2012年7月29日日曜日

福島原発事故と文科省

日本のマスコミは、SPEEDIの計算結果を政府が事故後すぐに発表しなかったことで文科省を批判しています。でもこれは実情を知らない人の意見です。SPEEDIは原発から漏れた放射性物質の量をもとに、事故現場での風向きを使った拡散シミュレーションをするプログラムです。福島原発では大規模停電のため原発から漏れた放射性物質の量がまったく分からず、代わりに毎時1ベクレル漏れたと仮定した状況での計算を行いました。定常的に放射性物質が漏れることは実際にはありませんし、漏れた量は現実には毎時何兆ベクレルという値です。10分ごとに計算したとして、1日あたり144枚の地図になります。これが1週間あれば合計1008枚です。このうちどの地図が実際の拡散に最も近いかどうかは、放射線量を空から測定しないと分かりません。SPEEDIで計算して1週間分の1008枚の地図をすぐ政府が公表したとしましょう。それで何が分かるでしょうか。沿岸部の風向きは昼と夜で逆になるので、1008枚の地図を重ね合わせると結局同心円状の汚染地図になります。これでは現実から乖離してしまい、発表しても意味がありません。新聞は3月15日のSPEEDIの地図をもって公表しなかったことを批判していますが、これは汚染の実態が分かった後からのみ言えることです。3月15日に最も大量の放射性物質が2号機から漏れたという事実は、その時は分かりませんでした。また北西方向に風が吹いたのは午後の数時間のみで、たまたまその時2号機から大量の放射性物質が漏れたので主に北西方向が汚染されました。つまり大量の放射性物質がいつ漏れたのかが分からないと、SPEEDIの地図は現実に合わない結果を表します。ですから、今回の事故ではSPEEDIはどのみち避難の役に立たなかったのです。それでは文科省の何が問題だったかと言えば、次の3点です。まず第1に3月12日の1号機の水素爆発のあと、すぐに飛行機を飛ばして毎日空から放射線量を測るべきでした。3月25日まで文科省は空からの広域調査をしていません。第2に米軍が3月17日に飛行機を飛ばして得た放射線量の地図を文科省が翌日に受け取った時、文科省は福島県民のためにすぐにこれを公表するべきでした。この時の地図は実際の汚染状況を的確に表しており、SPEEDIの計算結果とは比べ物にならないくらい正確なものでした。第3に3月15日に原発の北西方向(赤宇木地区)で実測した放射線量を翌日に公表したとき、測定した場所の名前を明らかにすべきでした。赤宇木地区は浪江町の中にあり、2011年12月18日に積算放射線量が100ミリ・シーベルトを超えたと発表された場所です。福島原発から31キロメートル離れています。3月16日においてここは避難区域ではなく、文科省のこの不十分な発表のせいで多くの住民が無用な被曝をしました。このように官僚が国民のために働くという本分を忘れてしまったいま、日本の人は自分で自分の身を守らねばなりません。「お上」が下々の民を助けてくれる時代ではもはやないのです。

