるべきだと思います。国立公園法を改正して、国立公園内で地下に地熱発電所を作れるようにすべきです。九州と東北にはたくさんの地熱資源があり、今は未使用のまま捨てられています。火山国である日本がこれを利用しない手はありません。発電量が安定しているのも地熱発電の大きな利点です。

2013年6月23日日曜日

感覚のマヒ

福島原発で冷却装置の異常停止や放射能汚染水の流出が続いています。これをもって新聞は東電を「緊張感がない」と非難しますが、それは的外れです。2011年3月の深刻な事故と放射能漏れに較べれば、今回の冷却装置の異常停止や放射能汚染水の流出など現場の人間には大した事に感じないだけです。東日本に人が住めなくなる可能性もあった4号機の燃料プール問題に較べれば、仮設電源の不具合や貯水槽の水漏れなど想定の範囲内にすぎません。生きるか死ぬかという修羅場をくぐった人間から見れば、今福島で起きていることは些細な不始末です。感覚がマヒしているとも言えます。何もかもが東電には始めての事故なので、そうそう上手に事故処理が進むとは思えません。これから先も汚染水は増え続けるでしょうし、数十年後に放射能が下がって圧力容器の蓋を開けるまで、溶けた核燃料がどこにどれだけあるのかさえも分かりません。福島原発は今や壮大な金食い虫となりました。国民の税金で冷やし続けなければならない核のゴミです。この期におよんでまだ日本で原子力発電を続けるのも、感覚のマヒに他なりません。

2013年6月13日木曜日

大人の役目

日本の不景気は、産業の持つ国際競争力の低下が原因のひとつです。そして日本の国際競争力が低下した最大の原因は、教育への投資を怠ったからです。この30年間で日本は新しい鉄道、空港、ビル、高速道路、橋を作りました。でも人作りをしなかったので、日本人の能力は向上しませんでした。むしろ「ゆとり教育」により平均的能力は低下しています。その同じ30年間に韓国、中国、台湾をはじめインド、ブラジルなどの国々では教育レベルを上げ、国際競争力を増やしました。地下資源の無い日本の唯一の資源は人です。人の国際競争力を上げないと日本は周りの国に経済的に負けます。他の国に出来ない事をやらないと日本は衰退します。公共事業で景気が良くなるのは経済の輪が国内で閉じている場合です。日本のように海外と深くつながっている経済では、国際競争力を上げない限り国内の景気は良くなりません。円高でも人を呼べる魅力のある国になれば観光で外貨を稼げます。円高でも他の国に真似できない製品があれは外貨を稼げます。円高なら他国のライバル企業を買収することもできます。周りの国が人のレベルを上げてきたので、日本はさらにその上をいくレベルの人を養成しなければなりません。教育は100年の計です。年金に税金を投入するのは止めて、お金を教育に回す時です。人口が減る国には新しい道路も鉄道も要りません。長時間労働でコストを下げるのではなく、頭を使って他の国に真似できない方法で外貨を稼ぐのが日本の将来の姿です。子孫に借金を押し付けるのではなく、良い教育を残すのが大人の役目です。

2013年6月8日土曜日

国語対英語

英語教育の話になると、必ず英語より国語の方が大事だという主張をする人がいます。この主張は実は無意味です。日本人を教育する以上、日本語は使えるのが前提なので、日本語がすべてに優先するのは当然です。それに日本語はほぼすべての教科で使う道具なので、国語の時間だけが日本語を学ぶ時間でもありません。もし学生の日本語能力が低いというなら、それは親と政府の責任です。子供が学ぶ量は時代とともに増えてきます。学校の効率を上げて授業時間をあまり増やさずに学生の能力を上げるには、少人数の授業が必要です。一人の教師がみる学生数は小中高ともひとクラス20人までとします。国語では小説を読む時間を減らして、新聞を題材に議論する練習をします。小説で外貨が稼げるのは村上春樹ぐらいなので、それよりきちんと話ができる人間を増やす方が日本の国際競争力強化につながります。読書感想文などという意味不明の宿題も廃止して、かわりに小論文を書かせます。題材には正解のない現実の問題を取り上げて、自分の頭で考えるという練習をします。授業では自分の論文を口頭で発表して、それをもとに議論します。自分の意見をうまく日本語で伝えられない人は、英語でもやはりダメです。

2013年6月1日土曜日

小学生に英語?

