2014年6月28日土曜日

成果主義の前提

日本で始まった「ホワイトカラー・エグゼンプション」についての、ちょっと真面目な本を書きました。日米の労働形態には両極端と言ってもいいほどの違いがあります。日本のマスコミが報道しないアメリカの労働形態について説明しました。

http://www.amazon.co.jp/dp/B00LCREXM6

2014年6月7日土曜日

昔は良かった?

平成の世に生まれて派遣で暮らす20代の人の中には、もっと早く生まれていれば良かったのにと思う人もいるでしょう。1990年頃のバブルの時代をうらやましいと思う人がいても不思議ではありません。マサはその頃もうアメリカにいたので、日本のバブル経済は経験していません。マサが日本で暮らしていた時代には、ケータイもスタバもインターネットもありませんでした。どこかに長電話をするには、前もって十円玉をたくさん集めておく必要がありました。もっと前の子供時代だとエアコンのある家は皆無で、実家の前の道は舗装されていない砂利道です。だから雨が降ると靴が泥だらけになりました。今と較べたら何もない時代です。夕方になると自転車の荷台に豆腐の入った水槽を乗せて、人のいい兄さんがラッパを吹きながら豆腐と油揚げを売りに来る時代でした。ある意味みんな貧しくて、だから国民の間にそれなりの平等感があったのが昭和の40年代です。当時を知る者としては、今と較べて昔が良かったとは思いません。確かに平成になって貧富の差は増えました。今は就職も難しいし終身雇用はまず無理です。それでも冷戦は終わり円は高い。インターネットのおかげで海外にモノを売るのも簡単で、昔よりはるかに起業しやすい世の中です。だから今の若い人は実はいい時代に生まれたと思います。人を当てにせず自分で世の中に道を切り開くつもりなら、今ほどそうした機会に恵まれている時代はありません。

2014年6月1日日曜日

知識と知恵

知識と知恵は車の両輪のようなものです。どちらか一方だけでは役に立たず、そのバランスが大切です。知識だけ多くて知恵のない人はその知識を生かす事が出来ず、新たな状況に対応できません。その逆に知識がなくて知恵だけある人は、いつも闇雲に対処するので結果を出せません。知識を生かしつつその応用をするには、知識と知恵の両方が必要です。日本の受験教育はテスト対策が中心であり、知識を増やす事に重点を置いています。知恵を測るのは難しいので、簡単にテストできる知識が中心になります。そのため学習と暗記はほぼ同義となり、勉強とは教科書を覚える事だと誤解されています。そうした知識中心の学生がいずれ国家公務員になり日本の中枢を動かすのですから、日本が新たな状況にうまく対応できないのは無理もありません。人口の減少も財政赤字の増加も以前から分かっていた事です。それなのに前もって適切な手を行政が打てなかったのは、大学受験を目標とする日本の教育体系が社会の要請に答えていないという証拠です。