2012年7月7日土曜日

失われた20年

マサがアメリカに来たのは1987年です。今から25年前のことです。当時は1ドルが150円ぐらい。アメリカに来た目的は留学で、コンピューター・サイエンスの修士号を取りました。その後アメリカの企業に就職し、日米合わせて5社の会社で働きました。この間に日本ではバブル経済とその崩壊、そしてITブームとその崩壊が起きました。Japan As Number Oneと持ち上げられたのもつかの間、日本はすぐその経済力を落としました。バブル崩壊後の日本の財政は巨額の赤字国債を出すなど悪化し、今では借金大国に成り果てました。バブル崩壊後の20年で起きた事は、日本の仕組みが時代に合わない事を示しています。たとえば年金にしても、国民の男女合計の平均寿命が68歳の時に60歳から支給する仕組みを1961年に作りました。つまり人生最後の8年を助ける制度でした。今では平均寿命が82歳ですから、20年以上の支払い期間があります。それに対して保険の最低加入期間は以前から25年のままです。いやむしろ無年金者を減らすため最低加入期間を10年に縮めようという提案もあります。この様に過去に作られた制度が時代に合わないにも関わらず、その抜本的な改訂を怠った結果が今の日本の姿です。終身雇用や年功序列もそうした時代遅れの制度です。かつての日本は円安を武器に輸出で外貨を稼ぎました。日本の経済が強いと思えば、オイルダラーなど海外の投資家が日本に投資するのは当然です。その結果ジリジリと円高になり、1999年には1ドルが100円になりました。個人的には1ドル100円が妥当なレートだとマサは思います。でもリーマンショックとユーロ危機のせいで円高が進み、今や1ドル80円です。この25年でレートがほぼ倍になったのですから、ドルベースだと日本人の給料は倍になったのと同じです。つまりそれだけ単価の高い仕事をしないとかつての経済力は維持できないという理屈が成り立ちます。単価の低い製造業が日本で衰退するのは避けられません。日本人ひとりひとりの能力を上げて、より単価の高い仕事をする以外に日本の生きる道はありません。

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