ハッキリ言うと公立小学校の生徒に本格的に英語を教える必要はありません。小学校から英語を学ぶのはお金のある私立学校だけで十分です。少人数教育ができないとあまり効果がないので、ほとんどの公立小学校では不要です。まともに英語を教えられる先生も公立小学校にはいません。その代わり世の中には複数の言語があって、おなじ挨拶、たとえば「おはようございます」でも英語ならこう、ドイツ語ならこう、フランス語ならこう、スペイン語ならこう、中国語ならこう、韓国語ならこうと国語の時間に教えれば足ります。カタカナで表す外来語の多くは英語とドイツ語から来ていると例をあげて説明し、日本で作られた疑似外来語つまり日本語英語は日本語であって、海外では通じないと教えます。英語で歌を歌うとかフォニックスを学ぶとかは私立学校や英語塾でやれば良く、公立小学校でそこまでやる必要はありません。国民の9割は日本にとどまるので、日本語ができれば生きて行けます。海外に出る1割だけが外国語を本当に必要としている人たちです。その人たちには、小学校の頃から英語を使わせるのが一番の練習になります。サッカーでも、将来プロになる人は小学校の頃から練習しています。英語も同じです。必要なら英語塾で学べばいいのです。

2013年5月21日火曜日

お茶を殺すな

日本茶の劣化が進んでいます。ご存知ですか?「深蒸し茶」はお茶を殺す行為です。日本茶はまず摘み上げた茶葉を浅く蒸して茶葉に含まれる酵素の働きを止めます。ここで酵素の働きを止めないと紅茶になってしまいます。次に茶葉を乾燥させておしまいです。出来上がったお茶は緑色の葉が細長く尖っていて、針のようになります。長さは3cmぐらいで、指に刺さります。こうしたお茶から正しく抽出したお茶は、山吹色で独特の茶葉の香りがあり甘い味がします。ペットボトルで飲むお茶の味です。お茶の良さは色、香り、味で評価します。味には甘み、苦み、旨味があります。お茶には抽出に適した温度のお湯があり、煎茶は80度前後です。これより高い温度のお湯を使うと苦みだけ突出したお茶になり、ちっとも美味しくありません。ですから電気ポットのお湯は温度が高すぎて、そのままでは番茶やほうじ茶にしか使えません。正しくは温度を80度に下げてから3分かけて抽出します。ところがこれを知らない消費者は沸騰したお湯を煎茶に使い、1分程度で急須から湯のみに注いでしまいます。これでは美味しいお茶は飲めません。そこで抽出する時間を短縮するために考え出されたのが、「深蒸し茶」です。蒸す時間を長くすることでお茶の葉がボロボロに崩れるので、お茶というより粉茶に近い形状になり、抽出時間は短かくなります。でも「深蒸し茶」はいわば出来損ないのお茶です。蒸す時間が長過ぎるため、まずお茶の香りが飛んでしまいます。次に甘みと旨味が熱で失われます。旨味はお茶に含まれるアミノ酸が主成分です。最悪なのが、茶葉が崩れているため抽出したお茶がドロッと緑色に濁ることです。緑茶というのは実は黄色のお茶のことを指します。ペットボトルのお茶を見てください。黄色でしょう?「深蒸し茶」は出来損ないのお茶です。わざわざ不味いお茶を作っています。そのままでは煎茶に適さない厚くて固い茶葉を利用しようとして考え出されたのが「深蒸し茶」です。ところが「深蒸し茶」が特別な製法であるかのように宣伝されたため、今では「深蒸し茶」でない本来のお茶を探すのがとても難しくなりました。「深蒸し茶」は日本茶の自殺行為です。わざわざ不味いお茶を作っています。それは消費者が美味しいお茶の淹れ方を知らないからです。紅茶ソムリエならぬ日本茶ソムリエを養成するべきです。お茶は海外に輸出できる数少ない農産物です。でも「深蒸し茶」では緑色のヘドロのような、香りと味のない不味いお茶しか飲めません。日本茶業界は正しいお茶のいれ方から教育する為に、日本茶ソムリエ制度を作って消費者を啓蒙するべきです。マサは「深蒸し茶」を避ける為に、袋入りのお茶を外から指で押してみます。もし砂袋を押すような感覚があれば、それは「深蒸し茶」です。浅蒸し茶は押した時に茶葉が折れるポキポキ感があります。本当は中の茶葉を見て買えば消費者にとって一番です。でもスーパーでは不透明な袋入りのお茶しか買えませんので、外から押すと感覚でわかります。ただし固い真空パックだと分かりません。「深蒸し茶」と書いてなくても、今や市販の9割のお茶は「深蒸し茶」です。消費者と日本茶業界がそろって日本茶を殺しています。こうした愚かな行為がもう何十年も日本で続いています。せっかくの日本茶を深蒸しで殺すのは止めませんか。

