2012年10月28日日曜日

効率追求の影

日本の民間企業はギリギリまでムダをなくし効率を追求してきました。ところが効率を追求しすぎると人が疲弊します。また1日8時間を100%仕事に割当ててしまうと突発事態に対処する余裕がありません。人は病気になることもあり、また家族が病気になることもあります。取引先が突然無理を言ってくるかもしれません。こうした事態に対処するには、普段から80%程度の割当てで仕事する事が必要です。高度成長期の日本は人を増やす代わりに労働時間を増やして効率を追求しました。でも月に80時間以上残業すると過労死の危険がぐっと高まります。命と引き換えにやるほど価値のある仕事はほとんどありません。コンピューターにできる仕事はコンピューターにやらせて、人間は頭を使う仕事に集中すべきです。人は1日8時間みっちり働くとヘトヘトになり、普通はそれ以上働くと急激に能率が落ちます。ミスも多くなります。効率を追求するのは人の幸福のためであり、過労死を防ぐためです。責任逃れの会議のために膨大な資料を作るなどムダな仕事は沢山あります。従業員が幸福でない会社は成功しません。効率を追求する時は、その目的を手段と取り違えない事が大切です。従業員が過労死するような会社は、この大事な目的を忘れてしまった会社です。

2012年10月20日土曜日

ソフトのチカラ

工業製品の価値を決めるのはソフトという時代になりました。アイフォーンとアンドロイドにハードの差はほとんどありません。これはちょうどMacBookの上でWindowsを動かせるのと同じです。ハードが同じでもソフトが違うと使いやすさという価値に大きな差が出ます。アイフォーンとアンドロイドの違いは使いやすさの差です。どの会社でも同じようなハードが作れるので、その上で動くソフトが本当の価値の源です。ソフトはタダだと思っていませんか。iOSやAndroid OSには値札こそありませんが、本当はここに大量の資金が投入されているのです。人の代わりに仕事をするソフトは簡単に真似できないので、ハードが汎用品化したいま利益を上げられるのは使いやすいソフトを持っている会社です。日本の会社でソフトが戦略物資だと理解しているところは何社あるでしょうか。ソフトは外注すればいいと誤解していませんか。Google、Apple、Amazon、Facebook、Twitterなどは膨大なソフト資産を持っており、そのソフトを生み出すエンジニアはこうした会社の間をぐるぐる回っています。その結果シリコン・バレーのソフトウェア・エンジニアが一つの会社にいる平均期間は、マサの知る限り約4年となっています。入社時にもらう会社の株が4年で満期になるのと、4年経つと新たに学ぶ事が少ないというのが主な理由です。

2012年10月12日金曜日

製造業の行方

マサは製造業にいたので日本の製造業には同情しています。でもそれと同時に歴史の流れも感じています。かつてアメリカにはRCAやポラロイドといった会社がありました。1980年代からの日本のテレビとカメラの輸入に押されて、そうした会社はもはや残っていません。性能がよくて安価な日本製品がアメリカ製品を駆逐したのです。これと同じ事が今度は日本に起きています。韓国や台湾、中国の安価な製品が日本製品をアメリカから駆逐しつつあります。日本の国内市場も浸食されるのは時間の問題です。製造業が海外の製品に浸食される時、取るべき道は少なくとも3つあるでしょう。国内市場に特化してひたすらガラパゴスになり、海外製品に追いつく時間を与えないという道。あるいは海外で生産してコストを下げ、海外市場を狙うとともに国内へも安価な製品を輸入するという道。そして最後は製造業であることを止めて、設計したものを海外の製造会社に生産してもらい、自分はソフトウェアや販売に力を入れるという道。最初の道は日本の携帯電話会社がたどった道です。国内市場だけで食べて行けるなら、それも悪くありません。次の道は自動車会社がたどった道です。日産はタイで生産したマーチを日本に輸入して売っています。最後の製造業であることを止めた会社としてはアップルが有名です。アップルの製品には「カリフォルニアで設計し、中国で製造された」と書いてあります。もちろん他社に真似されない製品を作るのは大切です。でもデジタル製品は汎用部品を買って組み立てるだけで簡単に真似できます。簡単に真似できないのは内部のソフトウェアです。アップルは今やソフトウェア会社であり音楽販売会社です。かつてハードが中心だったシリコン・バレーも、インターネットがらみのソフトが雇用の中心となりました。マサは日本の製造業が今後どうなるのかに注目しています。

