2012年9月22日土曜日

ミスリード

何も知らない人に断片的な情報を与えて意図的に誤解させることをミスリードと言います。嘘をつくわけではないので、あとから文句がでても、間違った事は言ってないと言い張る事が出来ます。国民を欺く為に官僚がよく使う手です。最近の例では「原発をゼロにすると2030年の電気料金が2010年の2倍になる」という情報が経産省から出ています。これだけ見れば2倍は困ると思う人も多いでしょう。でも20年も経てば大体の料金は値上がりします。ビデオニュース・ドットコムによると、実際の試算では「原発15%の場合でも電気料金は1.7倍、原発を事故前と同等レベルの20~25%に維持しても電気料金は1.6倍を超える」という結果が出ています。つまり原発があってもやはり電気料金は値上がりして、その差は3割程度です。またこの計算では「原発の発電コストはキロワット時あたり8.9円」を前提としています。これは大きな誤りです。なぜならこれには福島原発事故の賠償、除染、廃炉のために費用が含まれていないし、高レベル放射性廃棄物を長期間安全に保管する費用も含まれていません。2兆円以上を費やしてまだ建設途中の六ヶ所再処理工場を廃止する費用や、1兆円以上使って失敗した高速増殖炉もんじゅの廃炉費用も含まれていません。このようにある目的のために都合の良い数字だけを選んで官僚が出した数字を鵜呑みにしては危険です。いい大人がこうした単純な手に引っかかるのも情けないですけど、日本の新聞にはこうした数字のカラクリを検証せずに「経産省が出した数字だから」という理由だけでそのまま載せているところもあります。自分で分析せず情報をただ右から左に流すだけのメデイアはもう要りません。インターネットで政府の発表した情報が簡単に手に入る時代に、日本の新聞には政府の見張り役という覚悟がなさすぎます。それだから新聞を購読する人が減るのです。民主主義がうまく機能するには国民が大切な情報をすべて知る必要があります。政治家や官僚がミスリードしたら、それに噛み付くのが購読料を取る新聞の仕事です。

2012年9月19日水曜日

マイクロ・マネジメント

手取り足取り指図するような事細かい管理方法をマイクロ・マネジメントと呼びます。部下をロボット扱いするのでシリコン・バレーでは嫌われる管理方法です。この方法では部下が育たないうえ、仕事の規模が拡大したとき上司が管理しきれなくなるので、マイクロ・マネジメントは下手な管理方法だとされています。ただし部下が新人だったり経験不足と判断される場合は、時期を限ってそうした管理方法を取ることもあります。学校出たての右も左も分からない新人に仕事を教えるには、経験者(メンター)が手取り足取り教える必要があり、そこでは報告・連絡・相談が求められます。ここでよく誤解されるのがマクドナルドの接客マニュアルです。アメリカのマクドナルドで接客する人は、高校すら出ていないし、英語も片言しか話せない海外からの移民かもしれません。だとしたら、事細かにマニュアルに書いてその通りやらせる方が一定のサービスを保証できます。日本人から見れば過剰とも思えるマニュアルには、そうした国の事情の違いが隠れています。その一方で知識労働者として大卒を雇う場合、会社は何らかの専門家としてその人を雇います。営業なら営業、人事なら人事、経理なら経理という仕事がまずあって、その職にふさわしい人を雇うからです。なので最初の研修期間が過ぎると、手取り足取り仕事を教えるということはまずありません。分からなければ周りの人に聞けばいいし、専門家として雇っているので、すぐにその人に仕事を任せます。少なくともマサの経験した範囲では、アメリカの知識労働者にマニュアルはありません。個人の責任範囲がはっきりしているので、その範囲内では自由に仕事しています。逆に言うと、その仕事を任せられそうな人を採用しているということです。単純作業はコンピューターが処理するので、知識労働者はコンピューターにはできない仕事をしています。なのでそうした仕事はマニュアル化には向かないという理由もあります。

