2013年6月29日土曜日

原子力より地熱発電

原子力発電は発電時にCO2を出さないので、地球温暖化の防止になるという宣伝が行われました。ところがこれにはまやかしがあります。原子力発電は核分裂による熱エネルギーで水を水蒸気に変えて発電します。そのエネルギー効率は火力発電より低くて約33%です。つまり100万KWの原子力発電所は、その倍の200万KWに相当する熱エネルギーを海や大気に捨てています。これは地球を暖めるストーブのようなものです。もし地球温暖化を防ぎたいのなら、原子力発電よりも地熱発電や太陽光発電の方がずっと役に立ちます。地熱や太陽の光は今でもそのまま地球を暖めているエネルギーなので、これをうまく電気エネルギーに変換できれば地球を暖める分が減ります。同じ理由で、エネファームのような家庭でガスから電気とお湯を作るシステムの方が地球温暖化の防止には役立ちます。火力発電所では捨ててしまう熱エネルギーをお風呂のお湯に使えるうえ送電線による電力損失もないので、ガスのエネルギーを効率よく利用できます。熱エネルギーは一番使いにくいエネルギーなので、どれだけ熱エネルギーを経由すぜに素材のエネルギーを取り出せるかが重要です。水力発電は重力エネルギーを熱エネルギーに変換することなく電気に変えるので、素材のエネルギーを電気エネルギーに変える効率は最大です。地球温暖化の防止には、自然にある熱エネルギーを利用するか又は熱エネルギーを経由せずに素材のエネルギーを利用する事が必要です。火山国の日本は地熱利用をもっと進めるべきだと思います。国立公園法を改正して、国立公園内で地下に地熱発電所を作れるようにすべきです。九州と東北にはたくさんの地熱資源があり、今は未使用のまま捨てられています。火山国である日本がこれを利用しない手はありません。発電量が安定しているのも地熱発電の大きな利点です。

2013年6月23日日曜日

感覚のマヒ

福島原発で冷却装置の異常停止や放射能汚染水の流出が続いています。これをもって新聞は東電を「緊張感がない」と非難しますが、それは的外れです。2011年3月の深刻な事故と放射能漏れに較べれば、今回の冷却装置の異常停止や放射能汚染水の流出など現場の人間には大した事に感じないだけです。東日本に人が住めなくなる可能性もあった4号機の燃料プール問題に較べれば、仮設電源の不具合や貯水槽の水漏れなど想定の範囲内にすぎません。生きるか死ぬかという修羅場をくぐった人間から見れば、今福島で起きていることは些細な不始末です。感覚がマヒしているとも言えます。何もかもが東電には始めての事故なので、そうそう上手に事故処理が進むとは思えません。これから先も汚染水は増え続けるでしょうし、数十年後に放射能が下がって圧力容器の蓋を開けるまで、溶けた核燃料がどこにどれだけあるのかさえも分かりません。福島原発は今や壮大な金食い虫となりました。国民の税金で冷やし続けなければならない核のゴミです。この期におよんでまだ日本で原子力発電を続けるのも、感覚のマヒに他なりません。

2013年6月13日木曜日

大人の役目

日本の不景気は、産業の持つ国際競争力の低下が原因のひとつです。そして日本の国際競争力が低下した最大の原因は、教育への投資を怠ったからです。この30年間で日本は新しい鉄道、空港、ビル、高速道路、橋を作りました。でも人作りをしなかったので、日本人の能力は向上しませんでした。むしろ「ゆとり教育」により平均的能力は低下しています。その同じ30年間に韓国、中国、台湾をはじめインド、ブラジルなどの国々では教育レベルを上げ、国際競争力を増やしました。地下資源の無い日本の唯一の資源は人です。人の国際競争力を上げないと日本は周りの国に経済的に負けます。他の国に出来ない事をやらないと日本は衰退します。公共事業で景気が良くなるのは経済の輪が国内で閉じている場合です。日本のように海外と深くつながっている経済では、国際競争力を上げない限り国内の景気は良くなりません。円高でも人を呼べる魅力のある国になれば観光で外貨を稼げます。円高でも他の国に真似できない製品があれは外貨を稼げます。円高なら他国のライバル企業を買収することもできます。周りの国が人のレベルを上げてきたので、日本はさらにその上をいくレベルの人を養成しなければなりません。教育は100年の計です。年金に税金を投入するのは止めて、お金を教育に回す時です。人口が減る国には新しい道路も鉄道も要りません。長時間労働でコストを下げるのではなく、頭を使って他の国に真似できない方法で外貨を稼ぐのが日本の将来の姿です。子孫に借金を押し付けるのではなく、良い教育を残すのが大人の役目です。

2013年6月8日土曜日

国語対英語

英語教育の話になると、必ず英語より国語の方が大事だという主張をする人がいます。この主張は実は無意味です。日本人を教育する以上、日本語は使えるのが前提なので、日本語がすべてに優先するのは当然です。それに日本語はほぼすべての教科で使う道具なので、国語の時間だけが日本語を学ぶ時間でもありません。もし学生の日本語能力が低いというなら、それは親と政府の責任です。子供が学ぶ量は時代とともに増えてきます。学校の効率を上げて授業時間をあまり増やさずに学生の能力を上げるには、少人数の授業が必要です。一人の教師がみる学生数は小中高ともひとクラス20人までとします。国語では小説を読む時間を減らして、新聞を題材に議論する練習をします。小説で外貨が稼げるのは村上春樹ぐらいなので、それよりきちんと話ができる人間を増やす方が日本の国際競争力強化につながります。読書感想文などという意味不明の宿題も廃止して、かわりに小論文を書かせます。題材には正解のない現実の問題を取り上げて、自分の頭で考えるという練習をします。授業では自分の論文を口頭で発表して、それをもとに議論します。自分の意見をうまく日本語で伝えられない人は、英語でもやはりダメです。

2013年6月1日土曜日

小学生に英語?

ハッキリ言うと公立小学校の生徒に本格的に英語を教える必要はありません。小学校から英語を学ぶのはお金のある私立学校だけで十分です。少人数教育ができないとあまり効果がないので、ほとんどの公立小学校では不要です。まともに英語を教えられる先生も公立小学校にはいません。その代わり世の中には複数の言語があって、おなじ挨拶、たとえば「おはようございます」でも英語ならこう、ドイツ語ならこう、フランス語ならこう、スペイン語ならこう、中国語ならこう、韓国語ならこうと国語の時間に教えれば足ります。カタカナで表す外来語の多くは英語とドイツ語から来ていると例をあげて説明し、日本で作られた疑似外来語つまり日本語英語は日本語であって、海外では通じないと教えます。英語で歌を歌うとかフォニックスを学ぶとかは私立学校や英語塾でやれば良く、公立小学校でそこまでやる必要はありません。国民の9割は日本にとどまるので、日本語ができれば生きて行けます。海外に出る1割だけが外国語を本当に必要としている人たちです。その人たちには、小学校の頃から英語を使わせるのが一番の練習になります。サッカーでも、将来プロになる人は小学校の頃から練習しています。英語も同じです。必要なら英語塾で学べばいいのです。