2012年10月6日土曜日

お笑いとイジメ

日本の民放テレビのお笑いは、いつのまにか芸人をイジメて喜ぶ下司な企画ばかりになりました。日本のボケと突っ込みという二人でやる漫才はアメリカにはありません。これは日本独自の優れた話芸だとマサは思います。アメリカのお笑いは一人でやるスタンドアップ・コメディーというもので、ピン芸人が政治家をおちょくったり有名人の言動を茶化したりします。どちらのお笑いも練習を重ねて上達するもので、ネタを作って練り上げて行く芸です。そうした芸は時間がかかるので、簡単に笑いを取りたい日本のテレビ局は話芸ではなく体を張った企画を好みます。これは芸人をイジメて喜ぶという趣味の悪いものです。お湯をかけたり、ヌルヌルの階段を登らせたり、高い飛び込み台から飛び込ませたりという企画は、イジメと紙一重です。芸人はお金をもらうため必死にそうした企画に挑み、時には入院する程の大けがをしてまでテレビに映ろうとします。これは見ていて愉快ではありません。こうした芸人イジメの企画を喜ぶ人は、おそらく日頃から他人をいじめたいという欲望があるのでしょう。罰ゲームとか体を張った企画というのは大人が大人にするイジメです。セクハラやパワハラと本質的に同じです。大人が大人へのイジメを容認している以上、子供が子供にするイジメは無くなりません。

2012年10月1日月曜日

原発を数字で考えよう

日本の原発が危険であることは2011年の福島原発事故が証明しました。なので100%安全な原発は少なくとも日本にはありません。政治家や官僚が原発の安全性について話す時、国民やマスコミは「ではどの位安全なのか」つまり「過酷事故の起きる確率はいくらか」と「その時の想定は何か」を問う必要があります。現在の日本での実測値は、一つの原子炉につき500年に一度の割合です。これは福島原発事故をふまえての数字です。これだと25機の原子炉を20年稼働率100%で動かすか、あるいは40年稼働率50%で動かすと過酷事故が一回起きる計算になります。つまり福島原発事故クラスの事故が近い将来にまた起きるという事です。「いや、他の原発はもっと安全だ」というなら、それはどの位の事故確率で、その根拠な何かと問う必要があります。1000年に一度の大地震も想定に入れる必要があると福島原発事故は教えています。1000年に一度の天災や人災まで想定に入れたら原子力発電はできないと言うなら、止めればいいのです。そこまで想定して事故を起こさない原子炉をつくると、膨大なコストがかかります。日本の国土が狭くて事故の際に逃げ場がない事と、国全体が地震の巣の上にある事を考慮すると、日本の原発にはもはや発電を続ける経済的な理由がありません。アメリカの東半分や欧州の北部のような安定した地盤がないので、マグニチュード9クラスの大地震を想定しなければなりません。それに伴う送電停止と津波がもたらす数日間の電源喪失は簡単に原発の過酷事故を起こします。単に原子炉が危ないだけでなく、その格納容器の外にある使用済み燃料プールも電源がないと冷却できなくなり、水が蒸発して放射性物質をまき散らします。定期点検中の福島原発4号機でこれが起きなかったのは、運良く原子炉建屋の水素爆発が原子炉ウェルの扉を開けたためで、まったくの幸運でした。原発の経済性は事故確率とコストというふたつの数字の兼ね合いで決まります。原子炉に「安全」か「危険」かの両極端は存在ぜす、その間のどこにあるかという事故確率の数字だけが存在します。そしてその数字の根拠は何か、何をどの位想定したのかを問いたださないと本当の事は分かりません。何年に一度の事故割合なら日本国民は原発を受け入れるのでしょうか。アメリカのスリーマイル島原発事故と日本の福島原発事故で、炉心溶融という過酷事故が2度起きました。2度あることは3度あると皆知っています。日本で再び過酷事故が起きるのはもはや時間の問題です。