2010年6月29日火曜日

宗教

アメリカは自由の国という建前なので、法律に従う限りどんな宗教でも布教する自由があります。ただし基本はキリスト教の国ですから、たとえば大統領の就任式では聖書の上に手を載せて職務と国民への忠誠を誓います。宗教というものは事の善悪を決める決まりの事ですから、宗教を持たない人間は野蛮人であり善悪の区別がない動物と見なされます。日本のように結婚式はキリスト教、年末年始は神社で初詣、葬式は仏教という具合に宗教を使い分けるのは世界的にみて珍しい国なのです。さらに宗教という絶対的価値観がないため、大多数の日本人は相対的価値観のみで生きています。常に自分を回りの人と比較して、いろいろな点で同じなら安心して生きていけます。また宗教が弱いため、宗教対立による争いがないのは日本のいい点です。ところでアメリカでは約60%の国民が進化論を信じていないそうです。聖書によれば神が人間と動物を作ったので、進化論は単なる仮説であり聖書が正しいと過半数の国民が信じています。またキリスト教系の私立学校では、図書室にハリーポッターの本を置くことを禁止している学校もあると聞きます。あれは魔法使いの本であり、魔法使いはキリスト教では否定されるべき悪なのです。アメリカのキリスト教には百を超える宗派があり、カソリックとプロテスタントしか知らなかったマサは、町のあちこちにある各宗派の教義の違いが分かりません。元がひとつなのにそれだけ宗派が分かれたということは、やはり宗教は人が作ったものだという証拠のように思えます。

2010年6月17日木曜日

公務員と国際競争

日本の問題は経済的な国際競争に負けていることです。もともと国内に十分な食料や地下資源がないため、アメリカのような内需に頼った経済活動はできません。外国との貿易により外貨を稼ぎ、それで食料と地下資源を買うのが日本の姿です。円が安かった時代に加工貿易で外貨を稼いだ日本は、円が高くなったことで国内賃金が高くなりすぎてしまいました。輸入品が安くなるのはいいのですが、輸出品のコストが高くて利益が出ません。国際競争にさらされている製造業は、賃金を下げるか海外で製造するかのふたつにひとつの道を選ばなくてはなりません。派遣労働者を使うことで賃金を下げた会社もあれば、国内工場を閉鎖して海外に工場を移した会社もあります。中国や韓国、ベトナムといった国と競争して勝たなければ、日本の将来は悲惨なことになります。ところがこうした国際競争にまったく無縁の人たちが公務員です。ほとんどすべての産業が外国との競争にさらされてコストを切り詰めている中で、公務員の世界だけはコストの意識が希薄です。より少ない人数でより多くの仕事をするにはどうしたらいいか、民間は常に努力してコストを下げています。国際競争がないために、とうとう国家予算の半分を借金でまかなうまで日本は追い込まれています。公務員の仕事はなるべく減らして、無駄なことはやらない。国家予算は国際競争力をつけるために使う。公務員の給料と仕事はガラス張りにする。こうした努力が今の日本には欠けているように思います。

2010年6月2日水曜日

夏休みと学年

夏休みの捉え方は日本とアメリカで大きな差があります。日本では、夏は暑いので勉強は無理、だから学校も休みましょう。1学期で勉強したことは忘れちゃうけど、宿題だすからエアコンのあるお家で勉強してね、という捉え方。それに対して、アメリカだと6月で学年が終わるので、文字通り夏休みは休みで、宿題もなければ先生に給料もでません。学年と学年の間なので中途半端に学期が終わることもなく、夏休みは子供も親も学校で経験できないことをしましょうね、という捉え方です。親の親戚が住む国を訪れるとか、あるいは地元のボランティア活動をするとか、スポーツキャンプに通うとか人それぞれです。この時期に机にかじりついて勉強する子供はまずいません。学校側も、夏休みには子供に勉強以外のことをさせるよう親に勧めます。夏休みが1週間なら学期の切れ目として適当ですが、1ヶ月以上休みにするなら実は学年の切れ目にするのが合理的です。日本は4月から学年を始めるので、夏休みはまずい時期にあります。算数など1学期に習ったことを使って2学期の勉強をするつもりの先生にとって、間があいて習ったことを忘れてしまう夏休みは頭痛の種です。その対策として宿題を出すわけですが、ただでさえ暑くて勉強に向かない時期に宿題を出すというのも矛盾しています。いっそのこと日本も9月から学年を始めるようにしたらどうでしょう。子供のためを思えば夏休みは学年の切れ目にして、夏の間に学校では経験できないことを子供に経験させるのが一番だと思います。ちなみにアメリカの夏休み中の先生は学校に来ませんし、働いていないので給料もでません。先生も旅行したり勉強したり好き勝手に過ごします。学ぶときは学ぶ、遊ぶときは遊ぶというメリハリがはっきりしているのがアメリカの学校です。