2012年9月12日水曜日

いじめと割れ窓理論

学校を舞台に起きる日本のいじめには、ニューヨーク市で有名になった「割れ窓理論」と共通するものがあります。いじめは些細な嫌がらせから始まります。それを周りが見て見ぬ振りをしたり、教師がたいした事ないと無視したりすると、いじめる方が次第にエスカレートします。これは、窓ガラスを割るような些細な犯罪を放置すると、犯罪が次第にエスカレートして殺人事件にいたるという「割れ窓理論」と同じ構造です。従って同じ解決法が使えます。それは最初の些細な嫌がらせの段階で周りが断固とした措置を取るということです。ニューヨークでは些細な罪でも犯人を捕まえて裁判を受けさせます。いつも警察の目が光っているという事を犯罪人に教えることで、凶悪な事件を防ぐ事ができます。学校でもこうした初動が取れればいじめを減らす事ができます。いじめは傷害罪という犯罪です。教師が初動を誤ると、いじめる方に間違ったメッセージを送ってしまいます。それはいじめはやってもいいんだ、というメッセージです。これを防ぐには、些細ないじめでも教師が断固としてそれを排除する姿勢を見せる必要があります。つまりいじめたとされる子の親と直接話して、学校でのいじめは親にすぐ通知が行くという事を子供に教えることです。子供もその親も最初はいじめを否定するかもしれません。ただの悪ふざけだというかもしれません。でもいじめは被害者の認識が重いのです。いじめられた方がいじめだという限り、それはいじめです。教師はいじめられた子の味方として、加害者とその親に「もう一度やったら退学だ」という強いメッセージを送るべきです。教師にも味方が必要なので、校長を始め回りの教師は普段からいじめに対する行動を練習して、いじめ問題をかかえた教師を助けます。いじめは加害者である子供の親が責めを負う犯罪であり、いじめを放置する教師は共犯者です。教師が加害者の子供とその親に対峙する勇気がなければ、いじめられた方は警察に被害届を出したりマスコミに通知するなどの手段で我が子を守る権利があります。些細ないじめでも許さない姿勢をゼロ・トレランスと呼びます。

2012年9月11日火曜日

シルバー民主主義への処方箋

今の日本は老人大国です。年金は本来の額より2.5%も多く支払われており、年間約1兆円がこれに費やされています。年金は資産や子供のいない老人を救う制度であって、老人の生活を豊かにするための制度ではありません。デフレの世の中で年金支払額が下がるのは法律にも明記されている当然のことです。ところが政治家は老人票が怖いので年金の減額に踏み込めません。老人は数が多いうえにまめに投票するので、民主主義での影響力は自然と大きくなります。このシルバー世代を票田とする政治をシルバー民主主義といいます。年金や国債の問題は世代間の搾取の問題です。孫の世代がババを引くのが年金で、孫に借金を押し付けるのが国債です。選挙権のない未成年者に一方的に負担を強いるのは明らかに不公平なので、これを是正するには未成年者に選挙権を持たせて、その保護者が代理で投票するべきでしょう。子供が二人なら両親それぞれ二人分の投票する権利があります。年金のツケや国債を押し付ける以上、未成年者にも投票権があります。シルバー民主主義への処方箋は、未成年者に選挙権を与えてその保護者に代理投票を認めることです。家族で話し合ってどの政治家を選ぶか決めるのは、日本の未来のためにとても大事なことです。

年金は少子化の原因

少子化の原因のひとつは年金です。年金制度ができる前は、老後は子供の世話になるほか手がないので、子供は多い方が良いとされていました。1961年に年金制度ができてから、老後は自分の子供の世話になる必要がなくなりました。他人の子供の稼ぎからお金をもらえるので、自分の子供は少なくても心配ありません。これは年金がもたらしたマイナスの効果です。今の年金を半分に削って子育て世代に回すべきです。年間40兆円の年金支払いの半分は税金から出ています。多くの人が年金は自分の積み立て預金だと誤解していますが、年金は積み立て預金ではありません。金利がゼロの世の中で支払った分以上のお金がもらえるのは、子供の世代からお金を回しているからです。この仕組みは人口が増える国でのみ機能し、人口が減る国では機能しません。年金は一種のねずみ講であり、最後にババを引くのは孫の世代です。年金制度が少子化の原因であることはあまり話題になりませんね。年金を半額にすることで生活費が足りない人は、働ける場合は働いて生活費を稼ぎ、そうでない場合は家や車などの資産を売るか、さもなくば生活保護を受けることになります。年金が原因で国が滅びては本末転倒です。

