2014年10月30日木曜日

ハロウィーン

日本だとハロウィーンはすっかり大人の仮装パーティとして扱われています。もちろん日本のカボチャはとても美味しいので、そのカボチャを使ったパンやお菓子が巷に溢れるのは、同じく旬な栗を使ったお菓子がこの季節に増えるのと同じく嬉しい話です。でも日本だと、ハロウィーンの主役は子供だというアメリカの常識は通じません。クリスマスと同様にハロウィーンも商業主導で日本に導入されたため、意味がずれてしまったようです。もちろんその違いを知っている限り、この違いは必ずしも悪いことではありません。アニメの影響で日本だとコスプレが盛んです。そのコスプレとハロウィーンが日本で合体した現状を見ると、悪霊を怖がらせるために家を墓場のように飾り立てたり、魔法使いの格好をするアメリカの大人とは明らかに向いてる方向が違います。そもそも子供がキャンディをもらうために仮装して家々を回り、「トリック・オア・トリート?」と問いかける行為自体が日本にありません。「お菓子をくれなきゃ魔法をかけちゃうよ」というこの言葉の意味も、またハロウィーンが干し草を集めて収穫を祝う秋祭りの一種であることも、おそらく大部分の日本の人は知らないでしょう。なぜオレンジ色のカボチャをくりぬいてランタンを作るのか。それはこのカボチャが食べても美味しくないからです。日本のカボチャのような美味しいカボチャは、もともとアメリカにはありませんでした。そのかわりハロウィーンに使うカボチャはオレンジ色で綺麗なので、飾りとして利用します。もとはケルト人のお祭りであるハロウィーンは、今やアメリカと日本で違う物として利用されています。

2014年10月25日土曜日

企業インターン

最近よく聞くのが日本の企業インターン制度です。日本の労働形態では企業が4月に大学卒業生を大量に雇うので、その前の年などに大学生をインターンとして働かせるそうです。問題なのはその期間で、半日から2週間となっています。これは短期アルバイトと何が違うのでしょうか。インターンは企業と学生のお見合いの場です。たった半日で何が分かるのでしょうか。いや2週間でも足りません。企業がインターンの能力を見極めるには最低3ヵ月は必要です。何かまとまった仕事の成果を出してもらうにも、そのくらいの時間がかかります。お試しコースではなく、見習い期間がインターンの意味です。海外の大学だと、最低3ヵ月のインターンを経験しないと卒業できない学校もあります。アメリカでも夏休みになると、インターンが企業にわんさか働きに来ます。最初の1ヵ月で仕事の基礎を学び、次の1ヵ月で色々なアイデアを試し、最後の1ヵ月で社内発表を仕上げます。その仕事の成果は学校に提出して単位をもらいます。もし企業がその学生を気に入れば、その人の卒業に合わせて就職のオファーを出します。このお見合いで学生と企業のどちらか一方が相手を気に入らなければ、次の年にまた他の企業でインターンをするだけです。大学4年間で少なくても3回はインターンの機会があります。インターンの経験は履歴書で自分を差別化するよいポイントなので、履歴書の空欄を埋めるために学生は積極的にインターンを利用します。最近はグーグルのようにインターンの学生に月収40万円も出す会社があります。ここシリコンバレーでは、どの企業も良い学生を早く手に入れようと必死です。

2014年10月18日土曜日

遊び

日本は遊びの少ない国です。ここで言う遊びとはハンドルの遊びのことです。ハンドルの遊びが少ないと、ちょっとした手の動きで運転している車が敏感に反応してしまうので、いつも気が抜けません。楽に車を運転するためには、ハンドルのある程度の遊びが必要です。これは車を運転する人ならご存じでしょう。人間はロボットではないので、手は毎日同じようには動きません。だからいちいち手の動きに反応してしまう車は、かえって運転しにくいのです。日本には余裕がないとも言えます。例えば仕事のスケジュールを立てるとき、チーム全員が100%の能力で働くと仮定していませんか。スケジュールに遊びがないと、ちょっとした遅れが積み重なって大きな遅れになります。病気になる人もいれば、家族が倒れて100%の時間を使えない人もいます。それに従業員の休暇の時間はスケジュールに最初から入れておくべきです。すると見積もりの倍ぐらいがちょうどいいスケジュールになります。そうした遊びを入れずに計画を立てるから、少子化が進み過労死が起こります。人生の目的は生きることです。生きて次世代により良い社会を残すことです。少子化や過労死が当たり前の国では国民が生き残ることができません。そうした遊びのない人生では生きるのが辛くなります。ハンドルに遊びが必要なように人生にも遊びが必要です。人生の半分が遊びのアメリカ人に、日本人はこの点で負けています。2年ぶりの里帰りで日本に息苦しさを覚えたマサでした。