2013年5月17日金曜日

家計収入分布図

昔NHKの人形劇で「ひょっこりひょうたん島」という名作がありました。ある年代以上の方なら覚えておいででしょう。先日アメリカの家計収入分布図を見ていて、この「ひょうたん島」を思い出しました。ひょうたん島は、その名の通りヒョウタンを縦に真ん中で切って、半分を横にして海に浮かべたような形をしています。瀬戸内海に実在する「瓢箪島」も、テレビでは人形劇にならって左側に大きい山、右側に小さい山が来る構図で紹介されています。この図がまさにアメリカの家計分布と同じ形をしています。左側の山のピークは年収で200万円弱であり、それから右に年収が上がるにつれてグラフは下がって行きます。でも2000万円をこえると次の山になります。つまり山はふたつあり、そのピークは200万円と2000万円以上のところにあります。200万円のピークは国民の家計の6%を占め、2000万円以上のピークは2%を占めています。また家計の中間値はリーマンショック後毎年下がっており、今は約500万円となっています。日本は中間値が438万円とアメリカに近く、下のピークはなだらかながら200万円前後で7%ぐらい、上のピークはやはり1000万円以上で12%あります。日本もアメリカも家計収入の分布は割と似ていると言えます。ただし日本には小さいながらも中間層がまだ存在し、そのピークは600万円あたりに9%あります。アメリカでは2011年に家計収入トップ1%の人たちが全米資産の半分、収入の4分の1を持っているというので、富の偏在がひどいと99%運動が起きました。日本はまだそこまで行っていませんが、方向としてはアメリカのようになると見て間違いないでしょう。グローバル経済では他の国でできる仕事はすぐに他の国に移るので、経済的な勝者と敗者がはっきりと分かれてしまいます。単価の高い労働者を増やす以外に日本の敗者を減らす方法はありません。そのためには、世界的に需要があって専門性の高い仕事ができる人間を増やすのが一番の手です。日本の将来は教育にかかっています。

2013年5月11日土曜日

儒教の誤解

日本にある道徳は儒教が元になっていて「仁、義、礼、知、信」の五つの徳性を重んじています。これ自身はアメリカを始め世界のどこでも大切とされる要素に他なりません。ところがこれから派生したものとして「父子、君臣、夫婦、長幼、朋友」という関係を大事にしなさい、と言ったあたりから誤解が生じてしまいました。現代の日本では「敬老、男尊女卑、年功序列」が常識となっています。今でも日本社会と韓国社会だけが儒教の強い支配下にあり、本家の中国では儒教は下火です。でもその韓国は経済力を付けるため、日本に先んじて会社内での「敬老、男尊女卑、年功序列」を捨てました。年長者に盲目的に従うのではなく、女性も戦力として扱い、年齢に関わらずその仕事に最も適した人間を当てるという、世界的に見ればごく当たり前の事をしたのです。経験を重視しすぎると新しい事ができなくなります。大切なのは年齢ではなく「仁、義、礼、知、信」です。日本が「敬老、男尊女卑、年功序列」をやめて「仁、義、礼、知、信」で人を評価する社会になれば、グローバル経済でも世界を相手に負ける事はありません。

2013年5月3日金曜日

共意する

英語のcommunicationを日本語にするのに苦労してます。どうやら日本語にはぴったりの訳語が無いので、新しい訳語を作る事に決めました。「共意」です。もともとcommuneには「共有する」という意味があります。Communismと言えば共産主義を意味します。意思の疎通がcommunicationの意味だとすれば、そうした意思を共有するという意味で「共意する」という訳語はどうでしょうか。人が人と話して意思を伝えたり気持ちを理解してもらうのがcommunicationです。それに対応するぴったりの日本語がないというのは、恐らく「以心伝心」を旨としてきた日本人の残念な点です。「話さなくても分かる」が日本のこれまでの常識ならば、「話せば分かる」がこれからの常識になります。話題の「コミュ力」は「共意力」となります。「きょうい」には同音異義語が少ないので、既存の言葉と間違える危険が少ないのも良い点です。「コミュ力」のようにカタカナと漢字を混ぜる無理も必要ありません。「こみゅか」と呼んでクビをひねる人もいなくなります。どうでしょう、これからは「共意」という訳語を「コミュニケーション」の代わりに使いませんか。

