2013年8月17日土曜日

「空気」とは何か

KY(空気読めない)という言葉に出て来る「空気」とは何でしょうか。マサはこれが建前と分離した本音であると思います。建前が通常表に出て来るのに対して、本音とは普通隠しておくものです。ところがこの本音が多数派になると、それはその場の空気として圧力を持ちます。つまりKYとは「俺たちの本音を分かってくれ」という願望が生み出す圧力です。普段から本音ではなく建前で会話する事の多い大人にとって、大事な場面で本音を察してくれない人はKYという形容詞で非難したくなる対象となります。建前と本音の乖離が大きいほど「空気」の圧力は高くなります。建前を理屈に、本音を感情に置き換える事もできます。だれかが正しい理屈を述べ、その場にいる人が「理屈はそうだけど感情的には違う」と思ったら「空気」が発生しています。建前と本音はバネでつながれていて、お互いに引き寄せ合い一つになろうとします。そのため間に挟まれている空気がある程度の圧力を持つと、その場にいる人に影響を及ぼします。建前と本音の乖離が大きくなればなるほど、また本音を言いたいのに言えない人の数が多ければ多いほど、その場の「空気」は高い圧力を持ちます。この「空気」は存在する空間が必要なので、複数の人間が集まる場所でのみ発生します。またそうした「空気」には日本を滅ぼすぐらいの力があるので、この力を殺ぐには建前と本音の分離をやめるのが一番です。つまり建前の影に隠れるのではなく、本音で生きる人を増やすという事です。それができれば、決定の先延ばしや両論併記という責任逃れをする大人を減らせるでしょう。

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