2011年7月17日日曜日

読み書きパソコン

電卓が普及する以前は、日本ではソロバンが計算道具の代表でした。暗算にも強くなるのでソロバンは今でもそれなりに人気があると聞きます。マサは「読み書きソロバン」を小学校で習いました。今は電卓があるので「読み書き電卓」になるのかと思いきや、それはマサの認識不足だったようです。アメリカだと小学生からパソコンでレポートを書くので、「読み書きパソコン」が今の標準かと思います。パソコンといっても大部分はアップル社のマックです。家にパソコンがない子は学校や図書館の共用パソコンを使います。手書きのレポートは小学校高学年になると禁止なので、キーボード練習プログラムをマサも子供用に買いました。ついでに親もそのプログラムで練習したのはもちろんです。情報を集めるのも旧世代は図書館での資料探しなのに対して、新世代はまずインターネットで検索です。「読み書きパソコン」が小学校で学ぶ基本だとすると、日本の学校も変わらねばなりません。単にキーボードを使えるだけでなく、検索した結果を吟味する力も必要でしょう。そもそも先生がこうした教育方法に慣れる必要があります。ソロバンに比べるとパソコンは多機能なので、使いこなせる子と使えない子の間には将来的に大きな差が生まれます。パソコンを使うと考える力が衰えるのではないかと心配するのは当然です。そのため先生の役割は生徒の考える力を引き出すものに変わります。生徒に問いかけて生徒どうしの意見交換を促すなど、双方向の教育に変わります。知識は検索すれば得られますので、知識を持つだけでなくその知識をどう使うかが大切になります。なお大学生になっても検索した結果をレポートに丸写しにする学生がいるようですが、その程度の宿題しか出せない教員にも問題があります。知識を問うのではなく、検索した結果などから新たな知見を問う問題が必要です。実社会では正解はひとつとは限りませんし、明らかな正解が無い問題もあります。でもそうした問題に対処する方法を、大学生なら身につける必要があるとマサは思います。

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