2013年4月26日金曜日

戦争より国産品

尖閣諸島の問題は軍事力で解決するものではありません。貴方は自分の命をかけて尖閣諸島を中国政府から守る必要があると思いますか。軍事力による解決を言い出す人は、自分では前線に行かない上層部の人間です。でも実際に命をかけて戦争をするのは、貴方や私のような一般市民です。あの島に貴方の命をかける価値がありますか。それよりむしろ中国政府に対しては不買運動の方が効果的です。中国製品を日本が買わなければ中国政府は困ります。一般市民が命をかけずに中国政府に自分の意思を伝える方法は、中国製品の不買運動が最も効果的です。日本の貿易赤字は対中国が大半なので、貿易収支の改善というおまけも付きます。ユニクロ、ダイソーなど中国製品で儲けた会社にはお気の毒ですが、安い中国製品ではなく国産品を買えば良いのです。日本人が日本人の作ったものを選んで買うのに、他国から文句を言われる筋合いはありません。アメリカでも「バイ・アメリカン」運動をやってます。戦争を選ぶか国産品を選ぶかは自分で決めることができます。できるだけ日本製を買いましょう。それが中国との戦争を避ける道です。

2013年4月20日土曜日

サービスとコスト

サービスと言うと日本ではタダという意味になります。これは困った誤解です。というのは、serviceという元の英語にタダという意味は無いからです。旅館に泊まると奉仕料を請求されます。英会話学校や旅客運送業、携帯電話やインターネットはサービス業です。基本的に第3次産業はすべてサービス業です。お客が満足すればサービス業が成立します。すべてのサービスにはコストがあり、タダのサービスなど存在しません。たとえば銀行のATM手数料はATMネットワークを維持するために払っています。アメリカだと10万円程度の残高を維持すれば、自行のATMなら24時間タダで使える所がほとんどです。そのかわり夜間や休日にATMが故障しても、次の営業日になるまでは誰も修理に来ません。サービスにはコストがかかるので、夜間や休日に行員を待機させる代わりに客は次の営業日まで我慢します。急ぐ時は他店のATMを使えばいいので、誰も文句を言いません。サービスのレベルとコストの釣り合う点で妥協しています。夜間や休日のATM手数料に不満を感じているお客は多いので、日本でも今後はこの方向に進むでしょう。ただし、そのためには銀行もお客にATMのコスト構造をちゃんと説明する必要があります。コンピュータ化された口座の維持にはコストがかかり、ATMネットワークの維持にもコストがかかります。サービスはタダではないという世界の常識が、日本の常識になるのはいつでしょうか。

2013年4月13日土曜日

科学と技術

皆さんご存知のように科学と技術は違う物です。サイエンスとテクノロジーです。このふたつをごっちゃにしてはいけません。科学はすぐにお金になりません。人類の知識がとりあえず増えるだけです。その科学をお金に変えるのがテクノロジーです。すぐにお金にならないからといって科学の研究を止めたら、人類の進歩はそこで止まります。日本語だと科学技術とひとくくりにされるので、いつもこの誤解がつきまといます。科学・技術と間に点をいれるのが正しい表記です。ノーベル賞は科学の進歩に対する名誉賞です。お金にならないので、かわりにノーベルさんの遺産から利子を分けてもらいます。昔は超お金持ちがいて科学の進歩にお金を使いました。今はそうした超お金持ちはアラブの産油国にしかいないので、アメリカでも日本でも税金で科学を支えています。大学に税金を投入するのはそれが理由です。では大学はお金にならない研究ばかりしていていいかというと、そうもいきません。大学への補助は減る一方なので、大学も企業と組んで技術に手を出さなくてはなりません。大学の役割は教育と研究です。科学と技術の両方が研究の対象になります。技術はお金になるかどうかで評価できますが、科学には別の評価軸があります。波及範囲、独創性、先進性などです。政治家は科学と技術にそれぞれ別の目的があること理解する必要があります。

2013年4月6日土曜日

日本映画と字幕

日本映画を海外市場に売る場合、相手国の言語の字幕がないと売れません。日本語の字幕は当然として、そのほか中国語、韓国語、英語、フランス語、スペイン語などを付ける必要があります。ハナから海外市場を諦めているかのように、字幕を付けずにDVDやBDを作るのはもったいない事です。リージョン・コードは複数付けられますし、半年後に販売される映画ならリージョン・コードがALLでも問題ありません。アメリカの映画は最低でも英語、フランス語、スペイン語の字幕が付きます。さらにそれらの吹き替えまで入っている映画もあります。もちろんアメリカ国内にはスペイン語の需要がありますし、となりのカナダにはケベックのようなフランス語圏があるので、3カ国語の字幕を付けるには大きな商売上の利点があります。でも日本もそれは同じです。もし日本映画を他の国に売りたいならば、相手国の言語の字幕を付けるのは当然です。ひとつのDVDやBDを日本だけでなく他の国にも輸出できれば、より大きな市場が狙えるとは思いませんか。日本映画を世界に広めるには、まず日本語、中国語、韓国語、英語、フランス語、スペイン語などの字幕を付けましょう。その結果日本に興味を持つ人が増えれば、日本に旅行に来る人も増えるので日本の観光業にプラスとなります。なお日本語の字幕は耳が聞こえない日本人だけではなく、日本語を学習する外国人にも役立ちます。