2012年7月28日土曜日

やっぱり原発は危険だ

日本政府は7月に大飯原発3・4号機を再稼働しました。その条件としてあげたのが「安全判断基準3点」です。これは首相官邸のウェブサイトに出ています。電源車の配備、冷却手段の確保、注水の体制、電源喪失時にも制御システムが動くようにすることが基準の1。ストレステストで、設計基準を上回る大きな地震と津波が来ても燃料損傷には至らないことを確認するのが基準の2。電気事業者が安全性向上のための計画を明らかにし、その計画を実行する姿勢を見せる事が基準の3です。ここで注意して欲しいのが、誰も「大飯原発は安全だ」とは言ってないことです。「安全性確認の手続き」を済ませたから再稼働しました、というのが建前です。福島原発のような過酷事故が大飯原発で起きない保証はそこにありません。というのも日本の原発では以前からこうした「安全性確認の手続き」をしていたのに、そこに含まれる想定が妥当かどうかの公開検証は1度もしてないからです。ストレステストで想定したレベルを上回る地震や津波が起こればもうそれでおしまいです。実は福島原発にあれだけ大きな津波が来る事は2009年に予想されていました。でも誰かがそこまで想定しなくていいと決めたので、その予想は無視されました。「安全判断基準3点」というのは所詮誰かが決めた想定に基づく基準です。その想定を上回る事態が起きれば電力会社はまた「想定外だった」と自らの責任を否定するでしょう。9・11事件のあと、アメリカは燃料を満載した旅客機が原発に衝突することも事故の想定内に入れました。2004年のスマトラ沖地震はマグニチュード9.1で津波による多大な被害を出しました。他の国で起きた事故や地震は日本でも起きると想定するのが当然ではありませんか。現実に福島原発で過酷事故を起こした以上、誰ももう「原発が安全だ」とは言えなくなりました。そこで官僚が考えたのが新しい「安全性確認の手続き」というトリックです。でも福島原発の事故はこの「安全性確認の手続き」をしていれば防げたのでしょうか。だとすれば今までの「安全性確認の手続き」には何の意味があったのでしょうか。次の大地震が東北地方太平洋沖地震より大きい津波を起こさないという保証はどこにあるのでしょうか。沿岸にあるため本質的に津波に弱い日本の原発は時限爆弾と同じです。どれだけの事故確率ならコストとの兼ね合いから原発を受け入れるか、という国民的議論がないのがマサには不思議です。それは契約する電力会社を自由に選べないという国の仕組みに問題があります。携帯なら今やドコモ、KDDI、ソフトバンクと選べるのに個人が電力会社を選べないのは、将来天下り先となる電力会社を儲けさせるための官僚の意図的な不作為の結果です。福島原発事故が起きた時まず官僚が考えたのは、どうやって事故の責任を逃れるかであり福島県民がどうなるのかはその次でした。保安院も文科省も役立たずでしたね。保安院は前例のない原発事故で思考停止状態でした。空から放射能の分布を調べる飛行機を飛ばしたのは自衛隊ではなく米軍が最初です。こうした前例主義の官僚たちに日本の舵取りを任せているのは恐ろしいとマサは思います。

2012年7月24日火曜日

脱原発

原発は危険です。これは福島の原発事故が突きつけた現実です。もともと100%安全な物など世の中にありません。でも原発は危険だというのが目の前の現実なので、ではどの位危険なのかがひとつの論点です。飛行機より危険なのか。自動車より危険なのか。今までの原発の事故確率はかなりいい加減な見積もりだったことが今回の事故で分かりました。レベル7の原発事故の確率は今の日本だと原子炉1基につき500年で1回です。50基の原子炉を動かせば、10年に1回の割で大きな事故が起こります。先日ある電力会社社員から「事故の放射能が原因で死んだ人はいない」という意見が出ました。でも福島県内外で避難生活をしている人は10万人を超えています。事故のため牛を飼えなくなって自殺した農家もいます。事故の放射能が原因でこれから死ぬ人は100人程度と見積もられています。事故の補償のみならず事故を起こした原発を廃炉にする費用も数兆円という大変な額がこれから必要になります。原子炉がどれだけ危険でどれだけお金のかかる代物かが分かった今、日本では脱原発が明らかに国民の意思です。どうせ住民の反対により新たな原発は作れないので、40年が経過した原子炉から順に廃炉になります。今から40年後には日本で動いている原子炉はひとつもありません。これを想定して化石燃料による発電と自然エネルギーを増やすのが日本の姿です。例えば真夏の午後はエアコンのため電力使用のピークとなっています。でもそれは同時に太陽光発電のピークでもあります。日本の家という家、ビルというビル、屋根という屋根に太陽光パネルと蓄電池を付ければ日本に原発は要りません。核のゴミも出ません。放射性廃棄物と事故の処理費用を含む原子力発電よりも安価にエネルギーを国産化できます。もちろん化石燃料は今も将来も大切なエネルギー源です。火力発電は必要ですし、水力や地熱発電も使います。脱原発は今後40年かけて行うので、今から始めれば十分間に合います。このように数字で考えれば、原発が割に合わないことは明白です。

