2018年10月21日日曜日

無駄な努力

人生に無駄はないと人は言います。確かにどんな経験も、それなりに後で役立ちます。ただし無駄に近い経験もあります。それは一度経験すれば十分な、無駄な努力というものです。重箱の隅をつつくような議論とか、誰も読まない報告書作りとか、誰でもサラリーマンなら経験があるでしょう。もし貴方が仕事において「自分は無駄な努力をしている」と思うのであれば、上司に自分の仕事の意味について質問しましょう。もしその答えに納得出来なければ、それはその上司が貴方の邪魔をしているので、移動を願い出る時期です。もしそうした移動が不可能なら、他の会社に移るのも立派な選択肢です。無駄な努力を強いる会社は長続きしません。

2018年10月13日土曜日

電気も水も止まる

都会に住んでいる人は、電気や水がいつも手に入る事を当たり前のように思っています。だから台風や地震で電気や水が止まると、始めてそこで当たり前が当たり前ではないという事に気付きます。電気は誰かが発電所で電気を起こして、誰かが保守している電線を通って、家まで来ています。水も誰かが浄水場でキレイにして、電気を使ってポンプで圧力をかけて、誰かが保守している水道管を通って、家まで来ています。電車も同じく、誰かが保守している線路の上を、誰かが保守している電線を通った電気を使って、誰かが保守した電車が動いています。料金を払っているからサービスを受けるのは当たり前と思っていると、こうしたインフラが止まった時に驚きます。でもこうしたサービスは当然ながら止まることもあります。アメリカは工事や自然災害で電気がよく止まるので、停電しても誰も驚きません。またか、という感じ。日本はあまり停電しない国なので、停電に対する準備ができていません。インフラ・サービスの質を上げると、国が脆弱になるという例です。

2018年10月4日木曜日

善悪の基準

日本以外のほとんどの国で、宗教は善悪の基準となっています。宗教はもともと法律ができる前からありました。たとえば神からユダヤの民に与えられた「十戒」には、「盗んではいけない」とか「人を殺してはいけない」あるいは「嘘をついてはいけない」といった決まりが10個あります。これはそのままユダヤ教、キリスト教、イスラム教に受け継がれています。ところが日本にはこうした「法律以前の決まり」がありません。日本には善悪の基準として法律しかないのです。聖徳太子が作ったとされる「十七条憲法」は天皇が民を治める時のガイドラインであり、善悪の基準ではありません。こうした基準がないため、日本人は個人として善悪の判断をしないまま、上司や監督の言うことを実行してしまいます。宗教がなければ宗教戦争は避けられます。でも宗教がないと善悪の基準もないのです。このため法律に規定のない状況では、日本の道徳は役に立ちません。個人として善悪の判断ができないから、堂々と間違った事をしてしまいます。それは昔の特攻隊とか今の企業の不祥事を生んでいます。