2013年3月23日土曜日

原発毒まんじゅう論

調べれば調べるほど、原発というのは罪作りな発電所だと思います。福島原発事故で分かるように、原発は過酷事故を起こした時の被害がとても大きいので、人口密集地には作れません。地方のまたさらに僻地を選んで作ります。そうした町や村はめぼしい産業がないので、お金を撒いてくれる原発は願ったり叶ったりです。でも原発は毒まんじゅうです。一度パクッと食べてしまうと、毒が全身に回って原発なしでは暮らせなくなります。交付金という麻薬があるので公共施設は作り放題、でもその交付金はだんだん減るので、それに依存するとさらに多くの原発を作ることになります。まさに麻薬と同じです。もう日本に安全な原発などありません。原発の交付金はあくまでも原発の持つ危険の代償であり、原発が事故を起こすと最初にその被害を受けるのは原発の回りに住む住民です。原発が安全というなら東京に作ればいいのであって、わざわざ僻地に作るのは今回のような大事故が起きるからです。原発を作ったのは電力会社でも、それを許したのは官僚や学者や政治家を含む国民です。もう少しで東京まで疎開しなければならなかった福島原発事故から我々が学んだ事は、「原発は毒まんじゅう」だという事です。

2013年3月15日金曜日

大学の役割

アメリカの大学、特に上位の大学はリーダーを養成する場所だと考えられています。たとえばMITやStanfordといった有名な大学に入学するには、共通テストの成績が満点である事は当然の上さらにリーダーシップまで求められます。高校で生徒会長だったとか、地元の慈善活動でリーダーを勤めたなどの履歴が必要です。その結果こうした学校を卒業したスーパーマンのような社会人がここシリコン・バレーにはたくさんいます。博士の学位を持つほど頭が良くて人使いもうまく、さらに演説も上手で体力もあり、いかにも重役や社長に向いている人がごろごろしています。このあたり日本はどうでしょう。日本の大学にはリーダーを育てるという発想がありませんね。国立大学はテストの成績だけで入学者を決めています。大学の役割は社会の役に立つ人材を養成する事です。大学に国際競争力がなければ、その卒業生にも国際競争力は期待できません。日本の教育を国際競争力のあるものに変えるには、外貨を稼げるプロの教育家を養成するという見方も必要です。わざわざ日本に来て勉強したいという外国人が何人いるでしょうか。日本の大学はトップの東大ですら世界の大学ランキングでは27位となっています。東大に入って自分は日本一だと思っても、それは「井の中の蛙」にすぎないのです。

2013年3月8日金曜日

インフレと格差拡大

日本がこのままインフレになった場合、各自の所得がインフレ率以上に上がるかどうかは人によります。インフレが設備投資の引き金になり生産性の向上をもたらすという仮定と、円安が国内の産業にまた輸出で儲ける道を開くという仮定が正しいとすれば、ある種の産業では人手不足から賃金が上がり、物価のインフレ分を除いても実質所得が増えます。でも生産性の向上はその一方で同じ仕事にかける人手が減るという事でもあるので、需要が伸びてもあまり人手不足にならない産業もあるでしょう。そのため日本の所得格差は今後さらに拡大します。マクロ経済の学者は、国民全体として所得が増えて税収も伸びるからインフレにすべきだと言います。でもかつてのような国民全員が中流意識をもつ時代にはもう戻らないとマサは思います。平均として所得が上がっても、何割の人が景気の向上を実感できるかはやってみなければ分かりません。また人口減少局面において、税収の伸びが国債の伸びを上回ることは期待できません。最初に立てた仮定にしても、ここ十年で国際競争力を付けた韓国や中国の影響で、円安になってもそれほど輸出が増えない産業もあるでしょう。とはいえ何もしないのが一番いけないので、ここは日本政府のお手並み拝見です。増えた所得が消費に回らずに貯蓄に回ると内需は増えないので、政府には後ろ向きの公共事業ではなく、ぜひ前向きの教育にお金を使ってほしいと思います。