2012年7月13日金曜日

いじめは傷害罪

日本の学校での「いじめ問題」について。「いじめは傷害罪」という考え方を日本でも徹底してほしいですね。いじめる方は気晴らしかもしれませんが、いじめられる方は死活問題です。これほど加害者と被害者で認識が異なる犯罪も珍しいでしょう。加害者の子供にまず第一の責任があり、子供が未成年ゆえその親に第二の責任があります。「子は親の鑑」ですから、まず加害者の親に顔を見せてもらいましょう。学校でのいじめは担任に第三の責任があります。でも教師も人間ですから誰でも自分の落ち度は隠したいもの。いじめを匿名で学校外の第三者、たとえばマスコミに通報できる仕組みが必要です。教育委員会や役所は利害関係者なので第三者には当たりません。人は怠けるもの、嘘をつくものという立場からの調査が肝心です。いじめの根底にあるのは「島国根性」という大人のいじめであり、これをなくすのは大人の仕事です。今回は加害者の子供を傷害罪で告訴し、少年院に送ることも考えるべきです。その親は民事訴訟で損害賠償を負うことになります。アメリカの学校では「いじめ」は大問題で、見つかれば即退学になるほどの厳しさです。日本はその点甘いですね。自殺者がでる程なのに大人は知らんぷりですか。親は自分の子供を守るのが仕事です。この教師は何を守ったんでしょうか。英語ではこうした行為を cover your ass といいます。子供を持つ親の皆さん、自分の子供を守っていますか。教師も教育委員会も警察も守ってはくれませんよ。

2012年7月9日月曜日

自己責任

あなたが自己責任で生きている人間かどうかは次のテストで分かります。歩行者用信号が赤の時、あなたはどうしますか。周りを見て車が来ていなければ、赤信号を無視して渡るのが自己責任で生きている人です。車が来ないのに信号が青になるまでひたすら待ち続け、青になったら人の後に続いて渡るのが人任せで生きている人です。あなたはどちらですか。別に人任せが悪いとは言いません。自分の人生をどう生きるかは個人の勝手です。ただ今の日本は自己責任で生きる事が求められる国です。もはや政治家や官僚があなたの為になる政治や行政をしてくれる時代ではありません。自分の頭で考え判断する、自己責任で生きる人が日本には必要です。

2012年7月8日日曜日

年功序列は憲法違反

年功序列とは年齢による差別であり、憲法違反です。日本は年齢による差別を法律で明確に禁止するべきです。公務員は反対するでしょう。でも人を取りやすく解雇しやすい仕組みに変えて行かないと、新しい産業は育ちません。年功序列の欠点は次の3つです。適材適所ができない。人件費が必ず増える。時代の変化に対応できない。いっぽう終身雇用の欠点は次の3つです。整理解雇ができない。新しい会社が育たない。人材が腐る。年功序列と終身雇用は人口が増大し市場が拡大する局面でのみ長所をもっていました。今や歯車が逆転し人口が減少する日本では、長所はなくなり短所のみが目立ちます。ここにメスを入れない限り、日本の輸出は消え去り産業は空洞化します。日本での働き口は公務員のみとなり、多くの若者は仕事を求めて海外に移住することになります。これは今のギリシャそのものです。税金を納める人数が減るので、財政赤字はさらに悪化します。その結果公務員もまた削減されます。増税するとさらに国内経済が疲弊するので、国として破綻します。終身雇用は従業員にとっても決して良い制度ではありません。余剰人員を解雇できないと会社が潰れます。他の会社も同様に余剰人員を抱えているので、他の会社に移ることもできません。アメリカに過労死がないのは、会社の労働条件が悪いと人材がすぐ他の会社に移るからです。会社にとって必要な人材は解雇されません。終身雇用という幻想にしがみつくのは止めて、仕事の能力を高める努力をしましょう。

