2012年8月1日水曜日

新聞も分析を

福島原発事故では、3月11日の当日から東電が正門前で測ったガンマ線量をウェブで公表していました。これをグラフにすれば、3月12日の早朝からガンマ線量が上昇していたことは誰にでも分かります。つまり1号機のベントをする前から既に放射性物質が漏れていました。また3月15日から16日にかけてガンマ線量のピークが3回あったことも分かります。原子炉建屋が水素爆発した時点ではガンマ線量はあまり増えていないので、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ないこともわかります。正門前で測ったガンマ線量と事象の時系列をみれば高校生でも分かります。このグラフを最初に公表したのは、マサの知る限り3月16日のニューヨーク・タイムズ・アジア版です。日本の新聞社でこのような独自の分析を行って、原子炉建屋の爆発が放射性物質の大量漏洩とは関係ない事を示したところはありません。新聞記者は人に聞くのが仕事です。でも新聞社にはデータを分析する人もいるはずです。インターネットで東電の発表も官邸の発表もタダで見る事ができる時代に、新聞社があくまで情報を右から左に流すパイプとしての役割しか果たさないのであれば、わざわざ新聞を購読する人はいなくなります。本当は公表された情報の裏にある真実を国民に知らせる役目がマスコミにあるはずです。でもそれには人に聞くだけではなく自分で情報を分析することも必要です。事故当時の新聞社には原発に詳しい人がおらず、突っ込んだ質問が出来なかったのは理解できます。でもそれなら専門家を臨時に雇えばいいのではありませんか。原発が過酷事故を起こさないとタカをくくっていたという意味では、日本の新聞社もマサを含む大多数の国民と同じ過失を抱えています。ちなみにこのグラフは同じ年の12月2日に東電が発表した「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」の72ページにでています。この報告書では、3月15日に2号機の格納容器の圧力が急低下したのとほぼ同時に正門前のガンマ線量がピークとなったことから、この日に最大の放射性物質漏れが2号機から起きたと推定しています。その日の午後に風が北西方向に吹いたことと雪が降ったことが重なって、原発から北西方向が主に汚染されました。この風向きもガンマ線量と一緒に東電がその日の夜にPDFで発表しています。このデータを調べれば、原発の北西方向が危ない事は当時の新聞社にはすぐに分かったでしょう。

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