2012年9月8日土曜日

土足厳禁

マサの家では玄関で靴を脱ぎます。カーペットの床は土足厳禁です。でもアメリカの家は一般に屋内でも靴で歩きます。ホテルでも靴のままですね。それだと足が疲れるので、スリッパに履き替えることもあります。アジア系の家では土足厳禁の場合が多いです。でも欧米系は玄関で靴を脱ぐ習慣がないので、初対面の人は靴のまま家に入ってきます。とくに困るのが家電の修理です。修理の人は怪我を防止する規則があるため靴は絶対脱ぎませんから、カーペットの上を靴のまま歩きます。そんな時マサの家では新聞紙を敷いて道を作ります。雨が降った後は靴も濡れているので、本当の事を言うと靴は入り口で脱いでほしいのですが、あまりカーペットが靴で汚れるのは気にしないようです。ただしほとんどの道は舗装されているうえ移動は車なので、靴が土で汚れることは稀です。雨の降らない夏のシリコンバレーでは、コンクリの歩道を裸足のまま道を歩く若者もいます。マサは家のカーペットが汚れるのがいやなので、必ず玄関付きの家に住むようにしています。家によってはドアを開けるといきなりリビングルームでカーペット敷きという間取りもあって、そうした家だと靴を脱いで置いておく場所がないので困ります。入り口で靴を脱ぐ習慣は、特に床がカーペットの家だと衛生的だと思います。最近は日本式に入り口で靴を脱ぐ欧米系の家庭も出てきました。そういえば、この間来たATTの人は靴にかぶせる青いカバーを使ってました。カーペットを汚さないという気持ちは嬉しいです。

2012年9月1日土曜日

原子力の限界

テレビの鉄腕アトムを視て育ったマサは、日本に原子力が導入された当時の楽観的なムードを覚えています。鉄腕アトムは胸の中に原子炉を持っていましたし、その妹はウランという名前でした。原子力船むつが放射線漏れ事故を起こして母港に戻れなくなったのは、福島第一原発1号機が発電を開始した3年後の1974年のことです。もともと広島・長崎の原爆被害や第五福竜丸の被曝問題があったので、日本人は原子力の安全性に懐疑的でした。それでも巧い世論操作により原子力は安全とされ、日本の僻地に原子力発電所が作られました。マサの当時の理解では、核分裂は放射性廃棄物の問題があるので核融合で発電するまでの「つなぎ」とされていました。核融合発電は当時の予想によれば21世紀の今頃には実用化されているはずでしたが、いっこうに実現していませんので、いまだに核分裂を使い続けています。核分裂を利用した原子力発電の限界は、まず第一に放射性廃棄物を永久に保管する自治体が日本に無いこと、第二に福島原発事故が証明したように核分裂による原子力発電は決して安全ではないこと、第三に発電コストが必ずしも安くない事です。日本の商用原子炉の過酷事故確率は、福島原発事故のため実測値で原子炉ひとつにつき500年に一度の割合です。日本全体で25機の原子炉を動かしたとすると、20年に一度は外部に放射性物質をまき散らす事故を起こす割合です。これでは事故の処理費用や補償費を含む発電コストが高くなりすぎて、原子力発電を続ける経済的意味がありません。2012年3月11日を境に日本の原子力発電は経済的意味を失いました。それでも原子力を続けたい人は、原子力企業に勤める人か日本に核武装させたい人です。今日本にある原発はすべて同じ欠陥を抱えています。それは数日の電源喪失で外部に放射性物質をまき散らすという欠陥です。また使用済み燃料プールは、同じく数日の電源喪失でむき出しの炉心となります。大地震や大津波がある日本では数日の電源喪失は避けられないので、原子力発電は危険すぎるのです。次に原発事故が起きる時、福島のように風が主に海に向かって吹くとは限りません。もし再び日本で原発事故を起こせば、一つの県がまるごと避難するような、福島原発事故よりたちの悪い事故にもなり得ます。東京に高層ビルを建てられるなら、東京に原発を作ればいいのです。なぜ僻地に原発を建てるのかを福島原発事故が教えてくれました。事故はまた必ず起きます。狭い日本で今度はどこに逃げるのでしょう。