2012年8月25日土曜日

福島原発事故と保安院

原子力安全・保安院は経済産業省の傘下にある役所です。原子力発電所を始めとするエネルギー施設の安全について責任があります。原子力安全基盤機構という独立行政法人と並ぶ組織です。福島原発事故では保安院のヘマがいくつも明らかになりました。まず第一に保安院という名前にもかかわらず、福島原発事故を防ぐ事ができませんでした。保安どころか安全の足しにもなりませんでした。第二に真っ先に現場から逃げ出したのも保安院の検査官でした。福島原発事故独立検証委員会の「調査・検証報告書」102ページによると、3月12日5時までに保安検査官8名が福島原発から逃げ出しています。これにより保安院は現場の情報を東電からもらう立場になり、官邸に対して東電より情報源として劣る存在になりました。第三に当時の首相に対して何ら意味のある助言ができませんでした。寺坂保安院院長は東大経済学部卒で原子力には素人であり、理系出身の首相の技術的な質問に対して何も答えられませんでした。それまで保安院院長は文系と理系が交互に付くポストで、事故の時たまたま文系の人が院長だったのは運が悪かったのかもしれません。でも結果的に首相の信頼を失い、保安院の信頼はますますなくなります。そして極めつけが、3月12日に炉心溶融に言及した中村審議官の交代です。正しい事を口にした中村審議官が官邸の意向で下ろされ、その後に経済産業省から西山審議官が送り込まれました。西山審議官は原子力の専門家ではないので、余計なことはしゃべらないという点が期待されたと推測できます。その後の西山審議官の活躍は国民の知る所です。原子力安全基盤機構が技術的な評価をするので、保安院は自らの手による技術的評価を怠ったという批判もあります。またアメリカと違い軍隊出身の原子力専門家がいないので、保安院は専門家を抱える電力会社の言いなりになっていたという批判もあります。根本的には、原子力を推進する経済産業省の下に原子力を規制する機関を設けたのは矛盾していたという点に尽きるようです。原子力安全委員会の班目委員長も、自らが否定していた水素爆発が起きたことで首相の信頼を失い、寺坂保安院院長とともに非常時に役立たずとの判断が下されました。こういう人たちの給料を日本人は税金から払っています。原発事故を防げなかった以上、彼らの給料は自主的に国庫に返してもらったらいかがでしょうか。

2012年8月21日火曜日

節電をチャンスに

夏の昼間に仕事とエアコンで電気を大量に使うので、この時間帯の電気を節約する事が求められています。言い換えると、それ以外の時間帯で節電してもあまり意味はありません。ピークを潰して平にならせば日本の電気は不足していません。いかに昼のピーク時に電気を使わずに済ますか知恵を絞りましょう。夜の街灯を間引くことは害あって一利なしです。早番と遅番の2交代制で昼間は休みとか、蓄電池に電気を貯めて午後の数時間は夜間に貯めた電気を使うとか、それから冷房は電気ではなくガスを使うとか、あるいは地冷熱で冷暖房をするとか、雪国なら冬の雪を夏まで保存して冷房に使うなどいろいろアイデアはあります。今はそうしたアイデアを実行に移すときです。40年後には日本に稼働している原発は1基もありません。今から電気のピーク時使用量を減らして、原発に依存しない社会を作りましょう。覚えていますか。かつて排ガス規制でパワーを落としたアメ車を尻目に日本のシビックがアメリカの市場占有率を伸ばしたように、電気を大量に使わない製品や節電ノウハウは他国に売り込むことができます。原発がないと困るのは既存の非効率なビジネスだけです。原子力によらない発電装置、電気を効率よく貯める装置、電気を大量に使わないビジネスは今後拡大します。海に眠る海底資源の開発も今後伸びる分野です。原子力を捨てることで、逆に競争相手の少ない分野で日本が世界一になることも可能です。これは日本にとってかつての排ガス規制のようなチャンスです。ピンチをチャンスに変えられる人や国が、環境の変化に対応して生き残ります。

2012年8月19日日曜日

敗戦記念日

そろそろ日本の「終戦記念日」という言い方を「敗戦記念日」に変えたらどうでしょう。第二次世界大戦で日本はアメリカに負けました。原爆を2個くらって負けを認めざるを得ない状況に追い込まれました。事実は「敗戦」であり、国民が戦争を終わらせたわけではありません。こうした言葉の言い換えは本質を隠してしまいます。なぜ日本が負け戦を始めたのかという国民的結論はまだ日本にありません。本音と建前という議論の二重構造がその理由だというがマサの意見です。もしこれが正しいとすると、日本にはまた負け戦を始める構造が残っています。マサが思うに、福島原発事故はそうした負け戦の例です。本音では「原発事故は起きる」と知っていたのに建前で「原発は安全だ」と言ったために、過酷事故を防ぐこともできなければ事故の拡大を防ぐことも出来ませんでした。次の負け戦は何でしょうか。マサはそれがすでに始まっていると見ています。家電業界の凋落、半導体産業の消失、人口の減少、財政赤字の拡大、検察の証拠捏造、警官や教師など公務員の犯罪、いじめの増加、低賃金労働の増加、毎日100人近くが自殺する現実など、こうした前線で日本は負け続けています。建前を振りかざし保身を企む人がいる限り、日本はこの戦争で勝てません。現実を直視する勇気があるなら、まず「終戦記念日」を「敗戦記念日」に言い変えることから始めましょう。問題の本質を明らかにすれば、解決策は半分わかったも同然です。