2013年3月1日金曜日

離婚とイクメン

離婚しても親子関係は続きます。日本だと母親が親権を得て子供を育て、父親には金銭的な養育義務を負わせる判例が多いようです。アメリカはこれがもっと平等で、親権も半分なら金銭的負担も半分づつというケースがよくあります。子供はどちらかが引き取るにしても、子供がもうひとりの親に定期的に会うのは法律で保証されています。離婚すると日本のように母親に子育ての全責任を負わせてしまうのは危険です。さらに母親の虐待や子殺しなどは半分父親の責任です。子育ては両親二人の共同責任なので、たとえ離婚しても親が子供に負う責任は変わりません。イクメンなる言葉と共に、やっと日本でも父親が子育てに時間を使うようになってきました。仕事では男女平等の法律になったので、子育ても男女平等になるべきです。子育てはフルタイム職で朝から晩まで休みがありません。親には代わりがいないので、親の責任はまず家庭にあり仕事はその次です。日本のマスコミは虐待や子殺しなどで犯罪者となった母親を大きく取り上げるくせに、父親がどうしているかを取り上げないのは男女平等に反します。たとえ離婚していなくても父親には自分の子供を守るという義務があります。子育ては会社の仕事より大切なので、母親ひとりに押し付けてはいけません。子供がいない社会は未来の無い社会です。

2013年2月24日日曜日

◯金不平等の解決策

賃金不平等、税金不平等、年金不平等という3種類の◯金不平等が今の日本を覆っています。ではどうしたらこの三大不平等を無くせるでしょうか。それにはまず年功序列と終身雇用という建前をやめて、年齢による就職差別を罰則付きの法律で禁止し、非正規雇用は最長1年までにします。また整理解雇は法律に明文化し、割り増し退職金と引き換えにその条件を大幅に緩和します。これは国際競争に必要な、人材の流動化が目的です。次に国の歳出を例外なく毎年前年比で5パーセントずつ20年間減らします。これで最終的には20年後に歳出は今の35パーセントに下がります。また5年後に消費税をすべて10パーセントにします。そして最後は年金へ税金をつぎ込むのを止め、年金を賦課方式から積み立て式にします。これらはすべて反対する国民がたくさんいる政策なので、簡単にできるとは思いません。しかしこれをやらないと日本はもうすぐ破産します。国民全員が働いて自分たちを支えないと、他に支えてくれる人はいません。暇な年寄りが子供の面倒を見て、その子供の親は共稼ぎというのが理想です。労働人口が少なくなる日本では、国民全員が労働者になる以外に人々に共存の道はありません。

2013年2月16日土曜日

機会平等と結果平等その2

機会平等と結果平等は両立しません。このふたつは人を差別しないという意味では似ている言葉です。でも機会平等は結果平等を無視しています。これに対して結果平等は機会平等を無視しています。アメリカは機会平等を法律で定めた国です。運と努力の結果大金持ちになる人もいれば、貧乏人になる人もいます。社長と新入社員の給料の比が千倍という会社は決して珍しくありません。逆に日本では結果平等が好まれます。人を採用するときは年齢や性別で差別したり、学歴や家族構成で差別します。でも社長と新入社員の給料の比は十倍から百倍程度です。まさに大陸的なアメリカと島国的な日本との違いです。そしてここでの大きな問題は、日本でも貧富の差が拡大しつつあるいうことです。結果平等を望む人が多くても、労働力としては大多数の低賃金と少数の高賃金という二つのグループに分かれてしまいました。パート、派遣、アルバイトなど多くの若年層の労働者は低賃金のままで、大企業の年配の正社員にのみ高賃金が払われています。このため日本は機会平等でもなければ結果平等でもない、というとても不平等な国になりました。さらに巨額の財政赤字を次の世代に押しつけ、公的年金に至っては「ねずみ講」と同じで後から加入するほど損になります。賃金不平等、税金不平等、年金不平等という3種類の◯金不平等が今の日本を覆っています。

2013年2月8日金曜日

坂道駐車

サンフランシスコは坂の街として有名です。急な坂道が多いので、車の駐車方法にも独特の決まりがあります。それはハンドルを斜めに切っておき、もし車が無人のまま坂道を転がってもタイヤが縁石にぶつかって止まるようにしておくという法律です。補助ブレーキが甘くて車が勝手に坂道を下る事故はアメリカでも起きています。その時ハンドルを斜めに切っておくだけで、車を縁石や壁で止めることができます。車の免許を取るときに必ず問われる問題です。車を坂道に平行して駐車する場合、ハンドルを切ってタイヤを斜めにしておかないと違反切符を切られます。そのほかオートマ車ならセレクターをPに入れておくとか、マニュアル車ならギアを1に入れておくのも有効です。坂道ですから念には念を入れて勝手に車が動き出すのを防止しています。日本でも法律でこうした決まりを守らせた方がよくはありませんか。坂道駐車での事故を減らすには、ハンドルを斜めに切ることを法律に入れるのが有効です。

