2012年4月1日日曜日

民主主義

結局日本に民主主義は根付かなかったようです。江戸時代からの「お上」の発想から変わっていません。平民は難しいことを「お上」にまかせて、自分たちは目の前のできる事だけやればいいという考えです。民主主義では最終責任は主である民にあります。自民党を選んだのも民です。原子力を選んだのも民です。東電を甘やかしたのも民です。そして民主党を選んだのも民です。例えて言えば、社長が重役に選んだ人間が大事な事を何も改善できなかったとき、その程度の人間を重役に選んだ社長の責任も問われます。民は主なので、最終責任を負うのは民です。難しいことを人に任せてはいけません。それは責任放棄です。今の日本に「お上」は存在しません。かわりに存在するのは責任を問われない「官僚」です。日本を動かしているのは政治家ではなく、東大出の頭の良い「官僚」たちです。税金で世論すら操作できる彼らが民を天井桟敷に置いておくので、日本に輸入された民主主義は枯れてしまいました。自分の頭で考え判断する人間を育てる教育と、税金の使い道を執拗に追求するマスコミがない国では、民主主義は育ちません。年金の問題も財政赤字の問題も原発事故の問題もすべて根っこは同じで、主である民が自分の頭で考え判断するかわりに、「官僚」にすべてを委ねた結果です。かつて日本をリードした「官僚」が今や日本の足を引っ張る存在となったのは誠に残念です。

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