2014年2月10日月曜日

度胸のもと

オリンピックのような技術だけでなく度胸が問われる場になると、日本の選手は実力を出せずに外国の選手に負けています。それはなぜでしょうか。アメリカと較べると、日本は失敗したり負けたりした選手への風当たりが強いように思います。一番悔しいのは本人です。選手に「失敗したらどうしよう」と思わせてはいけません。試合であがらないために、選手は普段から成功した姿をイメージする練習をしています。また同時に試合を「楽しむ」ことを求められています。十分に練習して実力を出せれば、その姿はメダルが取れなくても賞賛に値します。オリンピック選手になった事のない人が、あれこれ選手を批判するのは余計なお世話です。ましてや選手の服装を問題にしたり、試合後のコメントに文句を付ける人には「それならオマエが試合に出てみろ」と言いたくなります。日本には「失敗は成功のもと」という良い諺があるじゃないですか。まわりの人の真心の応援が度胸のもとです。

2014年2月9日日曜日

職員室

アメリカの公立学校には職員室がありません。正確に言うと教員が机を並べて集まる部屋がありません。アメリカの職員室には事務職の人がいるだけで、教員はそれぞれ自分の担当の教室に机を持っています。だからどの教室にもその隅に教員専用の机があり、そこに教員のカバンなどが置いてあります。その教室に子供がいる限り教員は帰宅することができません。中に誰もいないのを確認してから教員はカギをかけて帰宅します。体育のように教室を使わない教員はどうするのかと言うと、体育館の端にある小部屋に自分の机を置いています。どの教員もパソコンを使って仕事するので机が必要です。体育館も使っていない時はカギをかけています。アメリカの公立学校は、法律によって納税者がいつでも敷地内に入れるように塀がなかったり門にカギをかけていないので、かわりに教室にカギをかけます。生徒は毎朝担当の教員がカギを開けるまで、教室の外で待っています。日本のように休み時間に教員が職員室に戻ってしまうと、その間に教室で起きているイジメに気がつきません。日本の教育システムはアメリカのものを輸入したはずなので、職員室に職員ではない教員がいるというのも考えてみれば不思議な話です。

2014年2月5日水曜日

原発と心中?

あまり政治的な事は書かないブログのつもりなので、短く書きます。もう二度と日本で福島原発のような事故は起きないと、根拠もなく信じている政治家が多いのには驚きます。どんな安全基準を作っても、その想定を越える災害は必ずやってきます。福島原発だって当時の安全基準を満たしていたのに、「千年に一度」の地震とその津波で「想定外」の電源喪失が起きて大量の放射性物質をまき散らしました。もし「千年に一度」の災害まで「想定内」にすると、911テロのように飛行機が原子炉にぶつかる事や、去年のロシアのように大きな隕石が落ちてきて原子炉にぶつかる事まで想定しなければいけません。ところがそこまで考えて原発を補強すると、原発で発電する電気の値段が高くなりすぎるので、今の安全基準では考慮していません。つまり恣意的な「想定内」の範囲での安全基準なので、そんな甘い基準を満たしているだけではまた事故は起きます。安全基準を満たしているという事は、重大事故が起きないという意味ではありません。原発を続ければ重大事故は必ずまた起きるし、そうなれば当事者は再び「想定外の事故だった」と言い訳します。本当に日本人は原発と心中したいんですか?

2014年2月1日土曜日

イルカ問題

困った問題です。日本の政治家は完全にこの問題を読み違えています。イルカ問題は感情的なものなので、理屈で反論しても話が噛み合っていません。日本のイルカ漁に反対しているのはアメリカだけです。それはアメリカ人にとってイルカは犬や猫と同じペットだからです。「Flipper」という有名なテレビドラマのおかげで、イルカはアメリカ人にとって愛すべき動物になってます。人に害のない、かわいいイルカをどうして殺して食べるのかというのがアメリカ人の疑問で、日本の政治家はこの質問に答えていません。「日本の文化であり、生活のため」と理屈で答えても、では「なぜ他の漁では生活できないのか、なぜ文化を変えられないのか」という次の質問に答えていません。イルカを食べているのはごく一部の日本人だけなのに、こうした問題で日本人全体が野蛮人のように思われるのは日本にとって損です。アメリカは日本以上に世論に敏感な国です。アメリカの世論が「日本人は野蛮なので懲らしめるべし」となると、大統領でもそれに逆らうことはできません。イルカやクジラを食べなくても現代の日本人はタンパク質に不足しません。かつて江戸時代には日本人は犬を食べていました。今の日本で犬を食べる人はいませんよね。