2013年2月1日金曜日

無制限国債

無制限な金融緩和をすると、国債を無制限に発行することができます。政治家は選挙があるので財政再建よりも財政出動、つまり公共事業などで国民に感謝されたいと思っています。国民も目先の事しか考えないので、国債がいくら増えても自分には関係ないと思っています。その結果お札を刷ることで国債をより多く日銀に買わせて、政府はさらに国債を増やそうとします。政治家も人間ですから、わざわざむずかしい財政再建になど取り組みません。財務省にしても予算の削減は骨の折れる仕事なので、国債を増やして予算を削らなくて済む道を選びます。国民、政治家、役人すべてが国債を増やして自分だけ楽しようと考えています。借金は全部次の世代に回して自分は逃げ切るつもりです。いつから日本はこんな無責任な国になったのでしょうか。むかし財務省にいたある大学教授は、税収が上がる限り国債も増えていいんだと発言しています。問題はそこです。今は国債の伸びより税収の伸びがはるかに低いため、国債の残高は毎年増えています。このふたつの乖離が大きくなれななるほど、日本は財政の破綻に近づきます。消費税率を上げると消費が鈍るので、税収はむしろ下がる可能性があります。税率を上げずに税収を伸ばす道は二つあり、補助金を出して既存のビジネスを成長させるか、新しいビジネスを創り出すかです。前者は保守的なやり方で、まさに過去二十年間日本がやってきた方法です。後者は構造改革と言われるもので、国際競争力のなくなった産業を海外に移転させるか売却して、新たに国際競争力のある産業を国内に育成するという革新的な方法です。国民は痛みを伴う構造改革より、国際競争力のない産業を税金で延命させる道を選びました。これが失敗に終わったいま、国債残高の増加には歯止がかからなくなっています。国債をチャラにするための預金封鎖は、一段と現実味を帯びてきました。

2013年1月28日月曜日

体罰とステロイド

先日スポーツ強豪高校での体罰問題が日本を揺るがしました。それと同じ頃、アメリカでも自転車競技で有名なアームストロング元選手が自身の薬物使用を認めて新聞に載りました。この二つには共通するものがあるとマサは思います。学校での体罰はアカデミック・ハラスメントです。それはイジメであり、子供を人質に取った教師が行う最悪の行為です。それがたとえスポーツの順位を上げるとしても、筋肉増強剤であるステロイドを選手が服用することと同じで選手自身に悪影響を与えます。体罰の悪影響は、その循環を生む事です。体罰で育った生徒は体罰を容認します。自身に受けた体罰を次の世代や周りの人に与えて何の罪悪感も感じません。その行き着く先が被害者の自殺です。そこまで行かなくても、暴力行為にたまらず転校した生徒はゼロではありません。ステロイドは心臓を蝕む薬で選手の寿命を縮めるため、ルールとして禁止されています。体罰は学校のルールで禁止されているにも関わらず、それが無くならないのは体罰を受けた世代が容認しているからです。この悪循環をどこかで断ち切らなければなりません。体罰がないとスポーツで勝てないという指導者は、ステロイドを服用しないと勝てないと言っている選手と同じです。それは二流の指導者や選手がやることです。さらにそうした指導者や選手を見て見ぬ振りをする周りの大人は共犯者です。こうした高校に通う、他の世界を知らない子供たちが可哀想でなりません。

2013年1月23日水曜日

機会平等と結果平等

日本国憲法14条に「法の下の平等」という決まりがあります。これは人を差別してはいけない、という決まりで、人種、信条、性別での差別を禁じています。また貴族制度を否定し、勲章などは一代限り有効としています。これにはぜひ年齢による差別も禁止するという文言がほしい所です。それでもアメリカの人種差別の歴史からみると、これは実に画期的な条文です。その意味するところは機会平等であり、それぞれの努力を否定するものではありません。ケネディ大統領もかつて life is unfair と言っています。ある者は大統領になり、ある者は乞食になります。人生が平等だとは誰も思っていないでしょう。でも会社員の給料は何で決まるべきでしょうか。青色発光ダイオードで有名な中村修二氏が起こした訴訟は日本でも有名です。会社員はどんなに利益を上げても他の社員と同じ給料を貰うべきでしょうか、それとも会社への貢献度に応じた給料をもらうべきでしょうか。前者は結果の平等を目指し、後者は機会の平等を目指します。日本の労働組合はおおむね結果の平等を採用しました。終身雇用で敗者復活が難しい日本では、結果の平等が大多数の国民の希望でしょう。「出る杭は打たれる」という諺があるくらいですから、日本ではあまり目立たずに群れの中で大人しく暮らす事が良いとされています。また群れの平均値から外れる者を排除することで群れの平和を守ろうとします。機会平等と結果平等は相反する関係にあり、その選択は国のあり方を決めてしまいます。

