2012年9月1日土曜日

原子力の限界

テレビの鉄腕アトムを視て育ったマサは、日本に原子力が導入された当時の楽観的なムードを覚えています。鉄腕アトムは胸の中に原子炉を持っていましたし、その妹はウランという名前でした。原子力船むつが放射線漏れ事故を起こして母港に戻れなくなったのは、福島第一原発1号機が発電を開始した3年後の1974年のことです。もともと広島・長崎の原爆被害や第五福竜丸の被曝問題があったので、日本人は原子力の安全性に懐疑的でした。それでも巧い世論操作により原子力は安全とされ、日本の僻地に原子力発電所が作られました。マサの当時の理解では、核分裂は放射性廃棄物の問題があるので核融合で発電するまでの「つなぎ」とされていました。核融合発電は当時の予想によれば21世紀の今頃には実用化されているはずでしたが、いっこうに実現していませんので、いまだに核分裂を使い続けています。核分裂を利用した原子力発電の限界は、まず第一に放射性廃棄物を永久に保管する自治体が日本に無いこと、第二に福島原発事故が証明したように核分裂による原子力発電は決して安全ではないこと、第三に発電コストが必ずしも安くない事です。日本の商用原子炉の過酷事故確率は、福島原発事故のため実測値で原子炉ひとつにつき500年に一度の割合です。日本全体で25機の原子炉を動かしたとすると、20年に一度は外部に放射性物質をまき散らす事故を起こす割合です。これでは事故の処理費用や補償費を含む発電コストが高くなりすぎて、原子力発電を続ける経済的意味がありません。2012年3月11日を境に日本の原子力発電は経済的意味を失いました。それでも原子力を続けたい人は、原子力企業に勤める人か日本に核武装させたい人です。今日本にある原発はすべて同じ欠陥を抱えています。それは数日の電源喪失で外部に放射性物質をまき散らすという欠陥です。また使用済み燃料プールは、同じく数日の電源喪失でむき出しの炉心となります。大地震や大津波がある日本では数日の電源喪失は避けられないので、原子力発電は危険すぎるのです。次に原発事故が起きる時、福島のように風が主に海に向かって吹くとは限りません。もし再び日本で原発事故を起こせば、一つの県がまるごと避難するような、福島原発事故よりたちの悪い事故にもなり得ます。東京に高層ビルを建てられるなら、東京に原発を作ればいいのです。なぜ僻地に原発を建てるのかを福島原発事故が教えてくれました。事故はまた必ず起きます。狭い日本で今度はどこに逃げるのでしょう。

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