2012年1月28日土曜日

ゆとり教育

先生にゆとりが無いと、生徒にもゆとりがありません。その意味で週休二日にしたのは良かったのですが、授業時間が減った分をどこかで取り戻す必要がありました。落ちこぼれをなくすという目標もそれ自身に罪はありません。でもその手段として教育内容を減らすという行動は誤りでした。落ちこぼれをなくすには、全員の底上げをするか、基準を下げるかのどちらかの方法があります。日本の文科省が取った方法は、基準を下げるという方法でした。社会に役立つ人間を育てるのが教育の目的です。日本の公立教育は安かろう悪かろうとなっています。GDP比で日本の公立教育費は、OECD諸国のうちギリシャに次いで下から2番目です。先生ひとりが受け持つ生徒の数が多すぎます。ゆとり教育は社会に役立つ人間を育てるという目的に照らして誤りであり、本当は先生の数を倍にして学校行事を半分に減らすべきでした。入学式は要りません。授業時間は減らすより増やすことが必要なので、夏休みを短くします。学校には冷房を入れます。国際競争力のある日本人を一人でも増やすには、教育に投資するのが一番です。ゆとり教育でいう「生きる力」とは何でしょうか。それは客観的に数字で表せるものでしょうか。文科省の自己満足で終わらせないために、「生きる力」は国際比較可能な数字で表す必要があります。教育とは税金を使う投資ですから、その結果リターンがいくらかを納税者である国民は厳しく見つめるべきです。マサに言わせれば「生きる力」とは「日本人として生き残る力」であり、国際競争力そのものです。ゆとり教育はまさにその「生きる力」を日本から奪った政策でした。

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