2013年1月14日月曜日

人柱社会

誰かの怠慢により死亡者が出るまで問題が隠蔽される社会を、マサは「人柱社会」(ひとばしらしゃかい)と呼んでいます。残念ながらこれは日本とアメリカに共通する現象です。日本の笹子トンネルの事故は、点検を手抜きしたことが直接の原因です。アメリカの小学校における銃乱射事件は、銃規制が政治家の怠慢により進まないことが原因です。ではなぜこうした怠慢が起きるのでしょうか。ここから先は100%マサの個人的な意見です。仕事にはお金を目的としてやるものと、そうでないものがあります。大人はほとんどの人がお金を目的として仕事しています。自分の仕事の社会的評価がお金ですから、当然といえば当然です。ところが好きでもないのにお金を目的として仕事をすると、なるべくその仕事を減らそうとします。もし嫌いな仕事なら、やらないで済まそうとします。やったふりだけしてお金をもらう人もいます。犯人のでっち上げ、証拠の改ざんなど最近はそうした手抜きが横行しています。こうした怠慢の結果として誰かが犠牲になります。仕事は「やりたいこと」で「十分なお金をもらえて」かつ「できること」が理想です。やりたくない事をお金のためにやる人がいる限り、手抜き仕事は減りません。でも仕事の結果を可視化できれば、犠牲者が出る前に他の人が問題に気づくこともあります。仕事の可視化は「人柱社会」への解決法のひとつです。

2013年1月7日月曜日

ムダの定義

増税の話になると毎回出てくるのが税金のムダを減らせという要求です。でも何が税金のムダなのか明確な定義はありません。国民の過半数が納得できて、しかも数字で表せる定義がないとムダは減りません。前にも書いたように、税金は払う方からすればムダでも、もらう方からすればムダではありません。年金に年間10兆円を税金からつぎ込むのはムダでしょうか。生活保護者の医療費を全額税金から払うのはムダでしょうか。公立教育を税金で行うのはムダでしょうか。エコカー減税やエコポイントに税金を回すのはムダでしょうか。救急車を税金で運営するのはムダでしょうか。原子力発電所をかかえる自治体に税金を渡すのはムダでしょうか。ガソリン税で道路を作るのはムダでしょうか。使わない空港を作るのはムダでしょうか。そもそも税金とは投資と利益の関係で評価するべきものでしょうか。その場合は誰が責任をもって利益を見積もるのでしょうか。本当の「仕分け」には明確なムダの定義が必要であり、それを決めるのは政治家の仕事です。この問題に正解はありません。

2013年1月1日火曜日

ライバルは

日本の貿易赤字の半分以上は対中国です。日本がたくさん中国から物を買っているのに、中国は日本からあまり買っていません。日本は何を中国に売る事ができるでしょうか。逆に日本は何を中国からそんなにたくさん買っているのでしょうか。100円ショプの商品はほとんどが中国製です。ユニクロもそうです。野菜も日持ちするタマネギとかゴボウは中国産が多そうです。中国は人件費が日本よりはるかに安いので、人手がかかる物は中国製の方が安くなります。日本の人は、公務員を除く全員が中国など外国との競争に曝されていることに早く気づいてほしいと思います。もう日本人同士で楽しく利益を分けあう時代ではありません。民間の企業はすべて海外の企業と競争しています。日本で働く人は賃金の安い海外の人に勝たねばなりません。日本は今や世界で一番人件費の高い国です。でもエネルギーと食料を海外から輸入しなければいけない日本には円高は好都合です。中国や韓国など海外が強くなった分だけ日本も強くならねばなりません。日本企業は内部留保を使って海外の企業買収を進め、海外の企業から世界で勝負する術を学ぶ時です。日本の公立教育は、海外との競争に勝てる意欲的な人間を生み出していません。群れの中なら安全と思っている日本人は、その群れが周りからどんどん侵食されている現実に目をつぶっています。世界経済というゲームで日本は勝てますか。