2012年7月7日土曜日

失われた20年

マサがアメリカに来たのは1987年です。今から25年前のことです。当時は1ドルが150円ぐらい。アメリカに来た目的は留学で、コンピューター・サイエンスの修士号を取りました。その後アメリカの企業に就職し、日米合わせて5社の会社で働きました。この間に日本ではバブル経済とその崩壊、そしてITブームとその崩壊が起きました。Japan As Number Oneと持ち上げられたのもつかの間、日本はすぐその経済力を落としました。バブル崩壊後の日本の財政は巨額の赤字国債を出すなど悪化し、今では借金大国に成り果てました。バブル崩壊後の20年で起きた事は、日本の仕組みが時代に合わない事を示しています。たとえば年金にしても、国民の男女合計の平均寿命が68歳の時に60歳から支給する仕組みを1961年に作りました。つまり人生最後の8年を助ける制度でした。今では平均寿命が82歳ですから、20年以上の支払い期間があります。それに対して保険の最低加入期間は以前から25年のままです。いやむしろ無年金者を減らすため最低加入期間を10年に縮めようという提案もあります。この様に過去に作られた制度が時代に合わないにも関わらず、その抜本的な改訂を怠った結果が今の日本の姿です。終身雇用や年功序列もそうした時代遅れの制度です。かつての日本は円安を武器に輸出で外貨を稼ぎました。日本の経済が強いと思えば、オイルダラーなど海外の投資家が日本に投資するのは当然です。その結果ジリジリと円高になり、1999年には1ドルが100円になりました。個人的には1ドル100円が妥当なレートだとマサは思います。でもリーマンショックとユーロ危機のせいで円高が進み、今や1ドル80円です。この25年でレートがほぼ倍になったのですから、ドルベースだと日本人の給料は倍になったのと同じです。つまりそれだけ単価の高い仕事をしないとかつての経済力は維持できないという理屈が成り立ちます。単価の低い製造業が日本で衰退するのは避けられません。日本人ひとりひとりの能力を上げて、より単価の高い仕事をする以外に日本の生きる道はありません。

2012年7月4日水曜日

日本の英語学校

日本にいるとまず英語は使いませんね。日本語だけで十分生きて行けるので、英語が上達するはずがありません。なので英語を使えるようになりたい人は、積極的に英語を使う環境に身を置くことが必要になります。仕事で英語を使う人を別にすれば、一般的に英語の能力が先か英語を使う環境が先かという「鶏と玉子」の関係が存在します。普通は英語学校に通うなどで英語を使う環境に身を置き、そこで英語の能力を身につけるという順序になるでしょう。そこで英語学校の質が問われます。日本の英語学校はアルバイト感覚の外国人を雇って安い給料で会話させるだけの所が多いので、あまり先生の質が高くありません。英語をちゃんと教えるにはそれなりのトレーニングを受けた人でないとダメです。ほら、日本人でも日本語を外国人に教える事ができるとは限りませんよね。例えば日本語の文法を英語で説明できますか。「私は社長です」と「私が社長です」の違いを外国人に説明できますか。英語の先生ではなく、単なる会話の相手ならアルバイト感覚の外国人でも勤まります。でも1時間5千円とか払ってその程度の教育を受けるならお金のムダです。英語学校に3年以上通うのもお金のムダです。英語力の維持なら英語学校に行かなくてもできますし、3年通っても物にならないのなら、その学校の教育方法は誤りです。生徒の口コミを読んでから英語学校に申し込んでも遅くはありません。

2012年7月1日日曜日

終身雇用制度に替わるもの

終身雇用制度は法律に明文化された制度ではなく、企業の努力目標であると前に書きました。日本では会社内で従業員を一から育てるので、せっかく育てた従業員に辞められては大損です。また整理解雇の条件が厳しいので、ちょっと赤字が出たくらいでは正社員を首にできません。ところが、こうした日本独特の終身雇用制度に限界が来ています。海外の企業と競争関係にない会社や公務員を除くと、ほとんどの産業がグローバル化に直面しています。つまり海外の、終身雇用制度のない会社が競争相手です。こうした状況ではライバル企業よりも先に収益の上がる分野に投資した会社が勝ちます。それには収益の上がらない部門を切る必要があり、終身雇用制度が足かせとなります。もし日本がグローバル経済で勝ちたいと思うなら、終身雇用制度を諦めて整理解雇をしやすくする必要があります。それと同時に人を採用する場合の年齢や性別、容姿での差別を罰する法律も必要です。人を整理解雇する場合にも、同じく年齢や性別、容姿での差別を法律で禁じると共に、勤続年数に応じた退職金を払い、次の仕事を見つける手だてを提供する決まりにします。人を採りやすく、かつ解雇しやすくするのが目的です。落ち目の会社から陰湿な手段で辞めさせられるぐらいなら、明文化されたルールに従って退職金をもらい、もっと将来性のある企業で働く方がいいと思いませんか。人材が必要な時に必要な所に回る会社がグローバル経済で勝者となります。進化論で有名なダーウィンが言ったように、強いものが生き残るのではなく環境の変化に対応したものが生き残る世の中です。終身雇用制度で得するのは公務員だけです。働く方からしても、他の会社に移りやすくなれば待遇の悪い会社にしがみつく理由がなくなるので、ブラック企業は淘汰されます。