2012年8月18日土曜日

建前と本音その3

先日のNHKスペシャル「終戦、 なぜ早く決められなかったのか」を視て、日本の最大の欠点は本音で議論しないことだとマサは確信しました。本音で議論しない国は本音で議論する国に負けます。本音を言わないと本当のチームワークは生まれません。心から協力できる信頼関係は、建前を捨てて本音で議論することから始まります。「口ではああ言っているけど、腹の底ではこう思っているはずだ」という考えを参加者が持っている限り議論は時間のムダであり、日本にはそうしたムダな議論がたくさんあります。こうした議論の二重構造には、かつて狭いムラ社会の中で人間関係を良好に保つという目的がありました。でもそうした二重構造が通じるのは日本の中の、さらに狭いムラ社会の中だけです。戦争という行為に突き進んだ日本の指導者は建前を振りかざして保身に走ったものの、本音の議論ができないままいたずらに時間を浪費して、結局ソ連の参戦とアメリカの原爆投下を招いたという印象を持ちました。本音の議論が出来ないのは日本最大の欠点であり、子供のころからの教育でこれを是正する必要があります。酒の席でしか本音の議論ができないと、これからの日本に強みはありません。アメリカの企業は本音で議論するから決断が速いし、結論が気に入らない人はさっさと他の会社に移ります。本音の議論ができずに何も決められない日本は、すぐ議論を誰かに丸投げしてしまいます。「〜さんに一任」という解決方法です。日本では人の責任範囲が不明確で、思い切ったことを議論で決められません。そこエラい人に一任して議論を回避しますが、その人がまた決断力のない人だと玉虫色の中途半端な結論に終わります。これからの日本には、自分の頭で考えて本音で議論する人がたくさん必要です。建前で時間稼ぎしている内にいっそう問題が深刻化します。人に遠慮するのは止めて、堂々と自分の本音を言いましょう。裏表のない人間、言行一致の人間がアメリカでは尊敬されます。建前と本音がかけ離れている人は「信用できない、ずる賢いやつ」と見なされます。議論の二重構造を残したままでは日本はグローバル経済で勝てません。

2012年8月6日月曜日

フリーランチ

英語でフリーランチ(無料の昼食)というと、そんなものは世の中にないから気をつけろ、という意味になります。すべてのものにはコストがあり、無料のものには隠れたコストがあります。日本語には「タダほど高いものはない」という諺があり、英語には「フリーランチなんてものはない」という意味の慣用句があります。両者とも言っている事は同じです。セールで50%オフという場合、元の値段が高すぎたのではないかと疑うのが大人の発想です。ましてやタダというなら、その見返りは何かと疑うのが常識だと思います。これも英語には「キャッチは何か」という慣用句があります。どんな罠があるのか、というのが元の意味です。販売促進のために牛丼を半額で売るとか、広告入りティッシュを無料で配るとかいうのは分かります。ところがインターネットで最初から50%オフとして売られているものに、本当の価格があるのかどうかは疑わしい場合が多いようです。かつて話題のグルーポンでなくても、元の値段が確認できない商品は割引率などいくらでも偽装できるので、インターネット購買では要注意です。企業である以上利益を追求する組織ですから、何かをコスト割れで提供する場合、どこで儲けるのかという疑問を持つのが当然です。素材の質を落とす、量を減らす、あるいは十分な市場占有率を取ったあとで値段を上げるなどの方法が考えられます。フリー(無料)という言葉には日本でもアメリカでも要注意です。

2012年8月1日水曜日

新聞も分析を

福島原発事故では、3月11日の当日から東電が正門前で測ったガンマ線量をウェブで公表していました。これをグラフにすれば、3月12日の早朝からガンマ線量が上昇していたことは誰にでも分かります。つまり1号機のベントをする前から既に放射性物質が漏れていました。また3月15日から16日にかけてガンマ線量のピークが3回あったことも分かります。原子炉建屋が水素爆発した時点ではガンマ線量はあまり増えていないので、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ないこともわかります。正門前で測ったガンマ線量と事象の時系列をみれば高校生でも分かります。このグラフを最初に公表したのは、マサの知る限り3月16日のニューヨーク・タイムズ・アジア版です。日本の新聞社でこのような独自の分析を行って、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ない事を示したところはありません。新聞記者は人に聞くのが仕事です。でも新聞社にはデータを分析する人もいるはずです。インターネットで東電の発表も官邸の発表もタダで見る事ができる時代に、新聞社があくまで情報を右から左に流すパイプとしての役割しか果たさないのであれば、わざわざ新聞を購読する人はいなくなります。本当は公表された情報の裏にある真実を国民に知らせる役目がマスコミにあるはずです。でもそれには人に聞くだけではなく自分で情報を分析することも必要です。事故当時の新聞社には原発に詳しい人がおらず、突っ込んだ質問が出来なかったのは理解できます。でもそれなら専門家を臨時に雇えばいいのではありませんか。原発が過酷事故を起こさないとタカをくくっていたという意味では、日本の新聞社もマサを含む大多数の国民と同じ過失を抱えています。ちなみにこのグラフは同じ年の12月2日に東電が発表した「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」の72ページにでています。この報告書では、3月15日に2号機の格納容器の圧力が急低下したのとほぼ同時に正門前のガンマ線量がピークとなったことから、この日に最大の放射性物質漏れが2号機から起きたと推定しています。その日の午後に風が北西方向に吹いたことと雪が降ったことが重なって、原発から北西方向が主に汚染されました。この風向きもガンマ線量と一緒に東電がその日の夜にPDFで発表しています。このデータを調べれば、原発の北西方向が危ない事は当時の新聞社にはすぐに分かったでしょう。