2012年9月12日水曜日

いじめと割れ窓理論

学校を舞台に起きる日本のいじめには、ニューヨーク市で有名になった「割れ窓理論」と共通するものがあります。いじめは些細な嫌がらせから始まります。それを周りが見て見ぬ振りをしたり、教師がたいした事ないと無視したりすると、いじめる方が次第にエスカレートします。これは、窓ガラスを割るような些細な犯罪を放置すると、犯罪が次第にエスカレートして殺人事件にいたるという「割れ窓理論」と同じ構造です。従って同じ解決法が使えます。それは最初の些細な嫌がらせの段階で周りが断固とした措置を取るということです。ニューヨークでは些細な罪でも犯人を捕まえて裁判を受けさせます。いつも警察の目が光っているという事を犯罪人に教えることで、凶悪な事件を防ぐ事ができます。学校でもこうした初動が取れればいじめを減らす事ができます。いじめは傷害罪という犯罪です。教師が初動を誤ると、いじめる方に間違ったメッセージを送ってしまいます。それはいじめはやってもいいんだ、というメッセージです。これを防ぐには、些細ないじめでも教師が断固としてそれを排除する姿勢を見せる必要があります。つまりいじめたとされる子の親と直接話して、学校でのいじめは親にすぐ通知が行くという事を子供に教えることです。子供もその親も最初はいじめを否定するかもしれません。ただの悪ふざけだというかもしれません。でもいじめは被害者の認識が重いのです。いじめられた方がいじめだという限り、それはいじめです。教師はいじめられた子の味方として、加害者とその親に「もう一度やったら退学だ」という強いメッセージを送るべきです。教師にも味方が必要なので、校長を始め回りの教師は普段からいじめに対する行動を練習して、いじめ問題をかかえた教師を助けます。いじめは加害者である子供の親が責めを負う犯罪であり、いじめを放置する教師は共犯者です。教師が加害者の子供とその親に対峙する勇気がなければ、いじめられた方は警察に被害届を出したりマスコミに通知するなどの手段で我が子を守る権利があります。些細ないじめでも許さない姿勢をゼロ・トレランスと呼びます。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。